長谷川煕『崩壊 朝日新聞』(WAC)
本文の最後を引用する。
「本書を通して見てきたことは、歴史の中で「大義」を見誤り、囃した結末は恐ろしいということである。「大義」好きの朝日新聞社は、やたらとすぐ「大義」を担ぎ出し、物事の誤断を繰り返し続けたことで、いま、世の中から仕返しされているのであろう。その紙面について眉に唾されるという形で。
それを私は歴史からの復習、制裁と考える。」
著者は優れた記事を書き続けた朝日新聞の著名な記者であった。定年退社後に書かれたこの本は、ある意味で愛するがゆえの痛憤の書と言えようか。慰安婦問題の誤報に端を発しているとはいえ、結果的に昭和史を朝日新聞という軸に照らして語る書となっている。いままで何冊か朝日新聞批判の本を読んできたが、それらの本とはまるでレベルの違う本だと思う。
この本が著者の推察推論ばかりだという批判は可能である。しかしその推察推論に至る背景についての資料の引用は明示されており、批判するためには反証を用意するべきだろう。多分それも十分可能だ。だが私にはその推論推察とさまざまな史実が、すべてとは言わないが、整合しているものがあるように感じた。少なくとも昭和史について考える新しい切り口を提供されたと感じている。
父は正義好き(絵に描いたような正義漢の教師であった)なので朝日新聞の世界観に調和していた。前にも書いたが私は朝日新聞で世の中を、そして世界を見て育った。それが首をかしげるようになったのは高校時代、中国の文化革命に関する朝日新聞の記事の違和感だった。
当時は政治の時代(学生運動が盛んな時代)だったから高校時代にはすでにさまざまな情報を持つ級友もいて、中国の実際は朝日新聞の書くような国ではないといわれて信じられない思いがしたのだが、そのつもりで読み直すと、文化大革命礼賛、毛沢東礼賛の異様さが多少は見えるようになった。当時「宝石」や「現代」などの月刊誌を読み始めていたから、文化大革命が権力闘争であるという記事もたびたび目にしたが、朝日新聞は文化大革命を理想化して、それが権力闘争だなどという話しを真っ向から否定していた。
そんなときに林彪の事件が起きた。林彪の失脚、死亡の情報をほかの新聞やメディアがすべて報じたのに、朝日新聞だけがいつまでも不明として報じなかったことをよく覚えている。文化大革命が権力闘争であることの証左であったからあえて報じなかったのだということが私にも分かった。
その背景がこの本にも書かれている。朝日新聞の中国に対するスタンスが極めて偏向していることはおおよその人が感知していることであろうが、そのことがどれほど日本の民意を歪めたか。
この本には取りあげたい話が山のように書かれているが、その中で特に強く記憶に残ったのは、ゾルゲ-尾崎秀実(ほつみ)事件に関する記述である。昭和史の裏面にこの尾崎秀実がどのように関わったのか、そして尾崎秀実と近衛文麿、さらに朝日新聞と尾崎秀実との関わりに関する記述は資料が限定されるのでどうしても推論を重ねるものではあるが、まるでミステリー小説を読むように面白いし、初めて得心する話しがたくさんあった。
推論が多いから読む値打ちがないなどと断じずに、多くの人にとにかく最後までこの本を読んでみて欲しい。その上で自分の考えを修正したり補完したり、反論したりしてみて欲しいものである。近現代史について新しい視点を持てると思う。
朝日新聞の病はすでに膏肓に入って久しいようである。
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