王輝『文化大革命の真実 天津大動乱』(3)
王輝氏が文化大革命とその後を生き抜いて来れた理由と、本書が極めて詳細であることの理由について、橋爪大三郎氏はこうまとめている。
「天津の文化大革命は、ほかの地域に比べて穏やかだったとは言え、それでも激烈なものがあった。王輝氏も、幾たびも検査をする側に回り、また検査される側に回った」
「王輝氏は温和で慎重な性格なので、仕事に間違いがないよう、必ず記録やメモをとっていた。これは、正確に仕事を進める業務上の必要からだが、同時に、本書にも示唆されているように、いつ責任を追及され報告書をつくるように言われるかわからないので、自分の身を守るためである。その他の写真や資料も丁寧に注意深く、王輝氏は保存しておいた。これが今回、本書をまとめるにあたって役に立った。一時資料に立脚した記述と考察は、本書の価値を高めている」
「反面、これは危険なことでもあった。個人情報のひとかけらがもれても、幹部は政治生命が奪われてしまうことがある。記録をきちんと保存してあることが明るみに出ると、いつどんな嫌疑をかけられるかわからない。やがて将来あることを期しての覚悟の行動だった」
「本書を通じて、読者が受け取るのは、著者、王輝氏の魂の叫びである。人間の社会に、こんな理不尽なことがあってよいのか、誰もが善意で始めたはずの革命が、なぜこんな無残な経過をたどらなければならなかったのか。社会学を職業に選んだ王輝氏が、畢生の仕事と見定めたのが、自ら経験した文化大革命の真実を後世にのこすことであった。その思いは、見事に結実していると思う」
「本書を読めばわかるように、半世紀前の出来事とはいえ、関係者はまだ存命である。打倒された幹部の家族や子どもたち、傷ついた思い出を抱える大勢の党員や元紅衛兵たちがやっとの思いで生きている。文化大革命を研究するとは、そうした傷口に塩を塗り込むような作業である」
「もうひとつ、重大なことは、文化大革命はやはりまだ、自由に議論できる話題ではないことだ。なによりそれは、中国共産党の、毛沢東の、過ちであり、現在の政治体制の根幹を揺るがしかねない問題をはらんでいる。著者にそういう意図が全くなかったとしても、そういう不測の展開を恐れる人びとが必ずいるのだ」
そういう次第で王輝氏は日本での出版に期待し、翻訳の完成をよろこび、出版をよろこび、そしていつの日にか中国でも出版できることを願っているはずである。
次回は文化大革命そのものを概観的に書かれた部分を解説から引用する。
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最初『殉教の中国イスラム』という本に出会い。
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その著者、張承志氏が文革運動の渦中に、というか、中心にいたということを知り、その後『紅衛兵の時代』というこの著者の贖罪?の本を読みました。
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当初批判的に読んでみましたが、読み終わってから気持ちが揺れ動いたことも事実。著者は放浪の末、ついに先のジャフリーアに出会うようです。
著者はその中で最後に『批判されるべき紅衛兵の過ちは、私の場合草原の4年間に、自分の身体を使って批判出来たと思っている』 と述べています。 勿論それに納得できたわけではないのですが。
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実は私自身は同時代で文革を観察していないようで、どうやら後知恵のところがあるようで、、
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投稿: Hiroshi | 2018年8月11日 (土) 21時12分
Hiroshi様
高校生時代には朝日新聞を通して、そして本多勝一氏の本を通して現代中国を知り、考えていたのですが、次第にそれを鵜呑みに出来なくなりました。
誰かの本や文章を読んだから違和感を感じ始めたのではありません。
その拭えない違和感こそ、自分の頭で考えることの始めだった気がします。
だから文化大革命についてずっと考え続けているのでしょう。
投稿: OKCHAN | 2018年8月12日 (日) 08時19分