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2018年7月21日 (土)

少子高齢化

 寿命が延びれば高齢の人が増えるのは当たり前である。少子高齢化が問題なのは、労働人口に対して働かない高齢者の割合が高くなるからであるのはいうまでもない。死ぬ人に見合った数だけでも生まれていれば問題にならないのであるから、問題の本質は少子化であって高齢化ではない。

 実際、長いスパンで考えればいまの日本の団塊の世代を主にした多数の高齢者は、間違いなくあと30年もすれば大半がこの世からいなくなるのである。そのときにはアンバランスの問題は自然解消する。その最大30年をどうしのぐか考えればいい。30年の問題を永遠の問題と考えると、不要な対策を講じすぎて30年後にまた問題を残す。想像力の欠如が日本の負の特技だから心配だ。

 少子化はそれよりもずっと深刻で本質的な問題だとようやく世の中は気がつきだしたようだ。もちろん私もようやくそうらしいと感じだしたので、同様である。なにしろ個人が子供を産むか産まないかを国家が決めるわけにはいかないのである。あの何でも国家が決めているような北朝鮮や中国ですらなかなか意のままにならないのである。

 もし女性たちが急にせっせと子どもを産み始めたとしても、その結果が労働力につながるのは早くても20年後である。しかもすでに少子化は進行しているのだから、これから子どもを産む女性の数が(少なくともこれから20年のあいだは)毎年減り続けることはすでに確定した事実で変えようがない。

 それにしても若い女性が急にせっせと子供を産む気になるための方法があるわけではないから、事態は深刻だ。子供を安心して産める社会にならないと女性は子どもを産むのをためらうというが、しばらくは(とうぶんは)そのような状況になりそうもないようにみえる。

 しかし子供を安心して産める社会が女性を子どもを産む気にさせる、というのは本当なのだろうか。子どもがどんどん生まれている国ではそういう社会が実現されているのか。反対に、豊かで暮らし易い先進国ほど出生率が減っているのはどうしてか。不思議なことである。豊かな社会ほど不安が大きいのかも知れない。

 子供を育てるのは大変である。大変だけれどよろこびもある。その大変だと思う気持ちとよろこびとを秤にかけて、大変だと思う気持ちが大きくなっているのがいまの日本なのかも知れない。安心の問題よりも、子供を持つよろこびの実感が想像できなくなってしまった社会が少子化をもたらしているのではないか。

 それに社会が、少なくとも親が、若い女性に子どもを産むのは当たり前のことだというように刷り込むことをやめてしまっている。当たり前のことと思い込むことで子どもを産み育てるという困難を乗り越える力となっていたのに、それを刷り込まずに不安だけが語られ続ければその気が失せる。私だって同様である。

 生殖して子どもを産むというのは種を保存するという生物に刷り込まれた本能であろう。人間が生命を持つ動物であり、自然の存在であるのに、社会が豊かになるほど自然を遠ざけ遠ざかり、自然の存在であることを見失い、個体の安楽だけを求めることが可能になったことで人間は種の存続を忘却し始めている。

 それを憂えるというよりは、豊かさというのはそういうものなのかも知れない、などと悲観的な気分でいる。とはいえ、少子高齢化は想定外の問題ではなく、想定が明確な問題である。その想定される事態になにをどういう優先順位の元に対策を講じるのかを考えることは可能であろう。

 とはいえ、私のようにどうしてこうなってしまったかを論じていてもなにも始まらない。少子高齢化対策を語る論者に聞くべきものがあるかどうかは、この点にある。どうしてこうなったかを滔々と語ることに終始していたらそれに耳を傾けるのは時間の無駄である。聞くまでもない。つまりこの私のブログは読む値打ちがない?それなら哀しいことである。

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コメント

>子どもがどんどん生まれている国ではそういう(理想的)社会が実現されている

というのは間違いだと思います。むしろ逆なのが実態。多子の世界は幼児死亡率が高いというのが現実。これは確かな証拠があります↓。
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/4711/trackback
https://ourworldindata.org/fertility/

上のデーターベースをいろいろ操作してみると。地球規模で、様々な文化、風土を超えて、幼児死亡率と子供の数の間に何らかの相関があることは伺えます。子供の数を調節するのは[我々の遺伝子に組み込まれている]というのが私の解釈です。 さらに1歩妄想を進めて(笑) 子供の数が2を下回る(人口減少に向かう)のは人口が多すぎるというのを「種」として無意識のうちに人類が認知しはじめた、成長の限界を認識したからではないかと?

それは兎も角、個人的には問題は少子化でも高齢化でもなく、労働人口[率]の減少だと思います。それなら高齢者や女性が十分に能力を発揮でき働ける社会を作ることが有効な解決策かと。

ついでに、以下の「仮説と試行」も参考してくだされ(笑)
http://blue.ap.teacup.com/salsa2001/4712.html

Hiroshi様
巷間そういわれているのは私も間違いだと思いましたので、そのように書いているつもりです。
間違いだ、というのは私に対してではなく、そういう俗説に対してですよね。
いきなり間違いだ、といわれるとどきりとします。
「しかし子供を安心して産める社会が女性を子どもを産む気にさせる、というのは本当なのだろうか。」とブログにも書いています。
安心して子供を産めないから女性が子供を産まないのだ、というのは多少はそういう側面がないとはいえないにしても、その問題解決が少子化の本質的な対策の答えではないというのが私の考えです。
ところで、ご指摘の、多子の世界は幼児死亡率が高い、というのは、幼児死亡率が高いから多子になる、ということでもある世界ですね。
それは従来の生物的な子孫を残すための本能的反応だったのでしょうが、いまの先進国の少子化はそういうものとは本質的に違うと思います。
そのことを書いているつもりですけれど。

最近、時々聞くのですが、若い男性で女性にさほど興味のない人が増えてるようです。
本当かどうかわかりませんが、婚活パーティーで女性10に対して男4という広告を見ました。
人口の調整段階に入ってきてるのかもしれません。

けんこう館様
まさか臆病になって、男性がイソップの『酸っぱい葡萄』のあの狐のようになってしまったわけではないでしょうが、心配ですね。
男性にとって女性がだんだん面倒くさいものに感じられてきたということもありそうです。
何でもかんでも「セクハラセクハラ」と言われたら手は出しにくいだろうと思います。
もう女性が男性をリードするしかないでしょう。
もともと男女関係というのは女が主導権を持つものだと私は思っています。

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