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2018年8月

2018年8月31日 (金)

気になったニュース

 アメリカ共和党重鎮・マケイン氏が死去したが、生前「トランプ大統領には葬儀に列席して欲しくない」と明言していたので、その意思を尊重してトランプ大統領は葬儀に招待されないそうだ。葬儀にはオバマ元大統領、ブッシュ元大統領、そしてペンス副大統領が参列する。

 葬儀の参列を拒否されるというのは尋常ではない嫌われようだ。大統領指名争いの際に、「マケインは兵役中に捕虜となっているから英雄ではない」と言ってのけるなど、嫌われる理由はいろいろあるようだ。そういうトランプは兵役に就いていない。それならそんなことを言う資格はないとまともなひとなら思うだろう。トランプはそのことだけでも人間性が疑われても仕方がない。

 自分の与党の重鎮の葬儀にスピーチが出来ない大統領というのは過去いたのだろうか。ずいぶんみじめなように思うのは私だけか。

 7月末に、ラオスのダムが決壊して甚大な被害が出たが、その後のニュースがほとんどないのはどうしたことか。久しぶりにでたニュースでは、水と泥が引かないために、行方不明者百人ほどの捜索がいまだに出来ないでいるという。このダムの決壊については人災ではないかとの報道が多かったようだ。ラオス政府もその立場から原因究明をしているというが続報がないのである。

 このダムは韓国の会社が主に建設にたずさわり、タイに電力が供給される予定だった。ラオスは資源に乏しく内陸のために風光明媚な観光地も少ない。外貨を稼ぐために電力を売る目的で建設されたダムだということだ。ところがダムは決壊し、下流域に甚大な被害をもたらしてしまった。ラオスにとってずいぶんな痛手だろう。その責任を求める気持ちは強いものと思われる。

 決壊前に兆候があったのに対策が遅れ、緊急放水を開始したときにはすでに手の施しようがなかったらしい。ダムの現場の担当者たちはいち早く危険を察知して逃げ出して無事だったようだ。下流域の人びとへの通報など、手段がないだろうから当然していないだろう。そもそもこのダムの方式は安上がりに済む極めて旧式のものであり、そのうえ手抜きがあったのではないかともいわれている。

 ラオスは人災の点も加えたペナルティの賠償請求を韓国に行うと報じられている。韓国の会社は下請けに任せて建設したらしいが、それがどのような下請けで、技術力や経験がある人間が建設したのかどうか。

 韓国は天災であると主張している。その事後処理を世界が見ている。その対処を誤れば、韓国は今後海外での巨大プロジェクトの受注に大きな支障を来すだろう。自業自得ではあるが。

 ラオスは国際的な場で韓国の会社への責任追及の協力を求めているのだが、韓国のロビイストの力が強いために各国はラオスの肩を持てないでいるとの報道もあった。中国が支援をすると申し入れたが、ラオスは紐付きになることを恐れてそれをことわった。そしていま頼ろうとしているのは日本であるという。それに対してどうしたのか、いま最も知りたいのはそのことである。

大雨のニュースを見て

 東北や北陸で大雨が降っているという。テレビのニュースで最上川の本合海(もとあいかい)のあたりの濁流を見た。いまは古口だけれど、本合海は昔の最上川船下りの乗船場所だった。芭蕉もここから乗船して船下りを楽しみ、清川村のあたりで下船している。

 いまの乗船口のあるその古口から最上川の支流を南に遡るあたり一帯が戸沢村で、父の生まれ故郷はいまはその戸沢村に含まれるようになっている。その戸沢村も避難勧告が出るほどの大雨で、被害がなければ良いが、と心配している。父のふるさとの遠い親類の人たちに最後に会ったのはもう四十年以上前のことなので、ほとんどすでに亡くなっているだろうが、多少は自分と血のつながったその子孫がいるはずである。他人事に思えないのである。

 北陸、能登半島の七尾市のあたりも大雨のようだ。七尾や羽咋のあたりは金沢営業所に勤務していた頃にしばしば走り回ったところなので、やはり他人事ではない。能登は山から小さな河川がたくさん海へ流れ込んでいる。大雨が降ればそれらの河川があふれることもあるだろうとは想像がつく。こちらも被害がなければと願っている。

 現在日本を直撃しそうな進み方をしている台風21号はずいぶん強い台風のようである。今のままだと東海地区でもかなりの雨風が吹き荒れそうだ。名古屋の人びとは伊勢湾台風のトラウマが強くあって、若い人も親や祖父母から繰り返し聞かされているので台風には敏感である。日々台風の動きに注目していることだろう。本当に今年はいろいろと天災の多い年である。これはやはり温暖化が影響しているのだろうか。

教育して制限せよ!

 日本の外務次官と中国の王毅外相の会談に際して、中国側が取材陣のうち産経新聞を排除したことに抗議するため、日本側記者団は一斉に引き揚げたという。日本政府はこの件について中国側に抗議した。

 しかし、あの華春瑩・中国外務省報道官は日本の抗議を「理不尽な抗議で受け入れられない」と一蹴した。いままでの中国から予想されるとおりの反応である。

「両国が相互尊重と友好対等の原則で調整するものだ」という言い分は受け入れるかどうか別としてなんとか理解するとして、問題はそのあとに「日本政府は自国メディアを教育し制限しないといけない」と言ってのけたことだ。

 中国は自国メディアを「教育し制限している」と公言していると受け取れる。ここまであからさまにいうとは驚くべきことだ。そして日本も当然そうすべきだ、とおっしゃっているわけである。日本政府はまさかそのようなアドバイスは受け入れはしないだろう。日本はそういう国ではないのであって、そのことを中国は理解できない国であることをあらためて知ることになった。まさかトランプ大統領を見ていて自国の「教育し制限する」ことに自信をつけたのではないだろうなあ。

 ところで、北京訪問中の二階俊博自民党幹事長は、記者団に対して「互いに細心の注意を払って両国関係を円満に推移するようにしないといけない。今後十分に注意して対応すべきだ」と語ったそうだ。私はこの二階さんというひとはもともと虫が好かないが、この場合も何をいいたいのかよく分からない。嘆かわしいことに、中国の言う通りにおとなしくしろ、と記者団に注意したつもりのように聞こえるのは気のせいか。

2018年8月30日 (木)

ホタテ戦争

 朝のBS海外ニュースによれば、ホタテ漁をめぐってイギリスの漁船にフランスの漁船が船体をぶつけたり石を投げたりしたという。信号弾のようなものを撃ち込んだという話もあるようだが、イギリス側の船体に損傷があったものの、けが人はなかったそうだ。

 イギリスとフランスはホタテ漁については互いの海岸から19キロ以内の操業は禁止するが、それ以外の公海での漁は一応許されている。ただし、フランスは資源保護のために6月から9月のあいだは自国の近海も含めて禁漁期間を設けている。今回の騒動はフランスの海岸から近い公海上でのものである。

 フランスの漁師にすれば、公海とはいえ禁漁している目の前の海で底引きの網を入れて根こそぎホタテを漁獲されていることに腹が立ったのであろう。

 イギリスの漁師は、「こわかった。こんどはもっとイギリスよりで漁をすることにする」とインタビューに答えていた。イギリスの弁護士は「合法的な漁なのに暴力行為に訴えるのは不法である」と語っていた。

 合法的ならかまわない、というのは弁護士なら当然言うだろうが、今回の件はフランスには資源保護で禁漁期間が設けられているのに、イギリスにはそれがないというアンバランスにあり、これは国と国が話し合って妥協点を見つけないと、争いがエスカレートしそうである。私の気分ではフランス側に与(くみ)したい。

 幸いフランスとイギリスならなんとか話せそうであると思う。どこかの国は韓国の漁場に大挙して押しかけて、韓国の太刀魚をごっそりと獲っていると伝えられている。さすがの韓国も強硬手段にうって出てようやく中国政府も自国の漁民に自重を促したそうだが、そもそも中国の近海は汚染されている上に乱獲で、韓国や日本の周辺の海で漁をすることが多くなっていると聞く。さらに最近ではアフリカ沖や、南米にまで遠征しているそうだ。自国の巨大な胃袋を満たすためとはいえ、いまに世界中から顰蹙を買うことになりそうだ。すでに買っているか。

 中国では栽培漁業を検討しているのだろうか。それなりの海岸線を有しているのである。ある程度は可能ではないのか。それとも汚染されすぎていて、栽培漁業そのものが出来ないほどなのか。そんなところで養殖された魚は漁師も食べないなどということのないように、中国政府も手立てを尽くす必要があると思うが、いまのところその気はなさそうだ。

 どなたかのご意見のように、日本と中国が話し合うと「歴史問題」を持ち出すのだろうか。そうすると日本がたじたじとなって腰砕けになるのに味をしめてしまうという、悪い癖がついてしまっているのかも知れない。情けないことである。フランス頑張れ!

『午後の愉しみ 開高健対談集』(文藝春秋)

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 十五人との対談16篇(吉行淳之介が二回)が収められている。三部に分かれていて、『釣りと食べ物をめぐって』、『文学的なるものをめぐって』、『戦争と人間をめぐって』の表題でそれぞれのテーマが示されている。対談相手が豪勢で、その蘊蓄と諧謔とレトリックを楽しんだ。

 冒頭が團伊玖磨、この人のエッセー集、『パイプのけむり』シリーズで若いときに大人とはどういうものかを教えられた。山ほどのこだわりとふるまいのエチケットをもたなければ大人とはいえないと思い知らされたのである。アラスカの釣りについての大庭みな子との対談は、女性にもこんなに豪快なひとがいるのかと目を見張らされる。

 井伏鱒二との釣り談義は釣りを話しながら文学論を背後に重ねて、大先輩を敬しながら持論を展開していく。天上人の会話の雰囲気がただよう。阿川弘之との食についての対談は、本物の食通とは何かを教えてくれる。およそ凡人のおよばない境地である。

 丸谷才一や吉行淳之介、辻邦生、清水徹との対談ではその蘊蓄がキラキラと輝き、わざと下がかった話しを振り向けながらそのような話の奥底が突き抜けて、文学とは何か、人間とは何かを丁々発止と語り合う。吉行淳之介のはにかみが記憶に残る。

 野坂昭如との戦争と戦後についての語り合いは、観念的な戦争ではない、自分自身のリアルな記憶がもとになっていて、戦争とは何かを知らされるのだが、本当の戦争はその場にいなければ決して分からないことも同時に思い知らされる。これは安岡章太郎や大岡昇平との対談でも同様である。こちらの二人は少し年上で従軍体験があるので、その軍隊での実体験の話は彼等の小説を読み直したい気持にさせる。

 小松左京の博覧強記はよく知られるところだが、それに負けないほどの知識を駆使してあちらを撃ち、こちらを突いてそれに打てば響くように答える小松左京のすごさを引きだしている。武田泰淳との対談では日本に亡命していた中国人たちについての話題が主であり、革命家たちの実態が生々しく語られる。秋瑾女史についての話しなどは興味深い。返す刀で日本赤軍がばっさりと切られているのも面白い。革命とはなにかが観念ではない形で語られるのである。

 最後にラブレーの書(『ガルガンチュワ物語』など)を翻訳した渡辺一夫とのラブレーについての対談が収められている。スカトロジー満載のその書については、以前読み囓って辟易したことがあるが、その背後に隠されたラブレーの書きたかったことが初めて分かった。分かったけれどいまさら読む気力はないが。

 やはり名の知れたひとの底はとてつもなく深いものだということをあらためて知らされるとともに、自分の浅薄さも思い知らされたけれど、この本の中でとりあげられたさまざまな本を読みたい気持になった。何しろ開高健の本はエッセーや対談はずいぶん読んでいるのに、肝心の小説の一部しか読んでいないのである。

2018年8月29日 (水)

初新サンマ

 昨年はサンマが不漁だったが、今年も同様ではないかといわれていて、新サンマを食べる機会が無いかも知れないとあきらめていた。ところが漁が解禁になった北海道では大豊漁だという。豊漁がいつまで続くか心配はあるが、とりあえずめでたいことである。

 多分あるだろうと近くのスーパーをのぞくと、いい姿のサンマが並んでいる。やはり冷凍サンマとは全く違う。早速購入して昼に塩焼きにした。

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 大根おろしをそえて食べたあとの姿である。はらわたももちろんいただいた。あまり美しくない写真で恐縮だが、サンマは成仏してくれただろうと勝手に思っている。

そのときに何を考えたのか、いま知りたい

 いま、『開高健対談集 午後の愉しみ』という本を読んでいる。初版は1974年で、私のもっているのは1978年出版のもの。買ってすぐに読んだ記憶があるので、四十年ぶりの再読である。開高健は、以前書いたことがあるが、私が強く影響を受けた作家である。当時この本を読む前に、『開高健ノンフィクション全五巻』のうちの『河は眠らない』、『路上にて』、『孔雀の舌』の三巻を古本屋で見つけて買って読んでいる。さらに『最後の晩餐』、やはり対談集の『悠々として急げ』という本を手に入れて読んだ。これらは私の宝物だ。

 いまそのうちの『午後の愉しみ』を読んで開高健のすごさをあらためて感じているところだが、この本についてはもうすぐ読了するので、あとで紹介することになると思う。この本を読んでさまざまに感じ、考えたのだけれど、初めて読んだときにどれほど読み込めたものか、そして一体何を考えたのか、もちろんもう覚えていない。なにかに書き残していれば、そのときの自分といまの自分がどれほど変わったのか、全く変わっていないのか分かるかも知れないのに残念である。

 こどもの時から本が好きで、ずいぶんたくさん読んできた。しかし世の中に本は山のようにあって、一生のうちに読める本はその中のほんのわずかでしかないことに、まことに残念な思いがする。しかも読み取る能力やそもそもの素養がお粗末であれば、その本のわずかしか自分が受け取ることがないのである。読み飛ばせば数は読めるけれど、自分に残るものがわずかなら本当に読んだとはいえないし、だからといってあまりに几帳面に読んでいれば読める数もさらに限られてしまう。

 再読して最初に読んだときの感想と比較し、読みに深みを与える、つまり時間というファクターを入れることで読みに立体感が出るように思う。そんなことをいまごろ気がついて、いままでなにをしてきたのか、なんと無駄な時間を過ごしてきたのか、と残念に思うが、後悔先に立たずである。

 若いときよりは若干とはいえ読み取る力はついていると思っている。限られた時間であるならば、再読に値する本をもっとたくさん読み直すことにしようかと考えている。幸い棚には山のように再読を待つ本が並んでいる。その分新しい本を買うのに制限をかければ、多少はふところも楽になるし。

2018年8月28日 (火)

映画『ブレードランナー 2049』2017年アメリカ映画

監督ドゥニ・ビルヌーブ、出演ライアン・ゴズリング、ハリソン・フォード、アナ・デ・アルマス、ロビン・ライトほか。

 元気が出たので、『ジェイソン・ボーン』、『猿の惑星:聖戦記(グレート・ウォー)』、『ワンダー・ウーマン』『ブレードランナー 2049』等々、長い映画を立て続けに観た。それぞれ見応えがあったが、特に『ブレードランナー 2049』は素晴らしかった。

 もともとの『ブレードランナー』が大のお気に入りで、もう四回ほど観ている。それを継ぐ物語であるから変な出来ならがっかりだが、幸い上出来である。何しろエンドクレジットを入れると164分という長尺であるが、夢中で見ているうちにあっという間に時間が過ぎた。

 ライアン・ゴズリングが主演というのでイメージを損なわないか心配だったが、彼のなんとなく人生を投げたようなあの表情が役柄に最適であった。ストーリーに振り回されてなすがままになる快感を味あわせてくれる映画である。一年くらいしたらもう一度観直したいと思う。今度はストーリーよりも世界観と映像を楽しみたい。

 ストーリーを紹介するのは別のひとがするだろうから、手放しで賛辞を送るだけにする。フィリップ・K・ディックのSF短編小説『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』をもとにして、リドリー・スコットが作り上げた世界観が、少し洗練された形だが、そのまま踏襲されているのが嬉しいではないか。

 フィリップ・K・ディックの小説を一時夢中で読んだが、『マイノリティ・リポート』、『トータル・リコール』を始め、いくつも映画化されて、しかもそれぞれがけっこう傑作に仕上がっている。原作では想像が出来ないほどの映画になっているのにいつも感心させられる。それだけ私の想像力が貧困なのだろうか。

 前作の『ブレード・ランナー』を全く知らずにこの映画を観ては、多分面白さが半分以下になってしまうだろう。展開の意外性も楽しめないような気がする。もし観ていないなら、前作を必ず観てからにすることをおすすめする。

ほかに理由があるのだろうか

 朝五時に窓を開け放ち、外気を入れても気温は29℃ある。とても朝のさわやかな空気というわけにはいかない。天気が良ければ少しは外歩きに努めようと思っても、昨日のようにかんかん照りで最高気温が37℃もあると、夏バテ気味の身体には却って毒であると思ってつい外出は控えてしまう。いつまでこんな猛暑が続くのだろう。

 一日に二度ほどネットニュースを閲覧する。特に海外ニュースが面白い。中国と韓国のニュースを中心に見る。中国のニュースはニフティが比較的に充実している。韓国のニュースはヤフーの方が充実しているようだ。韓国のニュースの日本語版が見られるのだが、その日本語がどうもこなれていない気がする。こんな日本語はないぞと思うものがしばしばで、論理の流れが上手くつかめないものも多い。韓国特有の言い回しがあるのだろうか。それとも不出来な日本語への翻訳ソフトでも使っているのだろうか。それとも私の頭が粗雑で、レトリックの多い韓国の文章について行けないだけなのか。

 朝鮮日報のニュースで、「経済指標悪化の責任?文在寅大統領が統計庁長官を更迭」というのが目についた。韓国経済の今後の見通しについては、どの韓国メディアも悲観的な伝え方をしている。まだそこまでひどい状態ではないようにも思うが、とにかくマスコミというのは大げさである。ただ、好調から不調への転換点はその時点では気がつきにくく、低調が明らかになって初めてあのときが転換点だったと気がつくものだから、それだけ韓国のマスコミは敏感だと云うことでもあるのだろう。何しろ日本という前例をずっと見ているから、予想が立てやすいのかも知れない。

 それにしても経済指標の悪化の責任を統計庁の長官が問われるというのは不審である。統計は結果であって、統計庁が経済を悪化させたわけではない。それとも統計数字を意図的に操作したとでもいうのか。中国ならいざ知らず、それなら犯罪である。それとも政府が知られたくない、隠しておきたい統計数字を正直に公表してしまったとでもいうのだろうか。

 よく読むと、韓国政府は経済は好調を持続していて悪化していないと主張しており、それに沿った統計指標を選択的に公表すべきなのにその意に沿わなかった責任が問われたのではないか、という。韓国も高齢化が急速に進み始めており、六十代の退職者が増えたために所得階層の所得格差が悪化したという点を広報しなかったことが問題とされているようだ。

 それは日本も同様で、団塊の世代が一斉に六十五歳を過ぎて多くが年金生活に入ったから当然所得が低下した。それを所得格差の増大だとマスコミや野党が騒ぎ立てているが、先日の調査では、日本人全体の生活の実感は「満足している」ひとが増加しているのである。これは政府の調査なので、マスコミも野党もそっぽを向いてこの結果にしらんふりをしているが、私の個人的な実感としてはその調査結果に不審な思いはない。

 ところで、韓国で同様の調査をしたらどういう結果になるだろう。「満足している」ひとは少なくて、「悪化している」という回答が多いようなら、文在寅政権は今後支持率が低下するだろう。それを統計庁の長官を更迭する、などと言うことで弥縫するのは筋違いだろう。

 それともこの更迭にはほかに理由があるのだろうか。

2018年8月27日 (月)

久しぶりに『西遊草』

 幕末の志士・清河八郎が母親を伴って、庄内から日本海、長野、名古屋から伊勢、さらに奈良京都、そして海路金比羅宮、さらに安芸の宮島まで旅してふたたび京都、名古屋、江戸を経て庄内までの約半年間の旅の日記を『西遊草』という。

 枕元に睡眠薬がわりの本が積んであるなかの一冊なのだが、ここのところしばらく手にしていなかった。思い立って久しぶりにまた読み始めた。ちょうどこの旅の一番西、安芸の宮島にまで至ったあたりである。その中の一節がちょっと好いので紹介する。

「吾(われ)は天下を周遊せし漫遊生なれば、度外にあるべきなれども、安芸の宮島は吾国(わがくに)の男子とても万人に独(ひとり)にて、多くは金比羅より帰るなり。然るを今度幸ひにして母をいざなひ来たりしは、吾(わが)こころの大慶のみならず、母ものちのはなし種と、ともにこころよく三杯をあけ、酔ひを尽しぬ。『すべて天下の名所は、家にありて話をきくときは、まことに面白きありさまなれども、自らそのところにいたり見るときは、いずれも聞きしに劣るものなるに、宮島はききしにまさる美事なり』と母のよろこびしに、吾れも此迄遠くいざなひきたりし益ありと、こころによろこび、別して酔をなしぬ」

*度外 数に入らないとか、のけものという意味だが、この場合はふつうの人とは違うという意味であろう。

 多少読み難いけれど、意味は読み取れるであろう。母親がこの旅を喜んでくれていることを、息子として嬉しく思う気持ちが素直に書かれている。読んでいるこちらもなんだか嬉しくなるではないか。

 それにしても清河八郎はよく飲むのである。旅先で知人などに出会えばすぐ酒盛りである。嬉しければまた酒盛りである。このときは母親も美味しそうに酒を飲んでいる様子が見えるようである。

 清河八郎と言えば幕末の志士の中であまり良い見られ方をしないひとで、策士で傲岸不遜であるかのように語られる。多少好意的にこの人を書き留めているのは、同じ郷里の藤沢周平くらいかも知れない。私の父のふるさとは清河八郎の出身地である清川村とは遠くない。なんとなく思い入れがあり、二度ほど清河八郎の記念館を訪ねている。ここでこの『西遊草』という本を教えてもらったのである。

 まだまだ半分も読み終わっていないが、清河八郎親子と一緒に旅する気持で、楽しみながら読み進めたいと思っている。

理由に思い当たる

 三日ほどゴロゴロしていた。いつもゴロゴロしているといえばその通りなのであるが、たいていゴロゴロするのにすぐ飽きてきて何か始めるのに、今回は自分で信じられないほど寝たり起きたりだけの状態に陥っていた。

 しらこばとさんに喝破されてしまったのだが、無気力状態の原因がどん姫の結婚による喪失感によるものであることに思い当たった。息子も娘もとっくの昔に親離れをしているのに、私は子離れができていなかったのだ。親離れを促すことに成功して役割をまっとうしたと思っていたのに、自分自身がそのことを受け入れ切れていなかった。

 思えばクールなどん姫がこの数年ずいぶん優しくなってきて、そのことに甘えていたような気がする。理由が分かれば気持を立て直すことが出来るだろう。とはいえ多少時間はかかりそうだ。それでも読みかけの本を読み始めたり、映画を観たりする気になってきたので、どうやら底を抜け出せそうだ。

 気にかけていただいた方がいることに心強い思いがした。泣き言をブログに書いたのは、それを多少期待していたからだろう。それほど参っていたのである。独りで自由に生きることに楽しみを感じる気持ちを早く取り戻そうと思う。そもそも自分勝手な人間だから、自分で立て直すしかないのだし。

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2018年8月26日 (日)

無気力状態

 気持が夏バテしているのか、無気力状態に陥ってしまった。やりたいことがなんにもない。したいと思わない。以前は欲しいと思っていたものも、特に手に入れたいという気持が失せている。なにかをしたり手に入れることによって自分がどう変わるのか、その実感が想像できなくなっている。

 それよりなにより、怒りの感情が失われている気がする。いままでなら腹を立てたであろうニュースを見ても、気持ちがほとんど騒がない。精神科に行けば、軽い鬱状態ですね、といわれるかも知れない。しかし、どうもそういうことではなくて、「無常観」という状態にはまっているというのがしっくりする。自分の未来という世界が実感できなくなっている。時間の中の自分を見失っているようだ。

 ここから無理に脱しようとするのはあまり善くない気がしている。こういうこともあるさと、諦めではなく、開き直ってじっとしておくのがいいようだと感じている。ブログを書く材料は、書きかけで中途半端のままのものを含めてないわけではないのだが、そういうわけで放り出したままになっている。

 こういうときは人に会いにいったり、旅に出るのが良いのだが、何しろ出掛ける気力がないのだから如何ともしがたい。無理をするとひとに迷惑をかけるおそれもあるのでボンヤリしている。こういうときに酒を飲むと限度なしになる危険があるのでそれだけは我慢している。

 いまにボンヤリするのにも飽きてくるはずだから、それを待つことにする。

2018年8月25日 (土)

旅心疼く

 中国の旅番組や紹介番組はほぼ欠かさず観る。だから地名については知識が多少は豊富になっている。

 マイコレクションの、平成19年に放映された『関口知宏の中国鉄道紀行』春の旅全四回、秋の旅全四回を久しぶりに楽しんだ。一回分が110分だから、全部観るのは大変だけれど、何しろ中国が好きで旅が好きだから、自分が旅をしているように堪能した。

 全行程36000キロの旅で、チベットのラサを出発して西安までの17000キロの春の旅と、西安からカシュガルまでの19000キロの秋の旅である。最短距離ではなく、中国内をとことん回りつくす最長片道切符の旅である。これだけの長時間でも総集編のようなもので、実際はもっと途中下車先でさまざまなところを訪れ、体験をしているはずだ。さまざまな地名になじみのあるところが出るとそれだけで嬉しい。ましてや自分が行ったところは格別だ。

 このような旅が可能なのは、関口知宏が健康であるからだろう。まず好き嫌いなく何でも美味しく食べられること、下痢や便秘をしないこと、睡眠が不規則なことに耐えられること、長旅の疲れを蓄積しない回復力があることが必要だ。それ以上に必要なのが精神の健全さ、明るさと人なつっこさ、子供好きであることだろうか。

 語学力があること、歌えること、楽器が弾けること、人が感心する程度に絵が描けることなど、関口知宏には旅のお供に必要なスキルも備わっているのはうらやましい。平成19年といえば2007年で、それからずいぶん時間が経っているから、中国もずいぶん変わったことだろう。

 形の上では独り旅だけれど、実際には通訳が同伴しているしスタッフもいる。それなら自分でも同様の旅が出来るかといえばとても無理である。無理は無理だけれど、しかし同じような旅が出来たらどれほど楽しいことだろうと思う。若いときしか出来ない旅であるし、若い時は金も時間もない。この歳になれば金はあまりないが時間だけあるとはいえ、そもそもの体力、つまり健全さが失われているのは本当に残念だ。

 さまざまなひととの出会い、車窓の景色は心に沁みる。美しい景色ほど、なんだか哀しくしんみりしたものに感じるのは不思議だ。多分私は、旅に明け暮れた寅さんの目で車窓を眺めていたのかも知れない。そんなことを考えていたら寅さんシリーズを観たくなってきた。すべて録画してコレクションで揃えているのだ。

0056 これは初めての中国への旅の時、西安で撮った写真。26年前。中国もずいぶん変わった。

 リタイアしてすぐの頃には一人で中国に何度か行った。まだ体力も気力もあった。いまは代わりにマイカーでの国内の独り旅を楽しんでいる。懐具合と相談してのケチケチ旅行が、結果的に見知らぬひととの出会いの機会をつくり出すことになって面白い。人見知りする私も、旅先では少し人なつっこくなれるのだ。九月末にはいつもの友人達と遠出をする。それを思うとわくわくする。どこへどんな旅に行くのか、それは帰ってからのお楽しみである。

2018年8月24日 (金)

昨日の散歩・つづき

 今回の散歩は健康センターコース。台風の影響であろう、風が強い。

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いつも定期検診に行く総合病院が見えてきた。田んぼのなかにある。

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本来風は見えないけれど、稲が風で靡くので風が見える。

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大きな鳥が風に逆らって飛んでいるがなかなか前へ進まない。

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田んぼの中をのぞくとザリガニがいた。

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さらに歩くと目的地の健康センターが見えてきた。

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空はこのように青空なのだが、パラパラと雨が降り出したのであわてて健康センターに駆けこむ。

昨日の散歩

 昨晩から断続的に吹き続けていた強い風は、今朝も続いている。ベランダの隅に片付けておいたはずのものが一部吹き飛ばされて転がっている。いままで強く風が吹いてもこんなことはなかったから、よほど強い風だったのだろう。

 熊野川が氾濫したというニュースを見たが、どのあたりがどれほど被害を受けたのか、まだ分からない。川湯温泉や湯ノ峰温泉には何度も行っているし、瀞峡、十津川を歩き、熊野三社もその都度参拝している。しばしば十津川あたりは崖崩れなどで通行止めになるところだ。それほどひどい被害でなければ良いが。

 その台風の影響が出る前に、と昨日昼前に健康センターコースの散歩に出掛けた。かなり蒸し暑いが風が吹いているので多少は楽である。たびたび言い訳しているが、花や木、虫、鳥の名前を知らない。知るようにもう少し努めれば良いのだが、教えられても右から左で頭に定着しない。頭の出来が悪いのである。拝見しているブログでさまざまな花や鳥や虫の写真と名前を見て、その知識の豊富なことにただ感心するばかりだ。

 昨日は、昔買った手ぶれ防止のついていない安いレンズをカメラに装着してカメラテストの目的で写真を撮った。

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ダリアの花だろうか。

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これが夏の花、ノウゼンカズラであることは父に教えてもらった。

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これがサルスベリであることはかろうじて承知している。

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里芋の葉だろうか。夏の日照りにぐったりしている。

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門柱に載っているのはシーサーだろうか。

2018年8月23日 (木)

釣り魚を食べる(1)

 釣り道具を処分するに際して釣りの楽しかったことを思い出している。私にとって、釣りの楽しみは釣り上げるよろこびと、それを食べるよろこびだ。私の釣りは食べるための釣りだ。子どもたちがいたときは特に食べさせるよろこびも大きかった。釣りをあまりしなくなったのは、子どもたちがそれぞれ独り立ちして家を出たので自分しか食べないから、釣って帰るよろこびが半減したからかも知れない。何しろたくさん釣ってもしようがないのだ。

 思い出すままに釣り魚の話をしていく。まずグレ(メジナ)。

 防波堤の釣りだから小さな型も釣れるが、掌(てのひら)サイズに満たないものは基本的にリリースする。釣り針で特に傷ついてしまったものは仕方がないから小さくても成仏(つまり食べさせてもらう)してもらう。釣って帰ったら内臓を取り除き、まず塩で表面のぬめりを取る。一度ではぬめりは取れないので、二度三度と濃い塩水で洗う。ウロコは引かない。これがポイントである。

 表面に塩を再度振ってウロコ付きのまま塩焼きをする。魚を焼くときは餅を焼くようにひっくり返してはいけない。とにかく良く焼けるまで決して返さないのが肝心である。ひっくり返したら上側の焼けている面の皮をウロコごと剥がすと、面白いようにペロリと剥ける。そこにちょっとだけ醤油を垂らして食す。まだ片面は焼いている最中であるがそれで好いのだ。

 グレは磯臭いなどというが、ぬめりさえきちんと取ってこうして焼いて熱々の身を食べればまことに美味しい。だから私はボンベの卓上コンロの上で焼く。もちろん酒を飲みながらである。

 ついでだが、甘エビ(国内産は高いからグリーンランド産あたり)が手に入れば、身はもちろん生で食べるけれど、塩を用意しておいて頭と尻尾はコンロの上であぶる。子供など、身よりも頭のうまく焼けたものの方が香ばしくて美味しいなどというほど美味しい。

釣り道具を捨てる

 就職してすぐにゴルフを覚えることを薦められた。営業に配属されたから、仕事に必要だということだった。運動神経には自信がない。球技は自分の長身を利することの出来るバスケットと、学生時代よくやったバトミントンと卓球はかろうじて人並みだけれど、全般に苦手である。先輩に何度かゴルフの打ちっ放しに連れて行ってもらった。左利きなのだが、右打ちをするように教えられた。右打ちだと自慢の腕力が活かせないが、コントロールが良くなるそうだ。

 そのあと本格的に始めるために御徒町のゴルフ用品の店にクラブを買いに行った。こういうものを買うときはわくわくするものだ。そのクラブを買い、それで自分がボールを打つときのイメージが浮かぶはずである。それがそんな気分にならない。

 その隣に釣り道具屋があった。ゴルフクラブをかうのに逡巡して、飽きてきたのでそちらをのぞいた。いろいろな種類の竿が並んでいる。店員にいろいろ教えてもらった。何も知らない私に丁寧に説明してくれた。買いそうに見えたのであろう。投げ釣りというのは知識で知っていたけれど、初めて竿やスピニングリールの実物を触った。気がついたら4.2メートルの超ハードタイプのグラスロッドと五号のラインを巻き、八号のテーパーをつけた(釣りに詳しいひとしか分からないか)スピニングリールを購入していた。

 こうしてゴルフとはついに縁を繋ぐことなしに、釣りが趣味となった。私の育ったのが九十九里浜に近いところで、そこから銚子の手前の飯岡まで50キロたらず。そこは太平洋に面して波が荒い。その防波堤から遠投するとイシモチという魚が面白いように釣れる。夜明け前から釣って三時間程度で三十くらいはあたり前に釣れるのである。あれくらい前の晩からわくわくとしたことはほかにない。この竿はキスを釣るには適さないが、荒波に遠投するイシモチ釣りに向いていたのだ。重い木刀の素振りに似た腕力を必要としたが、それが爽快なのである。

 そのあと釣り好きの仲間も出来て、船釣りで東京湾へアジやスズキを釣りにいった。冬のさなかに横須賀沖に快速艇で遠征し、大型のイシモチなどを釣りにいったり、平塚沖にイナダ釣りにいったりした。そのころには拠点が熊谷に移っていたから大遠征である。

 名古屋に転勤してからは船舶免許を持っていた友人と船外機付きの貸し船で浜名湖のカワハギ釣りを楽しんだ。知多から船でやはりカワハギ釣り、アジ釣りを楽しんだ。定宿にする船宿も出来た。得意先の釣り好きのひとと御前崎まで遠征して大型アジやワラサなどを釣りにいったりした。

 歳とともに船釣りが大儀になり、防波堤の釣りを楽しむようになった。最初は知多で遊んでいたが、あまり釣れないので、三重県の南島町まで脚を伸ばすようになった。メジナ(いわゆるグレ)の中小型が面白いほど釣れる。

 子どもたちはさいわい魚ぎらいではないので、釣った魚を美味しく食べてくれる。そのかわり鮮度の悪い魚にはうるさくなったが、本物を知っていることは善いことである。知多で春先には小アジや小サバその他の小魚が釣れる時期がある。ときどき子どもたちを連れていった。ハゼ釣りにも毎年行った。子どもたち専用の竿ももたせた。

 震災の年に父が大往生をして、釣りを控えるようになり、そのあと母の介護の手伝いが始まって釣りに行くどころではなくなった。そして母が亡くなって釣りに行かなくなってしまった。行きたい気持がないわけではないのだが、これも一つの習慣のようなもので、一度億劫になると早朝出かけることがつらくなる。

 気がついたら数多くの釣り竿、リール、釣り用のクーラー大小、釣り針やテグスなどの小物が山のように残っている。使い古して人にあげられるようなものではない。思い出だけ残して処分することにした。

 防波堤用に小ぶりの竿二三本と仕掛けなどをわずかに残したのは未練である。

2018年8月22日 (水)

眠い

 昨晩は本を読んだり数独パズルをせずに、ペギー・リーのハスキーボイスを低めにかけたまま電気を消して早めに就寝したので、今朝はいつもより早く、五時前に目覚めた。睡眠は足りているから気持ちの好い目覚めである。早めに寝ると却って夜中に目覚めて調子が狂うことが多いので、寝る前に睡眠薬を飲んだ。だからいつも以上によく眠れたようだ。

 いつものように朝のコーヒーを飲みながら、いろいろな懸案事項や今日やるべきことをメモに書き出し、テレビのニュースを確認しブログのニュースをチェックしたあと、ゆっくりと朝食をとる。大変よいリズムである。

 それなのに、朝食後気がついたら卓の前でうたた寝している。いつの間にか三十分ほど眠っていたのである。それも横にならずに坐ったままで。片付けをして洗顔し、座椅子の横に積んだ本を選んで読みだして・・・。気がついたらまた寝ている。

 肥満による糖尿病、痛風、高血圧が持病で、定期的に病院で検診している。もう十年以上前からのことであり、一生のことだろうと思う。さいわい病院の厳しい指導のお蔭で、肥満が少し改善したので処方される薬の量はそれに応じて少し減った。あのつらい痛風の発作はなくなっているので、痛風の薬の処方は現在中断している。

 五年ほど前から強いストレスのかかることがあって(ずっと前から抱えていた問題に区切りをつけようとしたことがきっかけである)、それからしばしば眠れなくなるようになった。私の知人は例外なく私が眠れないなどといっても信じない。何しろ横になって目を瞑ったとほぼ同時に豪快にいびきをかいて爆睡するのを知っているからだ。スイッチを切るみたいに寝るね!と感心されるのである。だから社内旅行の時などは、私が最後まで起きているように言われる。必ず私が最後にライトを消すのである。それまでに寝ないのは寝ない方が悪いのである。

 それが本当に眠れない日が多くなった。医師に相談したら、ストレスによる不眠は血圧を上げ、暴飲暴食に走りやすくなり、結果的に糖尿病の悪化を招くという。確かにその兆候が現れていた。医師は副作用の少ない、服薬している薬との相性も良い睡眠薬が最近開発されたのでそれを飲むように勧めてくれた。

 連用性もほとんどないから、続けて飲んでもいいと言われたが、極力回数を減らして飲むようにしている。ドラマで見るような、飲んだらコトリと寝るような効き方はしない。その睡眠薬を飲んで本を読んでいてもふつうに本が読めるし、数独パズルの問題を解くことも出来る。ただ、電気を消して目を瞑ると、考えごとを多少するもののそれが続かず、知らないうちに眠れるのである。

 昨晩はあまり眠れない気はしなかったのに、夜中に起きてしまわないように念のために睡眠薬を飲んだのが原因で、睡眠が足りているのにやたらに眠いのだろうか。どうも睡眠中枢に働きかけすぎてしまった結果のような気がする。今日は特に緊急の用事もないから、身体の勝手にさせておこうかと思っている。明日から三日、台風の影響による雨らしい。籠城の用意は出来ている。リズムは取り戻せるだろうか。

久しぶりの散歩

 自宅から散歩に行くコースは主に三つある。一つは歩いて25分ほどのところにある本屋までの往復。同じ道を通りたくないので、本屋を対角線にした長方形に歩く。本屋で小休止が出来る。本屋に入るとつい本を購入してしまうので、ここでは雑誌のみ買うことにしている。

 もう一つはいつも定期検診を受けていの総合病院の先の市の健康センターへ向かう散歩だ。病院まで20分弱、さらにそこからセンターまで10分ほど。これも同じ道を通らないように長方形に歩く。健康センターは田んぼの真ん中にあり、とても大きく、大きな体育館やアスレチックや武道場、その他いろいろな施設が備わっている。不在者投票や高齢者の総合検診もここで行われる。ラウンジがあって、そこで小休止できる。

 もう一つが木津用水を回ってくる道である。ここにコッツ山公園という小さな公園があり、ここで小休止が出来る。ここが一番遠い。

 さらに息子や娘が通っていた中学校周辺から脚を伸ばすコースもあるのだが、このコースには小休止する場所がないので、春など、セリやツクシ採りに行く時以外はあまり行かない。最近はそのセリやツクシも少なくなったのは残念である。

 しばらく散歩らしい散歩をしていなかったので、昨日久しぶりにコッツ山コースを歩いてみた。散歩も目的だけれど、もう一つカメラとレンズの調子を確認したかった。高倍率ズームレンズが少し不調で、なんとなく動作がおかしい。サービスセンターへ持ち込むつもりだけれど、それが本当にレンズの不調なのか、カメラ本体なのか試したくて、以前使用していた低倍率ズームレンズを装着して試し撮りしようと思ったのだ。

 わざわざ炎天下に出掛けたのは、毎日涼しい家のなかにいて、冷たいものを飲んでばかりいるので、水が身体にたまっている気がして一度汗を思い切り流したかったのである。
 
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途中にある小さな神社の狛犬。

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神社の本殿。

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山の神の石碑があるが、いわれが書いていないので何のことか分からない。

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木津用水、名古屋方面。ふだんはこんなに茶色に濁っていない。

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西の空を見る。空気が澄んで雲がきれいだ。

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木津用水、犬山側。

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コッツ山の上で小休止。空がにわかに暗くなってきた。
コッツ山と言ってもコンクリートで出来ていて、高さは十メート
ルもないので見晴らしはほとんどきかない。

途中で夕立に遭うかも知れないと急いで帰路についたが、結局雨は降らなかった。

2018年8月21日 (火)

内々の約束があってのことか?

 ボルトン大統領補佐官というひとはトランプ大統領と同様変な人のようである。変な人というのは、常識のあまり通用しない、ふつうの人とは違う価値観のひとという意味で、頭が変な人という意味ではない。変なひとどおしはときにとても相性が良いようで、トランプは金正恩やプーチンを優れたひとだと褒めたりしているし、当然ボルトンを自分の片腕として評価しているようだ。

 そのボルトンが、韓国の文在寅からアメリカに報告された朝鮮半島南北会談の内容を暴露した。金正恩が、北朝鮮は一年以内に核放棄することを明言したというのだ。もし本当にそうならめでたいことである。しかし、春に明言したならすでに具体的な核放棄の動きが進んでいなければおかしい。おかしいからボルトンは北朝鮮と韓国にプレッシャーをかけるつもりでこの話を暴露したのだろうと想像できる。南北が仲良くするのはけっこうだが、まずするべきことがあるだろうと言いたいのであろう。

 そのことに直接日本は関係が無い。問題は文在寅が金正恩に言ったというもう一つのことだ。北朝鮮が核放棄すれば、「日本と韓国が援助するから」という言葉である。文在寅が韓国大統領として韓国が北朝鮮を援助すると約束することは出来る。しかし日本が北朝鮮を援助する、と約束することは文在寅には出来ない。文在寅は日本の大統領ではない。日本の金は日本国民のもので、韓国大統領のものではない。

 それなら日本政府の誰か、たとえば安倍首相は文在寅に援助の金を出す、そのことは北朝鮮に伝えてもいいと言ったのか。そうであってもそうでなくても大問題のはずである。

 野党もマスコミもこぞってこの部分を問題視しなければならないと思うが、全くそれを取りあげる様子がない。これは援助すべきかどうかの問題ではない。日本の国の援助を他国の元首が勝手に約束することがどれほど異常なことが、どうして問題にならないのだろう。韓国もアメリカも、日本が援助するのは当然と考えているから、なんの問題も無いと思っているのはともかく、日本のマスコミも野党も、当然国民もそれを聞き流している。

 政府や与党が聞き流しているのは、実はこっそりと約束してあることだからかも知れない。文在寅はそれを問われたら「約束ではない、可能性の問題で、自分は日本にそれを働きかけて援助させることが出来るのだ」と平然と答えるであろう。日本なんてチョロいのである。

 もちろんこれはボルトンの伝聞についての話であるから、都合が悪くなればトランプをまねして「勘違いした」と言うだろうし、文在寅も「そんなことは言っていない」と言って終わりになることもあり得る。それでも少なくともあの言葉に、多くの日本人が「ええーっ!」と言って欲しかった。

他人(ひと)のブログ

 たくさんのひとのブログを読み、たくさんのひとに自分のブログを読んでもらっているひとは多いと思う。とはいえブログに割く時間をどれだけ取れるかで、その数にはおのずから限界がある。ブログにエネルギーをかけすぎるとブログのネタも枯れてくる。

 私もブログを始めてある程度の年数(今年で丸7年)経ったので、毎日楽しみに拝見しているブログの数が少しずつ増えている。更新の頻度が少ないひともいるけれど、とても長い力作もある。あまり長いと性格的に集中力に欠けているので、正直なところ途中から少し雑に読み飛ばしていてもう一度読み直したりすることもある。そのブログだけ読むならよいけれど、ほかにも拝見したいものがたくさんある。

 自分のブログはどうなのだろうか、と考えたりする。つい書きたいことがつぎつぎに湧いてきて結果的に冗漫になることも多い。自分のブログを他人の目で見ることはなかなか出来ないから、分からないのである。

 他のひとのブログを見て、その人の視線でその話題がどう見え、どう感じられているのか、それを読み取ろうと思うときもある。もちろんその人を直接知っていないから、その文章と話題からだけの想像である。その人が、こういうことを面白いと感じ、こういうことにうんざりしているのだなあ、などと勝手に感じるわけである。

 そうするとそれを感じている自分をまた自分が眺めているわけで、案外面白い。

 人と人は互いに相手の顔を見ながら話すのがあるべきコミュニケーションだけれど、独り暮らしでめったに人に会わない私にとって、ブログというものは相手の表情なのかも知れない。その表情を感じる(読み解くほどのことは無理である)機会は、つまり社会とつながっているという安心感を与えてくれるものなのかも知れない。とはいえそれは私だけのひとりよがりなものでしかない。

 独り旅に出かけると不思議に人に話しかけられたり、この私が人に気楽に話しかけたりする。独り旅の最中はブログにあまり気が向かないのも自然なことなのかも知れない。

2018年8月20日 (月)

夏バテか

 涼しい日が続いて身体が楽になったのに、なんだか却って体がだるくなり、気力が低下している。いわゆる夏バテらしい。何もする気がしなくてゴロゴロしている。これでもう一度暑い日が来るとかなりこたえそうだ。いつも拝見している方々のブログも更新が少ないようだ。みんな似たような状態なのかも知れない。

 あまりにも長いこと身体を動かさずに過ごしたので、徐々に外に出て汗を流すよう努めなければいけないな、などと頭の中では考えているのだが。

戦争に関する番組を観た

 昨日は録画していた戦争に関する番組を一日観ていた。毎年夏になれば終戦記念日の前後に戦争に関する特集番組がいくつも放映される。今まではそれをめったに観なかった。理由はいろいろある。その視点に微妙な違和感があったりすることもあるが、多くは自分が戦争の現実を直視するのに耐えられなかったからかと思う。

 それが早坂暁の『新・花へんろ』というドラマを観たのをきっかけにして、今年はそのような番組をずいぶん観ることになったのは、戦争の現実をようやくある距離を置いて見つめることができるようになったからかも知れない。

 春に放映されたものでその再放送を録画していた、NHKの『どこにもない国(前・後編)』というドラマは、戦後満州からの日本人引き揚げに関する実話をもとにしたものだ。丸山邦雄という人の手記をもとにした、子息の邦昭氏の原案をドラマ化したものだ。終戦に先立つ八月六日にソ連軍が突如満州に侵攻、そのときの惨禍が控え目ながら生々しく再現されていた。日本人の引き揚げが時間とともに自然に行われたわけではなく、それを実施するために命がけで奔走した人たちがいることを明らかにしている。忘れてはならない人たちが忘れられていることを知らされた。

 関東軍は日本人を守ることなく逃げ出し、残された人びとが辛惨を舐めたことは知っていたが、それをドラマで直視するのはあまりにつらいことであった。どれだけの人びとが祖国に帰れずに無念の死を遂げて現地に眠っていることか。

 NHKの『ためしてガッテン』のあの小野文恵アナの祖父がフィリピンのルソン島で戦死している。その父の最期を知るために母とともにルソン島を訪ねたドキュメント『祖父が見た戦場 ルソン島の戦い20万人の最期』は、戦争末期、ほとんど戦力を喪失して無力と化した日本軍がどんな悲惨な末路を迎えたのか、それを明らかにしていた。ルソン島の戦場だった地に線香を上げて手を合わせる小野文恵さんの気持ちは、すべての遺族の気持ちとつながっているだろう。

 最期にやはりNHKのドキュメント『ノモンハン 責任なき戦い』を観た。司馬遼太郎があの昭和の戦争を象徴する戦いだったとして、これを文章にしようと資料を集めているうちに、あまりにその日本軍上層部の異様な体質、システムの愚かしさに脱力して、ついに書くことを放棄したことは有名である。彼が兵士として体験したことばかりではなく、多くの人間の死が無意味に見えてしまうことに絶望したのではないだろうか。

 戦いの詳細、ソ連軍と日本の装備の違い、兵力の差、そしてそれを何ら教訓とすることなく太平洋戦争に突入した愚かさ。しかもノモンハンの敗北の責任を責任者たちが誰もとらずに、現場で指揮を執っていた将校に暗に自決を迫って責任を負わせるという、あり得ないような無責任さが暴露されていた。

 戦後、それらの責任者達や兵士の語ったことばが録音テープに残されていて、責任者達の知らぬ存ぜぬ、自分には責任がないと平然と語るのを聞かされて、司馬遼太郎の絶望の深さの一端を痛切に感じた。確かにここに日本の軍部の無責任体質がはっきりと表れている。そしていまの官僚にその体質が歴然と残っていると連想するのは想像のしすぎだろうか。

 ノモンハンでの、そしてその後の戦争遂行で最も責任を負うべき辻政信の責任をついに日本は問うことがなかった。戦犯とは彼のような人たちをいうのであろう。すでに戦犯は連合国の考える戦犯として処断された。しかし日本人が、日本人が蒙った死ななくてよかったはずの無数の人びとの死の責任を負うべき彼等に問うことはいまだになされていない。無念は晴らされていないのだと思った。

2018年8月19日 (日)

チベット 夢の配達人

『チベット 夢の配達人』は、「解放」されたチベットで、野外映画を観せて歩く人とそこに集まるチベットの人たちを描いたNHKのドキュメントである。十年以上前に放映されたもので、昨晩もう一度観た。

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 チベットの山間部(チベットはほとんど山間部だけれど)、ニモ県が舞台である。夏のあいただけ、徒歩か馬でだけ行くことの出来る(つまり車で行くことが出来ない)村々を、映写機と映画のフィルムその他一式を担いで回るトト。いつもは一人だが、今年は18歳の少年プラーが見習として同行する。村々にはまだ電気が通っていないから、重い発電機ももっていく。

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 村と村はそれぞれ20キロから50キロ離れていて、約一月で15~20くらいの村々を回るのである。たいていはその都度次ぎに行く村から迎えが来て資材の運搬を手伝ってくれる。美しいチベットの景色、純朴そのものの村人の姿が胸に沁みる。

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 テレビがふつうに各家庭に普及したのは私が小学生の頃だから、その前は映画が娯楽の王様だった。学校がときどきくれる割引券をもって映画館に行くのは私の無上の喜びであった。多分映画館が客寄せの一環として学校に渡していたものだろう。だからシリーズ物の第一部だけ割引券がもらえたりするので、つづきを観るために親から金をもらうのに苦労した。

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 春の桜祭りや夏祭りの時には広場で野外映画が上映された。いつもは許されない夜の外出がこのときだけは許された。古い映画が多かったから、白黒で雨降りだったけれど、夢中で観た。ドキュメントにはそのときの自分がいた。

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 そのような巡回にはトラブルはつきものである。さいわいそれほど大きなトラブルはなく、小さなトラブルをその都度対処しながら旅は続く。トトはこの巡回を始めて20年、村人との交流は厚くなっている。村人が、彼のやって来るのを待っているのは映画を観たいからだけではないのである。そのことを見習いのブラーに繰り返し教え込んでいく。もっと積極的に村の人たちと話をしなさいと無口なプラー少年にさとす。

 トトが前日の雨にうたれたことや疲労で倒れてしまう。プラーは初めて一人で上映をすることになる。具合が悪いのに心配で起き出して陰ながら見守るトト。トトは結婚していたのだが、不在が長期にわたることを嫌う妻と五年前に離婚している。

 一晩寝ただけでトトは回復する。その頑健さには感心する。トトはプラーを伴って近くの村に住む、以前の自分の親方を訪ねる。元親方はトトとは違い、妻と村に定住することで映写技師の仕事を辞め、トトにあとを託したのだ。

 最後の方で、車の通る道路に近い村を訪ねるのだが、そこにはすでに電気が通っていてテレビもあるという。野外映画には大人はもう来ないで、集まるのは子供ばかりだ。その子どもたちも夢中で観ている者もいるけれど、上映中にふざけて画面の前に立ったり影をつくったりする者もいる。そこにはほかの村で観た純朴そのものだった子供の姿はない。テレビが普及すること、文明が普及することの意味を考えさせられる。

 トトに巡回映画の未来についての見解を尋ねると、巡回映画はずっとなくならないと胸を張る。なぜなら映画は特別素晴らしいものであるからだからだと答える。そして大好きだというユーゴスラビア映画の『橋』の中の歌を口ずさむ。彼こそ映画少年だったのだ。そしてプラーは自分も巡回映画の仕事をするのだと語る。

2018年8月18日 (土)

ちょっと寄り道

 文化大革命の本からの引用を続けているが、ちょっとここで寄り道をしたい。奥野信太郎(1899-1968)という、慶応大学の教授の書いた『随筆北京』という本を読んでいる。戦前に書かれた本で、原文旧漢字のままなので少し読み難いけれど、当時の北京の様子が彷彿とされてまことに面白い。とにかく情緒が深く感じられるのはそれだけこの人が中国を愛していたからだろうと思う。

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 この本にはちょうど彼が北京滞在中に盧溝橋事件があって、戒厳令状態になり、日本人は大使館やその周辺などに籠城した緊迫した話などもあって興味深い。奥野先生、そんな中でも飄々としていたようで、見るべきものをしっかりと見ている。

 特に紹介したいのは「女人剪影録」という文章の一節で、五四運動に言及している部分である。五四運動はベルサイユ条約の結果に不満を持った中国民衆運動で、直接的には日本の対華21ヶ条の要求であり、中国の反日運動の発火点と見ることが出来る運動である。北京の学生数千人が1919年5月4日、デモ行進を行い、それが暴徒化した日を記念している。

「新しい情熱が一つの通り魔のように世を脅かした日は、1919年5月4日ほど激しかったことはなかった。いわゆる世に知られている五四運動の日がそれである。顧みれば二十年前の昔のことである。その間支那は何をしてきたことであったろうか」

「五四運動の中心はいうまでもなく学生層であった。彼等が明日の太陽を夢見つつ、あらゆる因習に反抗して、流血の惨をすらも顧慮することなく、狂熱的に起ち上がった日であった。確かに「狂熱的」に雄叫びの声を上げて起ち上がったのであった。そのために時としてよき伝統すらも破滅せずんばやまずというような愚をすら演じかねないありさまであった。郷閭(きょうり、ふるさとのこと)に教鞭をとること数十年、すでに垂白の老校長が昨日までの尊崇からつき落とされて、旧套陳腐の代表者のように毒づかれ罵詈せられ、あるいは平和な家庭の慈悲深き両親に故意に反抗し出奔脱走をあえてして、数々の嘆きを見せた子女の例など、全国的には莫大の数に上ったのであった。この大颶風が大陸の南部を吹きまくった結果、もし新しい支那が誕生したのであったならば、それはその前提としての胎動であり得たかも知れなかった。惜しむべしその後四運動の背後に青年の純情を利用して、己のために計らんとする旧軍閥の、あるいは党人の私闘が潜んでいたために、その運動によって新しいものが建設されるよりは伝統の破壊の方がむしろ多いくらいだといってもよかった。しかし一面この熱狂的なほとんど知性の指示をすら欠如した運動によってよき伝統さえ安易に失われるほど、支那の生活が因習のために内部崩壊の過程を踏みつつあったということを白日下に暴露したものともいえるのであって、その後この運動の残存した、いわば燠になった情熱の火を、さらに掻き立て、煽り立て、次第に国内統一とか民族意識の覚醒という名称のもとに、熾烈な抗日意識にまで漕ぎつけたのが党人の為政方針であったともいえる」

*原文を現代仮名遣いなどに、一部書き改めている。

 なんだか文化大革命の様相に似ているものを感じないだろうか。

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来年分かる

 ネットで韓国のニュースを見ていると、いっせいにこれからの韓国経済が深刻に悪化する、と報じている。さまざまな指標がそれを示しているというのだが、実際には韓国を支える貿易収支は黒字であり、韓国大統領府も韓国経済は堅調であるという評価を変えていない。

 はたしてこれらのニュースが「ピーターと狼」のピーターなのかどうか。ピーターは自分の言葉に人びとが大騒ぎするのが面白くてふたたびみたび嘘をついて騒ぎを起こしたが、最後に本当に狼が来た。ピーターが「本当に狼が来た」と叫んでも誰も相手にしなかった。この話の詳細を知らないが、ピーターは最初、狼を本当に見たのではないか。

 中国にも同じような故事がある。褒姒(ほうじ)という美しいが笑わない后を愛した周の幽王が、なんとか彼女を笑わせようとして敵の襲来を知らせる狼煙を上げ、太鼓を叩かせた。右往左往する兵士や国民の様子を見て、褒姒は初めて笑った。その笑顔を見たくて幽王は繰り返し狼煙を上げ太鼓を叩いた。ついに誰も応じなくなったとき、本当に敵が現れた。

 いま韓国の輸出の半分をIT関連が支えているという。利益率も高い。投資金額が大きくても利益率が高ければ、その分野はうま味がある。財閥という巨額な投資の可能な存在があったからこそ韓国はそういう分野で成功し、日本を凌駕した。しかし中国はその韓国の財閥以上の投資を行うことが可能な国である。うま味があれば中国が追随すること、そして凌駕することは時間の問題である。すでに年末から来年には中国でフラッシュメモリーの大量生産が始まるという。

 文政権の経済政策を批判する声は多いが、そのわりには支持率の低下は緩やかで、直近では若干回復しつつあるとも報じられている。支持率が低下するのは経済が本当に危機に瀕するときなのだろうか。来年には分かる。心情的には韓国の経済衰退を期待するものがある。それくらい韓国の反日報道にうんざりしている。韓国の貧富の差を表すジニ係数が直近で最大になった(つまり格差が増大している)と報じている。低所得層の不満の圧力が高まれば、いままでの政権のように、いやそれ以上に、文政権は反日に誘導するのではないか。

 北朝鮮が韓国の衰退を喜ぶのではないか、と邪推している。その方が北朝鮮主導の統一の可能性が高いと考えているのではないか。そして文在寅は親北朝鮮であるから、実はその意向をひそかに受けていて、北朝鮮を衰退に導くことを自分の役割と考えているのだ、などと妄想している。結果的にそうなりかねない情況にも見えないことはないのだが。

2018年8月17日 (金)

王輝『文化大革命の真実 天津大動乱』(6)

前回の続き

「毛沢東は、文化大革命が軍の内部に波及するのを禁止した。ゆえに、軍幹部は大部分が批判も打倒もされなかった。文化大革命の混乱を収拾するために、都市に入って、革命委員会の重要な構成員となった。この点から見ると、革命委員会は開眼政府の性格ももっていたと言える」

「毛沢東は、このような手段を用いても、自らの路線に反対する共産党幹部を打倒する必要があると考えた。結果的に文化大革命は、あたかも一場の夢のように消え去って、毛沢東の意図したのとは反対の、鄧小平の改革開放路線を生み出した。だが、よく考えてみると文化大革命には、中国の近代化に必要な人びとのエートスの根本的な変化を生み出したという、プラスの側面もあったと言える」

「共産党の革命は、経済に重点を置くはずである。ところが毛沢東は過剰に、政治や思想に重点を置いた。この点で毛沢東は、ほかの中国共産党の指導者に比べても、際立っていた。人びとは困ったことだと思いながら、このやり方に魅了されてもいたのである」

「毛沢東が行わせた大事なことのひとつは、紅衛兵に「親を批判」させたことである。これは伝統中国の儒教道徳の、根幹に関わる大事件である。儒教は、忠(政治的リーダーに対する服従)と孝(親に対する服従)をどちらも大事だとし、しかも忠より孝の方がもっと大事だとした。親は選べず無条件の服従だが、政治的リーダーに対する服従は条件付きなのである。この意味で中国の君主は、「絶対的」支配者ではなかった。毛沢東が紅衛兵に、親を批判させることが出来たのは、毛沢東が親以上の親である、と子どもたちを教育して置いたからである。教室には毛沢東の正蔵が掲げられ、子どもたちは「毛沢東的好孩子(毛沢東のよい子たち)」とされた。毛沢東こそが「本当の親」なら、自分の親を批判できる。スターリンもカストロも、いくらカリスマがあって個人崇拝されても「親」ではなかった。毛沢東は「親」になることで、中国の人びとのエートスの変更を迫ったのだ」

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「もうひとつ毛沢東の文化大革命の大事な点は、労働者・農民・一般大衆を、政治運動の主役としたことである。伝統中国では、政治は官僚たちの専権事項で、一般の民衆はそもそも政治に参加することを禁じられていた。民衆が政治に参加するときは、王朝末期の宗教反乱で、いよいよ政府が消滅する瞬間だった。毛沢東は、これを覆し、共産党の幹部ではない一般の人びとが、立ち上がり運動してよいとお墨付きを与えた。共産党が間違っており、幹部が誤っているとしたら、誰をあてにすればよいのか。自分たちが立ち上がって、革命を守らなくてどうする。ドブンたちがこの国の主役であるという広範な意識を生み出した点で、文化大革命は大きなプラスの遺産を残した」

このあと、

「中国社会のあり方は、日本と大変異なっているので、日本の類推で中国を理解しないほうがよい」

として、その違いを列記していく。この先は詳細に過ぎて煩雑なので文化大革命の概観についてはここまでとする。

註:「エートス」とは、私のカタカナ語辞典によれば、
①習慣を通して形成された人間の後天的・持続的性格、気質のこと。(アリストテレスの倫理学で用いられた言葉)
②社会精神、ひとつの民族・社会に共通な性格、行動様式のこと。

このあとは著者の王輝氏の文化大革命ついての総括と文化大革命以後についての文章を一部紹介する。

二度寝

 子どもたちが来ていたので睡眠のリズムがまた狂ったようだ。なんだか息子がまだ家のなかにいるように感じられてしまうのは不思議だ。夜中に目が醒めてしまい、眠れなくなったので三時間ほど本を読んだり数独パズルをしたりした。窓を開け放つと涼しい風が通って快適である。こんな風はずいぶん久しぶりだ。明け方、起きているのに疲れて、ふたたび眠りについた。

 私は必ずしも早寝ではないが、早起きである。たいてい朝六時には起きている。それが今朝は目覚めると八時を過ぎていた。こんなことは月に一度くらいしかないことだ。たいていは深酒のあとの二日酔いの朝だ。しかし今日は十分寝たという実感で、目覚めはさわやかである。

 独り暮らしの日常が再開されたけれど、なんだかリフレッシュした気持になれた。なにかが充電され始めている。そうなるとどこかへ出掛けたくなるが、今月はどん姫の祝いに少し無理をして包んだし、来月大きな出費があるのでいまは贅沢は出来ない。高速を使わずに一泊三千円のなじみの湯治宿まで出掛けてのんびりするのも好いかなと思いながら、抜けたような青空を眺めてボンヤリしている。

2018年8月16日 (木)

王輝『文化大革命の真実 天津大動乱』(5)

なぜこのようなこと(文化大革命)が起こったのか。また可能だったのか。橋爪大三郎はこう書いている。

「ふつうこれを、毛沢東のカリスマで説明する。たしかに毛沢東は中国共産党の指導者として、カリスマ的な権威を持っていた。けれども、共産党の指導者がカリスマ的な権威を備えているのは、ソ連でも東欧でもキューバでも北朝鮮でもベトナムでも共通なのに、文化大革命が起こったのは中国だけだ。それに、毛沢東の指示に基づく大衆反乱、という文化大革命のイメージは、その実態をとらえ損なっている。実際には党中央は文化大革命の最中も機能し続け、文革の闘争は共産党の内部で、上部の指示にもとづいて行われた。王輝氏はこの実態を本書で、つぶさに具体的に証言し、詳しく分析・考察している。この結果、文化大革命の謎は、中国共産党がなぜ毛沢東の指導のもと、党内でこうした政治闘争を進めなければならなかったか、という疑問に深められる」

「毛沢東がなぜ、文化大革命を発動したのか、よくわからない部分が多い」

「ロシア革命は、都市型の反乱で始まり、ツァーの軍隊が革命側に寝返って赤軍となる経過をたどった。ロシア共産党は、赤軍に対して、抜きがたい不信感があった。軍は常に監視と粛清の対象だった。いっぽう中国革命は、農村を根拠地とする武装農民軍が、都市を包囲し解放するという順序をたどった。中国革命の指導者は、軍人でもあり、中国共産党と紅軍(人民解放軍)はもともと一体のものだった。毛沢東は軍を信頼し、掌握し、軍を背景に党内の政治闘争をたたかおうとした。これが文化大革命の基本構図である」

「本書では、反右派闘争や四清運動を、文化大革命の先駆形態であるとする。いずれの場合も党内の政治闘争で、党幹部が公然と批判された。批判された幹部は、自己批判書を書いた。批判された側が自己批判する(間違っていたと認める)なら、批判した側が正しかったことになる。文化大革命でも何回も繰り返されるのは、このプロセスである。秘密の粛清とは違った、公然の自己批判。文化大革命は、スターリズムと異なった社会技術にもとづく運動だ」

ここからが肝心である。

「毛沢東の創意は、党幹部を批判するきっかけとして、学生・労働者大衆を利用するという思いつきだ。抗日戦争と中国革命を戦い抜いた毛沢東にとって、学生・労働者大衆などオモチャのようなものである。彼等は、現実の利害を持たず、新中国で毛沢東思想の教育を受け、毛沢東とは異なる路線を考えている党幹部を打倒し自己批判を迫るのに、恰好の道具であった。毛沢東は始めから、紅衛兵をまとまった組織にするつもりも、革命の主役にするつもりもなかった。ゆえに、紅衛兵組織は乱立し、流血の抗争を繰り返し、用済みになって都市戸籍を奪われ、農山村や辺地に追いやられることになった。これを「上山(シャンシャン)下郷(シアンシアン)」という。(日本では誤って「下放」というが、これは党幹部の場合に用いる言葉で、紅衛兵の場合には用いない)」

この項続く。

日常にもどる

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 息子が広島へ帰った。次にゆっくり来るのは正月休みだ。私と同様マイペースの生き方、考え方の男になっているが、私よりもクールだ。昨日は二人で『春子の人形』というドラマを観た。

 先日NHKで放映された早坂暁の『花へんろ』シリーズの特別編である。実際の脚本は早坂暁ではないようだ。このドラマの内容は、早坂暁の『花へんろ 風信帖』という本を読んでいるのでよく承知している。

 息子も私もこのシナリオに少々不満を感じた。早坂暁が実際にシナリオを書いたらもう少し違ったものになっただろうというのが私たちの感想だ。登場人物達の哀しみが描き切れていない。主人公の良介を演じていた俳優は、頑張って演じていて、必ずしも演技が下手というわけではないのだが、戦争というものがあまり理解できていない気がした。若いから仕方がないだろう、と息子はいう。

 原爆投下は誰が考えても無差別の市民殺傷行為であって、決して正当化出来るものではない。息子は広島に住んでいるから八月六日は必ず慰霊祭に参加している。原爆については思うところが多分にあるようだ。それが解っているから、このドラマを八月十五日である昨日観たのである。

 良介が広島で、列車の車窓から見た無数の青い火のインパクトこそがこのドラマの肝であり、その青い火の一つが春子のものであることが心に重く響いてこないとこのドラマは生きないと思う。

 観終わって戦争の話を少しだけした。

 さあまた独り暮らしが始まる。日常にもどるのであるが、気持の切り替えに数日かかるかも知れない。

2018年8月15日 (水)

王輝『文化大革命の真実 天津大動乱』(4)

 文化大革命の概観について解説の橋爪大三郎の文章から引用する。

「毛沢東の中国共産党が発動した「プロレタリア文化大革命」は、1966年からまるまる十年間にわたって、中国全土で荒れ狂い、数千万人とも言われる人命を犠牲にし、すべての中国の人びとを巻き込んで、人生を狂わせた。その運動は、規模の大きさ、激しさ、他に類例のない出来事であることから、社会科学にとって、大きな興味関心の対象である」

「にもかかわらず、これまで文化大革命の本質的な研究は、中国国内でも国外でも、まだまだ数少ない。その理由は、第一に、重要な資料や証言の大部分が埋もれたままであり、正確で客観的な分析を進めることが困難であるため。第二に、文化大革命はまだ「政治的に敏感な問題」であって、自由な議論や研究が出来ないため。第三に、文化大革命という現象が、類例のない特殊な出来事であって、それをどのように考察・分析すべきかについてついての、有用で標準的な考察の枠組みが存在しないため。第四に、文化大革命を理解することは現代中国を理解することであるという知識界や一般読者の認識が不十分であるため、などである」

 文化大革命に先立ち、毛沢東によって中国全土で強行されたのは「大躍進」政策であった。数年間にわたるこの政策により、中国は躍進するどころか経済は大停滞を来たし、餓死者が二千万人とも四千万人ともいわれる惨憺たる事態を引き起こした。それにより毛沢東の権威は失墜した。

 経済停滞を建て直すために極端な社会主義から資本主義的な手法を導入する動きが生じ、それは明らかに奏功し始めたのである。それを修正主義であるとして「右派が奪権を狙っている、それを許してはならない」というスローガンのもと、毛沢東が復権をもくろんだのが文化大革命であると私は考えている。しかしその毛沢東のもくろみは、毛沢東の想像を超えた事態を引き起こしてしまった。   
 橋爪大三郎が文化大革命の特異性について書いている。

「文化大革命は、半世紀も前に起こった出来事で、歴史の教科書にも載っているので、それが起こるのが当たり前だったように感じてしまうかも知れない。けれどもこれは、起こるはずのない、奇妙で特異な出来事だった。このことがよくよく腑に落ちることが、文化大革命を理解する第一歩である」

「中国共産党は、ロシア革命の後1921年、国際共産党の中国支部として発足した。中国革命をめざす、マルクス・レーニン主義の前衛党である。始めは都市を中心に、ロシア革命型の革命をめざしていたが、やがて農村を基盤とする戦略にかわり、毛沢東が指導するようになった」

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「共産党は、革命の全プロセスを指導する司令塔であるから不可謬である。不可謬でなければ、革命を指導することが出来ない。共産党は、階層的に構成されている。下部は上部に従い、末端は中央に従う。下部や末端は、過ちを犯す場合があるが、それは、上部や中央が正す。共産党の方針は、党大会が決める。党大会は、中央委員を選出し、・・・などとなっている。党大会は五年に一度しか開かれないし、実質的な議論が出来る場でもないので、いきおい実質的な権力は、政治局常務委員会、ないし党中央に集中する。党中央は、司令塔である共産党の中の司令塔であり、不可謬の中の不可謬である。中国共産党も、共産党であるので、このマルクス・レーニン主義の原則に従う」

「このように、すべてが党の指導に従うのがマルクス・レーニン主義の原則である。それなのに、共産党が人民大衆に攻撃され、幹部は打倒され、当委員会は機能を停止し、革命委員会に取って替わられた。不可謬のはずの共産党が、人民大衆の批判にさらされた点が、文化大革命の最も特異な点なのである。なぜこのようなことが起こったのか」

2018年8月14日 (火)

家族が増えた

 昨晩は息子とどん姫夫婦と四人で盛り上がった。どん姫夫婦はなんと『十四代』の大吟醸を手土産としてぶら下げてきた。あんまり無理をするなといいたいけれど、思わず垂涎とともに顔がほころぶ。

 まず口切りの『一番搾り』500ミリ6本は瞬時に消滅。料理を数種類用意していたけれど、みな健啖に片付けてくれて何よりである。『十四代』はむかし出張先の山形で初めて飲んで感激的にうまかった記憶があるが、それ以来かも知れない。一升瓶がたちまち四人の腹中に納まって空になる(どん姫も私の薫陶を受けているので酒が好きである)。こちらが用意していたのは『越乃寒梅』。さすがにこちらは半分ほどで打ち止め。どん姫夫婦は仲良く帰っていった。

 息子とどん姫の亭主は同学年である。息子は私よりこだわりがないから話が弾んで、まことに楽しい酒宴であった。どん姫から旦那が「とっても楽しかった」と言っていたとメールが来た。何よりである。私は彼等が帰ったあともちょっとだけ飲み続けたけれど、気がついたらそのまま爆睡。息子に敷いてもらった布団まで蹴り込まれて気持ちのよい眠りを眠った。

 一人家族が増えたと実感できた晩であった。K君、今度は名古屋で二人で飲もう。

2018年8月13日 (月)

酒盛りの予定

 今夕は、息子が帰省してくるのにあわせて、娘のどん姫夫婦もやってくることになった。四人で酒盛りする予定である。その仕度と、明日は多分二日酔いなので、つぎのブログは明日の昼以降になると思われる。


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北原亞以子『隅田川』、『やさしい男』(新潮文庫)

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 『慶次郎縁側日記』シリーズの第六集と第七集。

 一度ならずこのブログに書いたことだが、歌詞はストップモーション的なものの方が余韻が深くて好い。ある情景を写真のように切り取りながら、その心情の背景を語る歌に優れた歌があるように思う。たとえば八代亜紀の『舟唄』や都はるみの『北の宿から』などだ。歌詞にはストーリーは語られているけれど、時系列をたどるものというより、その情況にいる女の背景と心情を語るためのものだ。

 この『慶次郎縁側日記』も同様な手法で書かれているものが多い。独白の形で登場人物の背景が語られるが、実際の進行はほとんど極めて短時間の中での出来事である。シーンがたくさんあるはずの映画の中のワンシーンか、せいぜい二シーンで物語が終わってしまう。だらだらした映画(特に日本の映画に多い)のように結末を延々と語るようなシーンはない。

 この小説はあえて分類すれば捕物帖型の短編小説集なのだが、謎解きの要素はほとんどない。読者が興味を引かれるのは、切羽詰まった情況に置かれた登場人物が、どうしてそのような状態に追い込まれるようになったのか、そしてそれが結果としてどうなってしまうのかということである。それなのに絶望的な気持になっている登場人物が、思ってもいなかった曙光をかすかに見いだしたところで物語は終わってしまうのである。

 登場人物は、自分を絶望的な状況に追い込んでいるのは世間だと思い込んでいる。たしかに運のようなものがそのように自分を転落させている面もあるが、実はほんとうにその袋小路に追い込んでいるのは自分自身であることが多い。袋小路にしているのは自分自身なのである。曙光はそれに気付くことから生ずる。それを慶次郎やその脇役達のやさしさが気付かせてくれるのである。

 もちろんそんなに都合の良いものばかりではなく、絶望が深まるものも、ときに描かれる。人生の深淵はやさしさだけでは救われないことがあるのは哀しいけれど事実だ。そのときに慶次郎と一緒に読者もため息をつくのである。

 北原亜以子はこの短編集で結末をほとんど語らない。結末は読者自身が描くしかないのである。

2018年8月12日 (日)

例によってボンヤリしている

 明日、息子が帰省してくる。親に似ずきちんとした息子なので、たいてい前日くらいから部屋を片付けて掃除しておくのだが、その気にならない。今日はときどき雨も降って久しぶりの猛暑日ではない日になるとの予報だったが、曇っているとはいえクーラーを入れずに過ごすことなど考えられないような、このところの暑い日とすこしも変わりない。三時過ぎにようやく驟雨。

 先日の旅行の写真をようやくプリントアウトして長老や兄貴分の人に送ったのだが、どうも今ひとつの出来である。プリンターの不調のようでもあり、カメラの不調のようでもある。いま生きているプリンターは写真印刷の操作が面倒で、どうも不満である。いま生きている、というのはだましだまし使用していたプリンターと最初から気にいらなかったエプソンのプリンターが、私の乱暴なあしらいに腹を立てたのか、ほぼ同時期に使用が出来なくなって、キャノンの安い多機能プリンターだけが現役となっているからである。無線で操作できるのはありがたいが、長所はそれくらいで昔のプリンターの方がシンプルで使い勝手がずっとよかった。

 カメラも高倍率ズームレンズが明らかに変な音と動作をするようになっている。盆明けにサービスセンターへ持ち込むつもりだが、これもかなり長いことヘビーユースし続けているので、一概に装置を責めるわけにもいかない。ヘビーユースすればどうなるか、自分の身体が示している。

 案の定、兄貴分の人から「今度の写真は少し変だなあ、いままでこんなことなかったのに・・・」と言われた。多少の補整をしたけれど、写真にうるさい人だからすぐ気がついたようだ。

 どれもこれも新しいものが欲しいところだけれど、年金暮らしでは余裕はあまりない。なにかを買うならなにかを我慢してその分を浮かせるしかないのである。来月には友人達とまた少し遠出をする。その分は最初から計算してあるが、しばらくは本を買うことから控えなければならないだろう。

 さいわい大なたを揮って処分したとはいえ、読んでいない本、読み直したい本や読みかけの本はいくらでもある。

 この暑さで、出掛けることも稀なので、質素に暮らさざるを得ない身としてはまことに都合が良い。ただ、頭が錆び付かないように少しは稼動させ続けなければなあ、と思いつつ、ボンヤリと雨雲の空を眺めている。

むかしはものをおもはざりけり

 百人一首を覚えさせられた中で、かろうじていまでも記憶に残る歌がわずかにある。

「あひみての のちのこころに くらぶれば 
      むかしはものを おもはざりけり」

もその一つである。

 調べると、これは藤原時平の息子、敦忠の詠んだ歌だそうだ。敦忠は琵琶の名手としても知られていたが、菅原道真の怨霊のたたりで死んだといわれているらしい。情を通じる前と、通じたあとの恋心の深さの違いを歌ったものだという歌意は承知しているつもりだ。観念の恋と肉欲を伴う恋との恋情の深さの違いを言っていると解釈するのも自然な捉え方だろうし、相手に対するかけがえがないという気持が、情を交わしたあとの方がはるかに具体的で強くなることを歌っているといいかえることも出来る。

 以前読んだ本をときどき棚から引っ張り出して拾い読みする。本を借りずに購入するのは、こういう楽しみがあるからだ。そこにその本がなければ引っ張り出すことも出来ない。とりだした本を開いて思わず誘い込まれて深く頷くことも多い。

 一度読んだはずの本や、歯が立たずに読みかけになったままで、いつか多少は知識が増えて賢くなったらもう一度挑戦しようと棚に戻された本が並んでいる。その本の内容と意味がときどき雷鳴に照らされたように、見えなかったものが見えたりすることがこのごろようやくある。

 そのときに頭に浮かぶのが「むかしはものをおもはざりけり」という言葉なのである。もちろん私が「おもふ」のは恋情ではない。「考える」という意味の「おもふ」である。もちろん昔だって考えていなかったわけではない。「くらぶれば」「むかしはものをおもはざりけり」だったなあという実感である。

 誰かが、還暦を過ぎて古希までの十年間は思いのほか実りの或るもので、古希になってそのことを強く実感する、と言っていた。

 この言葉が強く心に響いた。なんだかやりたいこともやり尽くしたような気がして、生に対する執着を見失いかけている。欲望があまりないのである。欲望は生命力の源である。それが、「おもふ」こと、そして感じること、解ること、識ることによろこびを感じることを思い出した気がする。

「われおもふ ゆえにわれあり」か。

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 古希まであと二年、かなり遅れたけれど、まだ時間はある。楽しむことがのこされている。先人の余薫をかぐ楽しみを楽しむことにしようと気を取り直している。感じたことの断片の集まりこそ自分自身なのだと「おもふ」。

2018年8月11日 (土)

王輝『文化大革命の真実 天津大動乱』(3)

 王輝氏が文化大革命とその後を生き抜いて来れた理由と、本書が極めて詳細であることの理由について、橋爪大三郎氏はこうまとめている。

「天津の文化大革命は、ほかの地域に比べて穏やかだったとは言え、それでも激烈なものがあった。王輝氏も、幾たびも検査をする側に回り、また検査される側に回った」

「王輝氏は温和で慎重な性格なので、仕事に間違いがないよう、必ず記録やメモをとっていた。これは、正確に仕事を進める業務上の必要からだが、同時に、本書にも示唆されているように、いつ責任を追及され報告書をつくるように言われるかわからないので、自分の身を守るためである。その他の写真や資料も丁寧に注意深く、王輝氏は保存しておいた。これが今回、本書をまとめるにあたって役に立った。一時資料に立脚した記述と考察は、本書の価値を高めている」

「反面、これは危険なことでもあった。個人情報のひとかけらがもれても、幹部は政治生命が奪われてしまうことがある。記録をきちんと保存してあることが明るみに出ると、いつどんな嫌疑をかけられるかわからない。やがて将来あることを期しての覚悟の行動だった」

「本書を通じて、読者が受け取るのは、著者、王輝氏の魂の叫びである。人間の社会に、こんな理不尽なことがあってよいのか、誰もが善意で始めたはずの革命が、なぜこんな無残な経過をたどらなければならなかったのか。社会学を職業に選んだ王輝氏が、畢生の仕事と見定めたのが、自ら経験した文化大革命の真実を後世にのこすことであった。その思いは、見事に結実していると思う」

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「本書を読めばわかるように、半世紀前の出来事とはいえ、関係者はまだ存命である。打倒された幹部の家族や子どもたち、傷ついた思い出を抱える大勢の党員や元紅衛兵たちがやっとの思いで生きている。文化大革命を研究するとは、そうした傷口に塩を塗り込むような作業である」

「もうひとつ、重大なことは、文化大革命はやはりまだ、自由に議論できる話題ではないことだ。なによりそれは、中国共産党の、毛沢東の、過ちであり、現在の政治体制の根幹を揺るがしかねない問題をはらんでいる。著者にそういう意図が全くなかったとしても、そういう不測の展開を恐れる人びとが必ずいるのだ」

 そういう次第で王輝氏は日本での出版に期待し、翻訳の完成をよろこび、出版をよろこび、そしていつの日にか中国でも出版できることを願っているはずである。

 次回は文化大革命そのものを概観的に書かれた部分を解説から引用する。

正直と公正

 正義を標榜する人たちが、しばしば(というよりほとんど)自分のいう正義にいささかも懐疑を抱かないひとりよがりのものであることにうんざりして、正義の名のもとに他人を糾弾するその姿に賛意より反感を感じてしまう。これはいわゆる左翼だろうが右翼だろうがリベラルだろうが、私にはほとんど同じように見えてしまう。

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 自民党の石破氏が立候補表明で「正直と公正」を謳っていた。これが安倍首相への皮肉、当てこすりであるとのいわれ方をしているが、たしかにその通りの点もあるだろう。しかしそう言わざるを得ないような日本の政官界の劣化が日々のニュースで取りあげられ続け、産業界やスポーツ界、教育界にまでこれだけ不公正が蔓延していることが知らされると、石破氏がそれを正さなければならない、というのは至極当然のことを言っていると考えることも出来る。彼が「正直と公正」と言い「正義」という言葉を安易に使わないでいることにも好感を感じた。

 人間というのはぶれやすいものだから、結果的に世の中には厳密な公正というのは達成されがたい。人それぞれの見方で公正という線の通り道は少しずつ違うものだ。だが、多くの人がいくら何でもそれは限度を超えている、不公正だ、というのがまかり通っていたらそれをただすのは当たり前のことであり、それを大事なこととして語る石破氏に私は賛意を表明する。それをきれいごとだといってシニカルに捉えるのは如何かと思う。

 政治家として、日本という国にとって誰がより必要な政治家であるかどうかはそれぞれの人の判断によるものとして、我々日本人が「どうも世の中がおかしいぞ」、とほんとうの意味で気がついて、不公正の甚だしいものから順次正していく、または正す人びとを応援する、正している人に喝采を送る、ということが必要なのかも知れない。

 マスコミは味噌も糞も一緒である。針小棒大だったり大事なことを見て見ぬふりをしたりする。とはいえマスコミの力が無いと長年の悪弊による不公正はなかなか正すことは困難だ。必要悪の部分も含めてきちんと役割を担ってもらいたいものだ。

 見方を変えれば、さまざまな不公正が露見しているということは、不公正は正さなければならない、もう限界だという時期に来ているのだということでもあるだろう。いままでのようには行かないということでもある。ある意味ですでに日本は変わりつつあるのかも知れない。

 その機運を捉えての石破氏の言葉であれば、私は真摯に耳を傾けても好いのではないかと彼の立候補表明を聞いていた。

2018年8月10日 (金)

遠野憧憬

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 見えないものを感じることがある。見えないけれど感じるのである。感じるかも知れないと思うと感じるのである。そういう気持はずいぶんむかし、子供のときからあったのだが、仕事中心に生活に追われているとそれを忘れていた。

 それがリタイアしてから自分の気持ちの赴くままにあちこち訪ね歩くようになって、神社や寺などに立ち寄ることが増え、立ち寄るごとに俗塵が洗われていくらしく、昔の子供のときのような気持ちを想いだしてきた。以前にも書いたことがあるが、父がどちらかというとそういう感応力がある人だったので、私にも多少はその血が流れているのかも知れない。

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 昨晩放映されたNHKの『新日本風土記』で遠野が取りあげられていた。再放送なので以前に観たものかと思ったら初めてだった。遠野には一昨年の夏に行っている。そのときに感じたものが見事に番組の中で語られているように思った。

 見えないものは存在しないなどと思うのは人間の浅はかさだろう。人は現在ただいまを生きているけれど、その自分には過去からのさまざまな事柄が絡みついている。そして多分その自分の記憶をはるかに超えて人びとの過去の歴史や思いが自分自身に、そして土地に張り付いている。

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 そのようなものがかすかにであるが感じられやすい場所というものがあり、遠野は特にそのような場所であろうと思っていたが、実際に訪ねてみると思った以上に実感できた。歳とともに子供に帰るというが、そういうものを取り戻せるというのはありがたいことだ。

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 遠野をまた今度ゆっくりと訪ねたいと強く思った。

2018年8月 9日 (木)

王輝『文化大革命の真実 天津大動乱』(2)

 本書の舞台となった天津市について監修の橋爪大三郎の解説から引用する。

「天津は、北京に向かう物流の要衝として古くから栄えた。渤海湾に面した港湾都市・塘沽(タンクー)から、海河という河川が天津までのびており、そこで物資を積み替えて陸路北京に向かう。北京を抑える戦略的拠点である。西欧列強が参入すると、天津は発展を早め、数々の戦争や条約調印の舞台ともなった。その戦略的重要性から、上海と同様に租界が置かれ、イギリス租界、フランス租界、イタリア租界、日本租界など、市の中心部には当時の欧風建物が多く残っている。商業に加えて、工業も発達しており、多くの国営工場があった。北京にはほとんど工場がなく政治的都市であるのと、対照的である。北京までおよそ百五十キロの距離だが、天津の地元の人びとの言葉は訛りが強くて、早口でまくし立てられると、聞き取れない。人びとの性格は、穏やかで人なつこく、北京や上海のようなギスギスしたところがない。最近は緑化も進んで、中国で最も美しい町と評判になっている」

「天津は、その戦略的重要性から、直轄市となっている。(中略)直轄市は、省と同等の地位を持つ地方行政単位で、全国に北京市、上海市、天津市の三つしかなかった。後に重慶市が、四川省から分かれて四番目の直轄市となった。したがって、天津市といっても、一般の市(省の下のレベル)とは異なり、その上の省レベルのランクであることに注意しなければならない。天津市政府や党委員会の幹部は、地方幹部といっても、党中央から見れば、それに次ぐランクなのである」

「天津は昔から、北京に対して対抗意識のようなものを持っている。そのため、すぐ北京に右へならえという体質ではない。文化大革命の際にも、この体質と、温和な気質があいまって、熾烈な武闘にはならなかった。天津の人びとにはさいわいなことであったが、中国全土が天津のようだったわけではない」

二日酔い

 昨晩は友人達と楽しい酒を飲んだ。盛り上がると調子に乗るのはいつものことで、歳をとっても修まらない。結果は二日酔いである。

 ふだんより少し遅い七時頃には起床したのだが、食慾がない。ブログを書く気力も無い。ボンヤリとテレビを観ていたが、例によってつまらないニュースを延々と報じていて、うんざりする。

 世界中のあちこちで山火事が頻発しているようだ。世界がただならぬ状況になりつつある気がする。人類の限界が近いのかも知れない、などと少し悲観的な気分になる。

 弟から梨が送られてきた。梨は大好きである。二日酔いの酔い覚ましに最適だ。ありがとう。

2018年8月 8日 (水)

ピアスに文身

「身体髪膚これを父母に受く、あえて毀傷せざるは孝の始めなり」
とは孝経のことばであるが、大声で独り言を言う父が好きなことばで、たびたび聞かされたからこの歳になっても耳に強く残っている。父は戦争に行って、多くの戦友が死んだ中で辛くも生き延びて帰ってくることができた。だからこのことばに対する思いは私の想像を超えたものがあると思う。

 戦争での負傷は他人が自分を害するものである。自傷は父にとって論外の悪事であるだろう。その父に先のことばを刷り込まれた私であるから、当然同様の考え方である。

 ピアスとは穴をあけて通すという意味の動詞らしい。一般的には身体の一部に穴を貫通させること、そしてそこに装身具をつけることまたはその装身具のことをいうようである。耳たぶなどに穴をあけて装身具を通すのは古代からある風習であるようだ。耳のピアスはよしとしよう。どん姫が高校生の頃(中学生だったか?)黙ってピアスをしていることに気がついたときには哀しかったが、叱りとばしたりしなかった。なんだか身体の力が抜けた気がしたことだけ覚えている。

 しかるに鼻にピアスや唇にピアス、果ては乳首にピアスやまさかと思うところにピアス、などというのを見聞きすると、なんだか自らを自傷して家畜並みに貶めているようにしか見えない。他人がしているのを見て格好が良いと感じるのか、または感じさせられているのか知らないが、私から見れば目を背けたくなる身体装飾でしかない。

 文身とはいれずみのことである。なんだか映像を見ていると世界中で文身をしている人の姿を見るようになった。自分を飾るための究極の方法だと思っているのだろうか。魏志倭人伝には日本人が顔面にいれずみ(黥面)し、身体にいれずみ(文身)していると記されている。当然野蛮人の風習として記録しているのだ。

 中国ではいれずみは罪人に行うものだった。罪を犯すと顔面や腕に刺青が入れられ、犯罪者であることが誰にも分かるようにされていた。日本でも同じことが行われた。まっとうで無い人、というしるしである。それを敢えて男伊達として自ら身体に刺青を入れる者たちがいた。自分はアウトサイダーであることを誇示したのである。

 アウトサイダーは市井の規範を逸脱することを自ら表明する者であることの表明である。そのことは市井の人々とアウトサイダーの双方に暗黙に了解されていた。

 湘南の海岸で泥酔したりスピーカーで騒音を鳴らして、海水浴を楽しみに来た人々の迷惑になっている連中がニュースで報道されていた。たいていいれずみをしていた。彼等はアウトサイダーを自認しながら公然と市井の人々に迷惑をかけている。自ら排除を懇請しているらしく見える。公然たるアウトサイダーなどアウトサイダーであるはずがない。ただの鼻つまみである。あの某山根氏もそうか。いまはその境界が融解している。誰がその境界をあいまいにしているのか。

 子どもの頃、傾いてつぶれかけの長屋になにをして暮らしているのか分からない家族が暮らしていて、その親父さんが背中にいれずみをしていた。歳をとっていたそのおじさんのいれずみはみすぼらしく見えた。いま若い人の背中のいれずみはそれなりに人に見せたくなるものかも知れないけれど、歳をとって肌に張りがなくなったとき、なにもない年寄りの肌と比べて、そのいれずみの肌はみすぼらしく、いっそう薄汚いだろう。

 これはピアスや文身の是非を論じているわけではない。私の好悪とその理由を語っているだけである。

友人が名古屋にやってくる

 今夕、奈良から友人が名古屋にやってくる。むかし名古屋の同じ営業所で働き、晩もよく飲んだ。毎日毎日のことなのになにをそれほど話すことがあるのかと思うけれど、不思議なことに話が尽きることは全くなかったのは相性が良かったのだろう。

 ともに中途半端に飲むのが嫌いなので酩酊するまで飲んだ。飲まずにそばで見ていれば、同じことを毎日繰り返し繰り返し語っているように見えたかもしれないが、本人達は新しい話を初めて語ったつもりだからそれで好いのだ。

 彼は年に一度行く海外旅行の仲間の一人である。9月にはまた行く。今年は春にも中国江南に行っているから、初めて年に二回のことになる。ただ、江南は超格安(国内旅行より安かった)の駆け足旅行でじっくり楽しむ旅というものではなかったけれど。

 今日は、夕方四時に開店するなじみの入れ込みの居酒屋で飲む。そこへ行くのもずいぶん久しぶりだ。我々は長っ尻なので昔は店の女将さんに嫌がられたものだ。ほんとうに嫌がられていたのか、それとも親しみを込めていやがって見せていたのか、どちらだか分からない。本気で嫌がられていたのではないはずだと勝手に思っている。

 今晩は9月の旅の話を含めて互いの消息を肴にまた盛り上がることだろう。今からそのことを考えてうきうきしている。

2018年8月 7日 (火)

王輝『文化大革命の真実 天津大動乱』(1)

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 訳者があとがきで本書の特徴を二点挙げている。一つ目は、本書がこれまでに書かれた多くの文革に関する回顧録とは異なる視点で書かれている点、二つ目は、文革の「静」の側面をわれわれに教えてくれているという点である。

 この特徴は著者の王輝氏が置かれていた立場によることが大きい。それが二点の両方を書き留めることが出来た理由である。第一点についても詳しく論じられているが、以下に訳者のあとがきから第二点の「静」の側面についての部分を引用する。ここで著者の立場もおおむね理解できると思う。

「通常、文革で注目されるのは、指導者達の政治的駆け引きや食うか食われるかの熾烈な権力争いであり、紅衛兵や労働者達の熱狂や暴力行為、内ゲバである。こうした文革の「動」的な部分は、我々にとって非常に興味を引かれる対象であり、また、文革を構成する重要な要素である。しかし、こうした人々に鮮烈な印象を与える文革の「動」的一面も、やはりそれは文革の一面に過ぎない。文革には、もう一つの「静」の一面があり。本書はそのことを我々に教えてくれている。文革の「静」の一面とは、激しい動乱の中でも、中国共産党が、そして中国というひとつの国家が崩壊してしまうことが無いよう、懸命に日々の実務をこなし続けた人々の存在である。彼等は「動」=大乱のためではなく、「静」=体制維持のために、懸命に働き力を尽くした」

「王輝氏は、文革以前から天津市委員会弁公庁で主任を務めており、日頃から天津市委員会の書記らと接することが多かった。彼は、書記らのために文書を起草し、日常の業務が滞り無くすすめられるように事務方をまとめていた。王輝氏は、天津市委員会が天津市という組織をうまく運営するための仕事を熟知していたし、書記らの考えだけではなく性格をも良く理解していた。文革が始まり、奪権によって新しい臨時権力機関である天津市革命委員会が成立したが、その中核を構成した者達にとっても、王輝氏のような人物は必要な人材であった。そのために、王輝氏は一時造反派からの取り調べや攻撃を受けるものの、失脚は免れ、天津市革命委員会の弁公庁主任を務めたのである。後に、天津市委員会が新たに成立すると、天津市委員会弁公庁主任を務めた。結局、王輝氏は文革の始まりから終わりまで、天津市委員会あるいは天津市革命委員会という天津市における権力機関の内側にいて、動乱の過程を自ら体験した。そして、一貫して市の運営が正常に行われるよう尽力したのであった」

「本書に記されている、多くの困難に圧倒されながらも、天津市というひとつの組織をどうにか維持しようと奔走する王輝氏の姿が浮き彫りにするのは、まさに大動乱であった文革期、中国を必死で支え続けた、必ずしも有名ではない実務家達の存在である。こうした人々の存在があったからこそ、中国は崩壊せずになんとか文革を乗り越えることが出来たのである。この事実こそ、文革の真実であると言えるのではないだろうか」

「文化大革命は、遠い過去の出来事ではない」

「王輝氏も本書で述べているように、文化大革命は、中国の改革開放を可能にしたひとつの重要な要素である。文化大革命は経済発展のの道を進もうという中国国民の気運を高めるよう作用した。現在、中国は経済大国への道を猛烈な勢いで進み、国際社会への影響力を日ましに高めている。そうした現在の中国を形成した重要な一要因としての文化大革命を、我々は学ばなければならない」

 訳者あとがきの一部を引用した。この本の意味を的確に説明していると思う。では文化大革命とはなんだったのか。訳をした中路陽子女史の師であり解説の橋爪大三郎が詳細に論じているが、その一部を次回に紹介する。

自嘲

 梅原猛の文章を読んでいて、引っかかるところがあった。

「一般にあまりに自己を笑いすぎる人間は、あまりにも大きな自惚れの持ち主ではないか」

 自己を笑うということは、自己を愚かな者と見做すことだから、自惚れの持ち主というのは当たらないのでないか、と思ったのである。

 そうしたらそのあとの文章に、

「あまりに多く自嘲の笑いを人に示そうとする人は、その自嘲の笑いによって、自嘲の笑いすらできない他人に対する優位を示そうとしているのではないか」

とある。『笑いの構造』(角川選書)という初期の若書きの評論集の中の文章である。

 なるほど、ソクラテスの「無知の知」と同じ見立てか。問題は「あまりに多くの」ということばのほうにあるのかも知れない。自嘲はしばしばきつい皮肉になることがある。私の悪い癖でもある。自嘲を自重することもときに必要なのかも知れない。

2018年8月 6日 (月)

苛立ち

 マンションのどこかで風呂場の工事をしている。コンクリートの壁か床をはつるドリルの振動音が断続的に響いてくる。マンションはドリルの音が軀体を通してすぐとなりのように聞こえる。同じ階でなくて、かなり離れていても気に障る音である。今回は一階下だが、暑いせいか、いままで以上に神経に障るのである。気にしはじめると本を読むどころではない。

 もう三週間近くになる。しばらく止まっていたので工事は終わりだと思ったら今朝からまたやかましい。どこかへ逃げたしたいところだが、我慢している。そういうわけで今はなにも考えられずにいる。

王輝『文化大革命の真実 天津大動乱』(ミネルヴァ書房)・予告編

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 訳・中路陽子、監修・橋爪大三郎、張静華(橋爪氏夫人)。

 大部のこの本(註や索引、年表まで入れれば約700頁)は中身が濃くて重い。卓の前に坐って卓に本を置いた状態で読んでいる分には良いのだが、私の本を読む状態は人に見せられないほどだらしがないことが多い。寝転がって本を頭上に掲げるときに、本が重いとくたびれるのである。この本は下手をするとその重さで顔を怪我しかねない重さである(大げさだけれど)。

 中国文化大革命は1966年に始まり、丸十年の長きにわたってつづいた。1966年というのは私が高校生のときであり、そのとき以来「文化大革命」とはなにか、というテーマはずっと私の頭を離れたことがなく、私のライフワークとなったことはこのブログに繰り返し書いているので、「またか」と思う人も多いだろう。ある意味でそれに囚われている部分があるのだが、いまはそういうものを抱えていることは抱えていないよりも自分には意味があったと思っている。

 いろいろな視点から書かれた文化大革命に関する本を読んできたが、この本はそれらとまた違う視点からの本なのである。どこが違うのか。そのことも含めてこの本を紹介説明したいのだが、これだけ大部の、しかもどの部分を読んでも引用したくなる本をまとめるだけの力が私には無い。

 この本を読み始めたのが春であり、夏までに読了しようと思いながら、中断して二ヶ月ほどほとんど開かずにいたのでもう読みきれないかと思いかけていた。それがようやく読み切ることが出来たのは幸いであった。読んだことに満足して反芻する気力が残っていないのである。

 というわけで、これから監修者の解説や訳者の力を借りて、その引用を多用しながら何回かに分けてこの本を紹介したいと思う。当然それは文化大革命とはなんだったか、その一面を語ることになるだろうと思う。現代中国を、そして中国人を語るとき、私は文化大革命を抜きには語れないと思っている。

 著者の王輝という人は天津市の役人であったが、文化大革命の時代を役人として生き抜き、天津市の仕事を全うし、後に大学教授となる。退任後洒脱な随筆などを書き、思い立って自分が持つすべての資料と記憶と経験を元に、自分の知る天津市での文化大革命の記録を書き綴った。書き上げたのは、彼のあとがきによれば2006年頃のことである。そしてその文章を託されたのが旧知の橋爪大三郎で、橋爪大三郎は自分の教え子の中路陽子に翻訳を任せた。

 翻訳、そしてその監修は大変な作業だったようだ。そしてこの本が日本で出版されたのが2013年である。もちろん中国や香港でこのような本が出版されることは許されない。だからこの記録を読めるのは、いまのところ日本にいてこの本を手に取ることの出来る人だけである。

 ところで、帯にあるように養老孟司がこの本を絶賛したとある。養老孟司、さすがにすごいなあ。感心する。彼にとっても文化大革命とはなんだったのかということが常に念頭にあってのことなのだろうと拝察する。

2018年8月 5日 (日)

肩と眼

 パソコンや読書をしているときは姿勢が悪くなる。しばらく読書に集中できないことがつづいていたのだが、このところ本を読むのが面白くて、山のように積んである未読の本を片端から片付けている。勢いがあるあいだはその勢いに任せたいと思っているのだが、どうしても眼と肩に負担がかかる。

 母は目が超近視だったが、裁縫や編み物が好きで、そのために肩が凝ると言って、しばしば私に肩を揉むことをせがんだ。私は子供のときから指先でツボが感じられる方だったし握力もあったので、肩を揉むのが上手だとおだてられ、それが嬉しくて肩を揉むのは嫌いではなかった。

 肩と眼は強く関係し合っている。眼が疲れると肩が凝るし、肩の凝りをほぐすと眼の不快感が軽くなる。母もそう言っていたし私もそう実感している。しかし独り暮らしでは誰も肩を揉んでくれないし、わざわざマッサージを受けに行くのも億劫だ。

 以前肩(六十を過ぎての三回目の五十肩)の痛みがひどくて整形外科に通い、リハビリをした。そのときに大量に温湿布の貼り薬をもらったのが残っている。あまり古いのは使わない方が好いのは承知しているが、光に当たることで劣化(ときに危険)すると承知しているので、暗いところに保存してあるから大丈夫だろうと思う。

 それを肩と首にかけて貼り、じっと目を瞑ってじっとしている。音楽を聴きながら眼も休めているのだ。本が読みたくてうずうずするが半日ほど我慢する。私は眼に対して過剰に神経質かも知れない。先日の赤目以来それが少し昂じすぎて眼が気になって仕方がなく、そのために眼に違和感を感じる。その前にもそうだったからやたらに眼を洗ったりこすったりしたから毛細血管が切れて内出血し、赤目になったともいえる。

 シップ薬が効いて肩こりが少し和らぐと同時に、不思議なことに眼の違和感も薄らいだ。一時的かも知れないが、はっきりと効果があった。また読書再開としよう。

高嶋哲夫『官邸襲撃』(PHP)

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 著者の本を以前読んだことがある。パニック小説だった。パニック小説と言えば、開高健の文字通り『パニック』という題名の小説があり、私の開高健との出会いの小説で忘れられない。エンターテインメントでパニック小説は定番ジャンルであり、読者を臨場感のある現場に引き込むには著者の力量が必要である。この高嶋哲夫にはその小説が面白かった記憶があってこの本を手に取った。

 この本はパニック小説ではない。首相官邸で日本初の女性の首相が来日したアメリカの国務長官一行と会談するのだが、その首相官邸が武装した50人あまりのテログループに占拠されてしまう。日米双方の要人警護者はほとんど殺されてしまい、報道関係者を含む百人あまりが人質となってしまう。

 唯一無事に生きのびた女性警護官である夏目明日香がたった一人でこのテログループに立ち向かうことになる。まさに『ダイハード』の女性版である。もちろん外部では人質の救出のためのさまざまな作戦が練られていくのだが、状況は二転三転する。プロのテログループに対し、一介の女性警護官が立ち向かって対等に戦うなどというのはちょっと無理がないではないが、エンターテインメント小説だからそれで良いのだ。面白くないわけはないのである。 

 テログループの目的はなんなのか。なぜわざわざアメリカの国務大臣が来て警備が強化されている中でテロを行ったのか、しかもロケット砲まで含めた大量の武器をどうして日本に持ち込むことが可能だったのか。それらはすべてプロローグに伏線として書き込まれている。半分以上読んでからプロローグをもう一度読み直すとほぼ全体像が理解できるはずである。謎解きの話ではないから、読み進めたあとに全体を把握すると、テロリスたちの行動やアメリカ側の動きの理由が見えてくるはずである。

 多少のことは目を瞑りさえすれば、映像的でとにかく楽しめる。

浅田次郎『長く高い壁』(角川書店)

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 浅田次郎は有数の小説巧者であると思う。ちょっと巧すぎるところが鼻につかないことはないが、面白いことは間違いない。多作だからすべて読むつもりはないが、『蒼穹の昴(上・下)』『珍妃の井戸』『中原の虹(1)~(4)』『マンチュリアン・リポート』の満州を舞台にした四部作は大いに楽しめた。いま、さらにその続編となる『天子蒙塵』が(1)~(3)まで出版されていて、そのつづきの出版を待っている。いつものように全巻揃ってから一気読みしたいと思っているのだ。

 浅田次郎に限らないが、中国が舞台の本は手当たり次第に購入して読んできた。私は舞台が中国であるというだけで面白さのスイッチが入りやすい。しかしそれではきりがないし、中には肌合いのあわない作家もいて、最近はかなり選別するようになった。

 そういう意味で今回読んだこの『長く高い壁』(『長く高い壁』というのは万里の長城のことである)は、浅田次郎の中国を舞台にした小説だから文句なしに手が出たのである。もしかして満州シリーズのスピンアウトものかと期待するところもあったし。

 しかし、残念ながらこれは全く独立した一作もののようである(主人公の探偵作家・小柳逸馬がほかの本にも登場していて関連本があれば別だが)。

 従軍作家として北京に派遣されていた探偵小説作家の小柳逸馬は軍の要請で万里の長城・張飛嶺に向かう。彼を補佐するのは検閲班長の川津中尉。そこで彼等を待っていたのは、張飛嶺の守備隊十名が全員死亡して発見されたという大事件の解明という役目だった。

 共匪の襲撃によるものというのが当然の推論だが、それにしては不可解なことが多すぎる。現地では憲兵隊の小田島曹長がエスコートする。彼は事件発生の報で最初に駆けつけた一人であり、背景や張飛嶺のある密雲の町について誰よりも詳しい男でもある。

 関係すると思われる人物の訊問が行われていく中で、次第に事件の様子が明らかになっていく。もともと千名ほどの部隊がこの密雲に駐留していた。彼等は南京陥落のあと、国民党軍が武漢に拠点を移したため、その総攻撃に参加するために密雲を離れていた。そして密雲に残されたのが三十名の寡兵だったのであり、交替で張飛嶺の守備についていた十名が不可解な死を遂げたということであった。

 訊問の中で残された三十名(生き残っているのはもちろん二十名)が、部隊の鼻つまみの、問題のある兵ばかりであったことが分かる。いろいろの推理ができるようになり、事実が見えてきたかと思われた矢先に新たな事件が起こる。

 小柳探偵の推理はこの謎をどう解くのか。そして真相はなにか。それは明かされるのか。そもそも戦地で死ねば戦死であり、なぜ小柳がわざわざ解明を命じられたのか。そしてそれを命じたのはいったいどこの誰なのか。戦争というものの愚かしさ、無意味さにつながるような結末は苦い。

 小品であり、浅田次郎特有の感動を呼ぶシーンはない。そういう物語ではないし。なんだか浅田次郎は遊び心を持って、この本をひねったスタイルで書いて楽しんでいたように思われる。

2018年8月 4日 (土)

時間の無駄

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 長い長い人生の余暇を生きている。しかしそれが永遠に続くわけではない。人生の終わりまでの余暇であり、自分へのご褒美の貴重な時間である。漫然と過ごすのはもったいないと思うが、それをあまりに意味あることで埋めようとしては、ゆとりがなさ過ぎて疲れ果ててしまう。その塩梅が難しい。無駄な時間は適度に必要なのだ。しかし無駄ばかりだと焦りが生ずる。ゆとりの気持にも限度がある。

 自分が作る無駄な時間は、自分自身を見直す貴重な時間でもある。しかし他人からもたらされる無駄な時間は許しがたいものである。そのことに気がつくと腹が立つのである。

 大げさだけれど民放のCMを見ていてそのことを強く意識した。CMによって民放は無料で番組を提供している。視聴者はCMを見る時間を売り、民放とスポンサーは無料で番組を提供することで視聴者の時間を買っているのだと私は考えている。両者の合意があれば売り買いは成立する。

 だが私はこのごろ自分の大事な時間と、提供されるものとのバランスが崩れていると感じている。CMにも多少は娯楽性を持たせるべきであろうが、スポンサーがパチンコ業者やサプリメント会社やウイッグや増毛の会社、その他多数のいままでテレビのCM提供者の主流でなかった業者が増えだしたことで、CMの内容が劣化しているように感じられる。一流の大会社がスポンサーから下りてきていると感じる。テレビのCMに金をかけることに意味が見出せなくなっているのではないか。

 スポンサーが集まらなければ民放は安売りするだろう。だからひとつの番組に多数のスポンサーがつき、当然のことながら番組内のCMの時間はじりじりと枠を拡げている。そんなことはみんな分かっていることだ。分かっているけれど茹でガエルみたいにそれに漫然と浸かったままでいるのだ。若い人はとっくにそんなテレビから離れている。テレビは長い余暇を過ごす老人か、暇をもてあましている専業主婦のものになっているようだ。

 CMが劣化増大して感じられる。CMの時間について実際に自分で計測してみた。そうすると、番組の三分の一くらいに感じるCMの割合は(近くはなっているが)さすがにそこまでにはなっていない。どうしてそう感じられてしまうのか。同じ一分間の時間が、番組そのものとCMではCMの方が二倍三倍に長く感じられるからだと思う。それなら感覚的にはすでにCMと番組本編とはほぼ同量の時間比率になっているに等しい。限度をすでに超えているのである。

 遅ればせだけれど、テレビ大好き人間で見ないのにつけたままでいることの多い私も、これからはテレビを必要最小限の試聴とするよう決心した。そして原則として民放は観ないことにした。もうCMには堪えられないのである。見るのはNHKのニュースと気にいったドキュメントなど、たまにドラマ、NHKBSの海外ニュース、あとはWOWOWの録画を見るだけにする。

 以前は録画予約のために全番組をチェックしていたが、民法をすべてないものとして無視すると、チェックがとても楽になった。これでスポーツや芸能関係の情報が入りにくくなるけれど、最近はNHKがうんざりするほど丁寧に教えてくれるので、それで十分である。それにニフティのニュースはミーハーな芸能ニュースがメインで選ばれているので、知りたくなくてもひとりでに知ることとなる。スポーツにはどんどん興味が無くなっているのでこれも不要である。多分東京オリンピックもあまり熱心に見ないだろう。

 これで時間の無駄をだいぶ省くことが出来そうだ。

葉室麟『青嵐の坂』(角川書店)

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 厳しい小説である。厳しいのは、身を賭す主人公たちを苛酷な情況の中に追い込む著者の筆である。登場人物はときに作家の気持ちを超えて動き出し、思いもよらない運命をたどってしまうものだという。とはいえそれは作家の想念の中で生ずることにはちがいないのだ。惜しくも昨年暮れ、66歳(若い!)で亡くなってしまった葉室麟は、どういう思いを込めてこの小説を書いたのだろうか。

 破綻寸前の藩を救うために抜擢され、苛酷な政策を断行した檜弥八郎は、家老たちの陰謀によって切腹に追い込まれる。残されたのは嫡男の慶之助、そして娘の那美。その二人と、那美が預けられた遠戚の矢吹主馬(後に檜家を継ぎ、那美の夫となる)がふたたび藩の財政逼迫の対処に関わる陰謀に巻き込まれていく。

 絶対に逃れられない危地に、逃げ隠れせずに正面から立ち向かうことで光明が射す。それが葉室麟の小説の感動的なところである。この小説では信念とは別の宿命が登場人物、特に慶之助をがんじがらめにしている。その屈折が苛酷な結末をもたらす。人はなにを生きがいとするのか。生きがいのない生などない、と思えるような生きがいがあればこれほど強く生きられる。

 絵に描いたような家老と豪商の悪者側は、金が絡めば超強力である。ときに経済は正義を超越するのは現代でも同じである。これは昔話ではないのだ。保身のために強いものに、大きなものに巻かれるのは世の習いで、それを否定するのは命がけなのである。日大やボクシング連盟を見れば分かるではないか。現代ではかける命とは社会的生命だが、失ったら取り返せないことでは同じである。  

 矢吹主馬の男らしさ、夫を信じる那美の美しさ、そして身を捨てて信念を貫く慶之助の(ここではちょっと書き方をいじっている。そうでないとこれから読む人の興を削ぎかねないので)勁烈さがやはり葉室麟なのである。新作が読めないのは哀しい。まだ未発表の作品が残っているのであろうか。

2018年8月 3日 (金)

複雑な気持ち

 昨日、どん姫がやって来た。泊まると言っていたのに日帰りだという。ちょっと残念。晩のための食材を買って美味しいものを二人で食べようと思っていたのに・・・。

 1日に入籍したのでその報告に来たのである。用意していたお祝いを渡す。人妻になり、名字が変わり、新しい戸籍になったのである。めでたい話なのだが、父親としてはなんだががっかりしたような気持ちが強くあって、単純に喜ぶ気持になかなかなれない。その気持ちを察したのだろうか。どん姫もちょっと涙を流していた。子どもの頃からほとんどどん姫の泣くところを見たことがない。だからどん姫なのであるが、少し心配になる。気持がデリケートになっているようである。まあそんなものなのだろう。

 お祝いなので昼間から酒を飲む。どん姫はやめておくという。独りで飲みながら思ったことを勝手にしゃべる。どん姫は黙って聞いていた。もともと無口な娘である。

 盆休みには息子が帰ってくる。どん姫もそのときまた来る、と言って自分の家に帰っていった。そのまま飲み続け、ちょっと飲みすぎた。

恒川光太郎『滅びの園』(角川書店)

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 このような小説を読み、楽しむためにはエネルギーが必要である。世界がどんどん侵食され、人々はそれに対抗するために全力を尽くす。そしてその侵食を食い止めるための方法が、あるひとりの男にかかっていることが分かって来る。

 その男、鈴上誠一は現実世界からドロップアウトし、不思議な世界にいた。居心地の好いその世界は、実は彼やさまざまな人の想念の世界であった。地球を侵食する「未知なもの」の中に取り込まれた鈴上誠一の見る世界と、浸食される地球上の人類の攻防が描かれていく。そしてついに人類は「未知なもの」の中に「突入者」を送り込む。「未知なもの」の中の戦いは人類の命運を決するものとなっていく。

 オリジナリティあふれる世界と卑近な現実とがごちゃ混ぜにされて呈示されていく。こういう話ではつじつまなどどうでも良い。それでも物語には結末がある。この結末をどう受け取るのか、人類の側に立つのか、鈴上誠一の側に立つのか。私はちょっと鈴上誠一側に立ってしまった。普遍的な人類愛など忘れていた。

 これもSFだと思うし、SFってすごいなあと思う。それは人間の想像力のすごさに感心することでもある。それをそのまま受け入れてその世界観を楽しむにはエネルギーが必要なのであり、それが楽しめた自分にちょっと嬉しい思いがした。

2018年8月 2日 (木)

高ボッチ高原

先月の小旅行報告の最後。


塩尻の西に高ボッチ高原というところがあるからそこに立ち寄ろう、と兄貴分の人が言う。ナビで調べたが今度もよく分からない。兄貴分の人を人間ナビにして向かう。途中ガソリンスタンドの人に聞き、さらに近くの道の駅でたむろしていたバイクの集団に教えてもらう。

それを頼りに向かった。迷うような道ではないらしい。たしかに分かりやすいのだが、高原へ向かう道へ曲がる場所がまさかここではないだろう、というような狭いところで、うっかり通り過ぎる。

狭くてきついカーブのつづく急坂をひたすら登る。なにしろいきなり1600メートルあまりの山に登っていくのである。バイクのお兄さんたちは「上は涼しいよー」と言っていた。涼しいがいささかくたびれた。

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アルプス連峰パノラマ展望台。北アルプスの山々が見える。ここは海抜1643メートル。すぐ近くの高ボッチ高原は1665メートルとある。太陽に近いから日差しは強烈だが吹く風は涼しく心地よい。

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人工物が全くない。それも気持ちが好い。

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北アルプスの峰峰が遠望できる。

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見下ろす町は方向から見て松本あたりか。その向こうには美ヶ原が見えていたが写真を撮り忘れた。

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南東方向に気になる形の山がのぞいたので藪を分けて行って見る。おお、形と方向から見て富士山に違いない。

高ボッチ山を最後にして兄貴分の人と長老を米原まで送り、帰路についた。すっかりご馳走になった。また声を掛けていただくと大変ありがたい。思いでの一ページが追加された。いつまで三人の旅が続けられるだろうか。

山崎明『マツダがBMWを超える日』(講談社+α新書)

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「プレミアムブランドとはなにか」がこの本のテーマである。私もいわゆるブランドとプレミアムブランドの違いを分かっているようで分かっていなかった。

 プレミアムブランドの確立には持続する統一した戦略が必要であり、それが企業の利益を生み出すものであることが詳細に語られている。そしてレクサスなどでそれを目指しながら、日本の企業はドイツの企業に比べてどうしてあまりプレミアムブランドの確立に成功していないのか。そのことも解りやすく、しかし辛辣に解析されている。

 車についての言及が多く、しかも高級車についての話が多いので、こちらに縁の無いものであり、少し読み進めるペースが上がらない。さらに時計についてもプレミアムブランドとしてあげられているのはこちらが一生手にすることのないものばかりだ。だからこそのプレミアムブランドであり、ブランドそのものが欲しい人を引きつける。

 わけあってマツダに肩入れする気持がある(愛車はマツダのアテンザである)。だからこの表題に引かれて買った本なのだが、220頁あまりのこの本でマツダ、特にロードスター(息子の車はロードスターである)について語り出すのは180頁あたりを過ぎてからである。マツダについて書いてあるところに期待して最後まで読み、なんだか縁の無い車や時計の車名や商品名を飛ばし読みしたが、私のザル頭でもいささか日本の企業の行き方に問題があることに気がつかされた。

 安くてよいものを大量に作って売ろうとしても、もう中国などに勝てないことが明白なのである。そのときに企業がどう方向を転換するべきかのヒントがここには書かれている。経営者こそこの本を読む必要があると思うけれど、この表題でどれほどの経営者がこの本を目にして手に取ることになるだろうか。読んで無駄にはならないと思うのだが・・・。

2018年8月 1日 (水)

赤目報告

 目の毛細血管が切れて赤目になったことはブログに書いた。先月21日(土)の朝には異常がなかったのに、昼過ぎに洗顔して鏡を見たら左眼の白目の半分が真っ赤になっているのに気がついた。痛くも何ともないし、見え方にも特に不自由はない。でも目の下瞼をめくると下部に血だまりが出来ていて気味が悪い。

 土曜の午後でかかりつけの総合病院はすでに緊急のみの受付であるが、万一手遅れになるのが心配で駆けつけた。良くある内出血で時間がたてば血が引くでしょうと言われ、一安心した。

 そのブログにいろいろコメントをいただいたが、「いかさま」さんからいただいたコメントに、同様の内出血を経験したが一週間程度で元に戻ったとあった。心強いコメントでありがたかった。最初白目の半分だった赤目が翌日には白目全体に拡がり、血だまりも大きくなったみたいだったが、三日くらいすると血だまりが小さくなり、それからは少しずつ赤目がただの濁った眼になり、ほんとうに一週間ほどすると右目と変わらない眼に戻っていた。

 本日見たところでは異常がないようである。特に四日ほど本も読まずテレビもほとんど見ず映画も観ず、期せずしてずっと緑のなかにいたのは目には大変好いことだったようだ。ただ、その反動でいま本が読めて読めて仕方がない。ほとんど一日一冊のペースで読んでいる。久しぶりのことである。

 明日娘のどん姫が帰ってくる。盆休みには息子が帰ってくる。ちょっと気になることがあって落ち着かない気持ちでいたのだが、それを念頭から外すようにしている。なんとなく気持が高調している。

小川糸『にじいろガーデン』(集英社)

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 同性愛については知りたいと思わなかったので、その関係のことが書かれている本にはお近づきにならないようにしてきた。それに同性愛の物語の登場人物の立場に立って感情移入する、ということが困難だとも思っていた。

 この本のテーマが同性愛であり、家族愛であることは読んで初めて知った。小川糸さんの本だから手に取ったのである。小学生の草介という少年の母親であり、離婚寸前で悩んでいた泉という中年女性と、千代子という女子高校生の出会いから始まる。千代子は駅のホームで飛び込み自殺をしようとしていた。その彼女を止めたのは誰か。冒頭のそのシーンが印象的である。

 考えてみれば男は行為をするときに相手の、つまり女性の気持になろうとすることが(不完全ながらではあるが)、ある。女性がどうかは知らない。あまりないような気がする。女性は自分自身の内面に向かうのではないか。そうだとすれば、レスビアンの場合は相手(もちろん女性)の気持になろうとするところがあるのではないか。ある意味でそれは男の視点を持つことではないか。よく知らないけど。

 危機を脱した三人は新天地を求めて星空がきれいな山里に移住することを決意する。新たな家族の誕生である。やがて千代子が出産し、宝という娘が生まれ、家族は四人になる。どうしてレスビアンの女性に子どもが生まれるのか、それは物語の中で語られる。その家族がさまざまな障害を乗り越えて成長し、草介少年は大人になり、宝も大人になっていく。それはごく普通の家族と同様であるともいえるし、障害が多い分だけ絆が強いともいえる。

 外部からの障害以上につらいことが起きる。そのことは読んでいる方もつらい。私でもちゃんと感情移入していたのである。そのことをすべて踏みこえて人は生きて行かざるを得ないし、試練こそがその人を大人にしていく、つまり人間にするのだ。人生は良いことばかりではない。良くないことの方が多くてしかも重いのである。

 人は強くなければ生きていけないが、強さだけでは生きられない。やさしさはときに他人を生き易くさせるが自分自身を疲れさせる。やさしさだけでは人は生きられない。それぞれの個性が支え合い、家族が思い出を紡ぎ出す。さまざまなことが思い出としてキラキラと輝く。彼女たちが移り住んだ山里の星空のように。 

 読んでよかった。

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