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2018年8月27日 (月)

久しぶりに『西遊草』

 幕末の志士・清河八郎が母親を伴って、庄内から日本海、長野、名古屋から伊勢、さらに奈良京都、そして海路金比羅宮、さらに安芸の宮島まで旅してふたたび京都、名古屋、江戸を経て庄内までの約半年間の旅の日記を『西遊草』という。

 枕元に睡眠薬がわりの本が積んであるなかの一冊なのだが、ここのところしばらく手にしていなかった。思い立って久しぶりにまた読み始めた。ちょうどこの旅の一番西、安芸の宮島にまで至ったあたりである。その中の一節がちょっと好いので紹介する。

「吾(われ)は天下を周遊せし漫遊生なれば、度外にあるべきなれども、安芸の宮島は吾国(わがくに)の男子とても万人に独(ひとり)にて、多くは金比羅より帰るなり。然るを今度幸ひにして母をいざなひ来たりしは、吾(わが)こころの大慶のみならず、母ものちのはなし種と、ともにこころよく三杯をあけ、酔ひを尽しぬ。『すべて天下の名所は、家にありて話をきくときは、まことに面白きありさまなれども、自らそのところにいたり見るときは、いずれも聞きしに劣るものなるに、宮島はききしにまさる美事なり』と母のよろこびしに、吾れも此迄遠くいざなひきたりし益ありと、こころによろこび、別して酔をなしぬ」

*度外 数に入らないとか、のけものという意味だが、この場合はふつうの人とは違うという意味であろう。

 多少読み難いけれど、意味は読み取れるであろう。母親がこの旅を喜んでくれていることを、息子として嬉しく思う気持ちが素直に書かれている。読んでいるこちらもなんだか嬉しくなるではないか。

 それにしても清河八郎はよく飲むのである。旅先で知人などに出会えばすぐ酒盛りである。嬉しければまた酒盛りである。このときは母親も美味しそうに酒を飲んでいる様子が見えるようである。

 清河八郎と言えば幕末の志士の中であまり良い見られ方をしないひとで、策士で傲岸不遜であるかのように語られる。多少好意的にこの人を書き留めているのは、同じ郷里の藤沢周平くらいかも知れない。私の父のふるさとは清河八郎の出身地である清川村とは遠くない。なんとなく思い入れがあり、二度ほど清河八郎の記念館を訪ねている。ここでこの『西遊草』という本を教えてもらったのである。

 まだまだ半分も読み終わっていないが、清河八郎親子と一緒に旅する気持で、楽しみながら読み進めたいと思っている。

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