内田樹編『人口減少社会の未来学』(文藝春秋)
内田樹老師らが人口減少社会の未来についての評論を依頼して集められた論考集である。この論考集に対して玉石混淆という評価をするのは、いささか上から目線の気配があって気が引けるが、目からウロコの膝を打つもののなかに、なにか言いたいのか良く分からない、というかテーマとはあまり関係が無さそうなことをただ場を借りて書き殴っているとしか思えないものも混じっていて面白い。ふだんそれなりの人も時に失調することがあるらしい。書くことがなければことわればいいのに・・・。誰のことか読めば分かる。
少子高齢化について最近このブログで何回か書いてきた。正直言うと、最後の方で書いていることの中にすでに読み始めていたこの本の受け売りが混じっている。それは全くの受け売りではなく、思っていたことを的確に表現されていたことに同感してのことであると言い訳しておく。
さまざまな分野の人が、その分野の視点から少子化社会の原因とそれのもたらすもの、そして社会はそれにどう対応していくべきかを提言している。その分析の中にはこちらが常識としていたものをを覆すものもあって読みごたえがある。
たとえば沖縄を別にして、人口が多少なりとも増えたり微減にとどまっているのは大都市圏だという統計的事実がある。それは若者が大都市圏に集中している、地方から流入しているからだと説明されるのが普通だ。たしかにそうなのだが、出生率のみに注目すると、大都市ほど出生率が低いのである。どういうことか。大都市に集まった若者は地方よりも子どもを産まなくなるのである。結果的に高齢者の増加は、実は大都市ほど著しいのである。
地方は絶対数として高齢者が増加しているのではなく、若者の出生率は都市よりも歴然と高い。つまり地方の方が子どもを産みやすいという現実があり、適正に対策を講じている地方都市は逆に出生数が増える兆しがある。都会からUターン、Jターン、Iターンしている若者は子どもを産み育てる意欲のある場合が多く、都市に流入する若者は子どもをあまり生まなくなるということの意味をもう少し深く考察する必要がありそうだ。日本の経済史、それに関連する政治史について人口問題を統計的に解析することで論ずるのは藻谷浩介氏である。いつものように冴えている。
少子化を生物学的な現象として解析した池田清彦氏の論考は時間のスパンが壮大で、あのNHKの『人類誕生』シリーズのことを重ね合わせて面白かった。
その他的(まと)をわざわざ別のところにおいて結果的に少子化未来を論じているもの、海外との比較で論ずるものなど多種あって賛同したり、多少イラついたりしながらいろいろと考えさせられた。
少子化について思い込まされていることを、取り払うことが出来るかも知れない。是非一読をお勧めする。
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<蟻地獄説>
西欧中世史での経験則によれば、出生率低下局面は、多くの場合大量の移動が生じた時期と一致し、これが都市で <移動人口を蟻地獄で吸収している=都市蟻地獄説> らしいとのこと。
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/4149/trackback
日本でも江戸時代はそれが典型的に認められ、地方の次男以下が長子相続のために都市に出て行き、そこで結婚できずに男子が都市で「死滅」する現象が認められるとか。(家族構造の違う漢族ではそれがなく人口が過剰になったとの仮説も)
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/4703/trackback
<沖縄>
女性の就労率と合計特殊出産率とは正の相関があること、また一般に大都市では出産率が低いこと(下の図の灰色マーク)はよく知られていますが、その中でほぼ同じ就労率なのに沖縄が1.72に対し東京は1.00(2006年)。 沖縄の事例は何かヒントを与えてくれそうです。
http://blue.ap.teacup.com/applet/salsa2001/2738/trackback
投稿: Hiroshi | 2018年7月24日 (火) 18時20分
Hiroshi様
ご紹介いただいたり、ご指摘の点についてはまだよく考えがまとまっていません。
よく考えてから、また機会があれば自分なりの考えをブログに書きたいと思います。
投稿: OKCHAN | 2018年7月27日 (金) 18時06分