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2018年8月13日 (月)

北原亞以子『隅田川』、『やさしい男』(新潮文庫)

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 『慶次郎縁側日記』シリーズの第六集と第七集。

 一度ならずこのブログに書いたことだが、歌詞はストップモーション的なものの方が余韻が深くて好い。ある情景を写真のように切り取りながら、その心情の背景を語る歌に優れた歌があるように思う。たとえば八代亜紀の『舟唄』や都はるみの『北の宿から』などだ。歌詞にはストーリーは語られているけれど、時系列をたどるものというより、その情況にいる女の背景と心情を語るためのものだ。

 この『慶次郎縁側日記』も同様な手法で書かれているものが多い。独白の形で登場人物の背景が語られるが、実際の進行はほとんど極めて短時間の中での出来事である。シーンがたくさんあるはずの映画の中のワンシーンか、せいぜい二シーンで物語が終わってしまう。だらだらした映画(特に日本の映画に多い)のように結末を延々と語るようなシーンはない。

 この小説はあえて分類すれば捕物帖型の短編小説集なのだが、謎解きの要素はほとんどない。読者が興味を引かれるのは、切羽詰まった情況に置かれた登場人物が、どうしてそのような状態に追い込まれるようになったのか、そしてそれが結果としてどうなってしまうのかということである。それなのに絶望的な気持になっている登場人物が、思ってもいなかった曙光をかすかに見いだしたところで物語は終わってしまうのである。

 登場人物は、自分を絶望的な状況に追い込んでいるのは世間だと思い込んでいる。たしかに運のようなものがそのように自分を転落させている面もあるが、実はほんとうにその袋小路に追い込んでいるのは自分自身であることが多い。袋小路にしているのは自分自身なのである。曙光はそれに気付くことから生ずる。それを慶次郎やその脇役達のやさしさが気付かせてくれるのである。

 もちろんそんなに都合の良いものばかりではなく、絶望が深まるものも、ときに描かれる。人生の深淵はやさしさだけでは救われないことがあるのは哀しいけれど事実だ。そのときに慶次郎と一緒に読者もため息をつくのである。

 北原亜以子はこの短編集で結末をほとんど語らない。結末は読者自身が描くしかないのである。

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