映画『ゴッド・オブ・ウォー 導かれし勇者たち』2010年イギリス・ドイツ
監督クリストファー・スミス、出演ショーン・ビーン、エディ・レッドメイン、ジョン・リンチほか。
黒死病(ペスト)が蔓延し、原因も分からずなすすべもなく人は死んでいき、魔女狩りが行われていた中世の頃の物語である。中世というと、日本の中世同様、人々には魔物や鬼が実在すると信じられていたとされているが、それは現代の人から見てそう見えるということなのか、実際にそうだったのか。信じていれば実在していたことになるということか。
その時代を描いた映画といえば、日本なら夢枕獏原作の映画『陰陽師』があるし、西洋ならウンベルト・エーコ原作の『薔薇の名前』を原作とした同名の映画がある。『薔薇の名前』の主人公役はショーン・コネリー、従者の少年をまだ若かったクリスチャン・スレイターが演じていた。山上の古い修道院とそこにある禁書を蔵した巨大な図書館を舞台にして、宗教論、異端審問などをテーマにしたこの映画は傑作だと思う。
今回見たこの映画の暗鬱で猥雑感のあるイメージの映像は『薔薇の名前』のイメージに重なる。あの『ジャンヌダルク』でもそうだった。ここでいう猥雑感とは非衛生的な清潔さのかけらもない世界のことである。グチャグチャしているのである。少し前の香港映画にはこの猥雑感があふれていた。それが逆に生命感につながりエネルギッシュでもあったが、中世映画にはその生命感は感じられない。キリスト教という宗教のせいかもしれない。
黒死病の蔓延で次々にひとが死んでいくイギリス地方の、ある修道院にウルリク(ショーン・ビーン)と云う男に率いられた騎士団がやってくる。大司教の命により、黒死病が全く発生していないという村の調査にやってきたのだ。湿地を抜けた先にあるというその村への案内を青年修道士のオズマンド(エディ・レッドメイン)が買って出る。
ウルリクたちの目的は本当は違うものであった。そして案内を買って出たオズマンドにもその村へ行く目的があった。村へ向かう旅は想像以上に苛酷なものとなり、途中で山賊に襲われたり魔女狩りに関わって危険に遭遇したりするうちに、オズマンドは次第に騎士団の目的に疑念を抱く。
ようやく村へ辿り着いた一行は、案に相違して村を挙げての歓迎攻めにあう。その歓迎攻めの席から抜け出したオズマンドがひそかに目にしたものは・・・。そして騎士団一行が本来の目的を果たす前に村民たちが先手を打つ。
魔女とはなにか。魔女は本当に存在するのか。なぜその村に黒死病の患者がいないのか。
村から生きのびたのはオズマンドのみ、そしてそのオズマンドはどのような人物に変貌したのか。ラストが淡々としていながらとても恐ろしい。エディ・レッドメインの好演である。このあと『ファンタスティック・ビーストと魔法使いの旅』を観たのだが、この『ハリー・ポッター』からつながるシリーズの主演がエディ・レッドメインであった。見た顔だなあと思ったのは当たり前であった。
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