正直と公正
正義を標榜する人たちが、しばしば(というよりほとんど)自分のいう正義にいささかも懐疑を抱かないひとりよがりのものであることにうんざりして、正義の名のもとに他人を糾弾するその姿に賛意より反感を感じてしまう。これはいわゆる左翼だろうが右翼だろうがリベラルだろうが、私にはほとんど同じように見えてしまう。
自民党の石破氏が立候補表明で「正直と公正」を謳っていた。これが安倍首相への皮肉、当てこすりであるとのいわれ方をしているが、たしかにその通りの点もあるだろう。しかしそう言わざるを得ないような日本の政官界の劣化が日々のニュースで取りあげられ続け、産業界やスポーツ界、教育界にまでこれだけ不公正が蔓延していることが知らされると、石破氏がそれを正さなければならない、というのは至極当然のことを言っていると考えることも出来る。彼が「正直と公正」と言い「正義」という言葉を安易に使わないでいることにも好感を感じた。
人間というのはぶれやすいものだから、結果的に世の中には厳密な公正というのは達成されがたい。人それぞれの見方で公正という線の通り道は少しずつ違うものだ。だが、多くの人がいくら何でもそれは限度を超えている、不公正だ、というのがまかり通っていたらそれをただすのは当たり前のことであり、それを大事なこととして語る石破氏に私は賛意を表明する。それをきれいごとだといってシニカルに捉えるのは如何かと思う。
政治家として、日本という国にとって誰がより必要な政治家であるかどうかはそれぞれの人の判断によるものとして、我々日本人が「どうも世の中がおかしいぞ」、とほんとうの意味で気がついて、不公正の甚だしいものから順次正していく、または正す人びとを応援する、正している人に喝采を送る、ということが必要なのかも知れない。
マスコミは味噌も糞も一緒である。針小棒大だったり大事なことを見て見ぬふりをしたりする。とはいえマスコミの力が無いと長年の悪弊による不公正はなかなか正すことは困難だ。必要悪の部分も含めてきちんと役割を担ってもらいたいものだ。
見方を変えれば、さまざまな不公正が露見しているということは、不公正は正さなければならない、もう限界だという時期に来ているのだということでもあるだろう。いままでのようには行かないということでもある。ある意味ですでに日本は変わりつつあるのかも知れない。
その機運を捉えての石破氏の言葉であれば、私は真摯に耳を傾けても好いのではないかと彼の立候補表明を聞いていた。
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石破氏が出てたテレビ番組を2倍速で見たら、違和感なく聞き取れました。
普段の喋り方は、個人的にイライラします。(笑)
投稿: けんこう館 | 2018年8月11日 (土) 10時21分
けんこう館様
たしかに石破さんはゆっくりしゃべりますね。
歳とともに早口が聞き取りにくくなりますので、丁寧にゆっくりしゃべる方がわかりやすいようになりました。
もともと左耳があまり聞こえませんから、お笑いの人の早口など全く聞き取れなくなってなにが面白いのかわからなくなりました。
早口の方がイライラして腹が立ちます。
それに意味不明のカタカナ言葉がたくさん入ると日本語とは思えないくらいです。
ついテレビの音量も大きくするので、その大きさに子どもたちはびっくりします。
投稿: OKCHAN | 2018年8月11日 (土) 11時17分
少しひねくれて居る私には 禅譲を待つ○○さんよりは
石破氏に好感が持てます
投稿: イッペイ | 2018年8月12日 (日) 08時24分
イッペイ様
現在の情勢から見て、いまは安倍さんしかいない、と決めつけるのは如何かと思います。
私は安倍さんを評価する者ですが、一強が続きすぎることは国にとっても自民党にとっても、さらに安倍さんにとっても、はたして善いことかどうか考えてみる必要がある気がします。
思いきって若い人が立ち、皆がそれを支えることで日本がまとまれば理想だと思いますが、その機運がないのが哀しい気がします。
投稿: OKCHAN | 2018年8月12日 (日) 11時16分