釣り道具を捨てる
就職してすぐにゴルフを覚えることを薦められた。営業に配属されたから、仕事に必要だということだった。運動神経には自信がない。球技は自分の長身を利することの出来るバスケットと、学生時代よくやったバトミントンと卓球はかろうじて人並みだけれど、全般に苦手である。先輩に何度かゴルフの打ちっ放しに連れて行ってもらった。左利きなのだが、右打ちをするように教えられた。右打ちだと自慢の腕力が活かせないが、コントロールが良くなるそうだ。
そのあと本格的に始めるために御徒町のゴルフ用品の店にクラブを買いに行った。こういうものを買うときはわくわくするものだ。そのクラブを買い、それで自分がボールを打つときのイメージが浮かぶはずである。それがそんな気分にならない。
その隣に釣り道具屋があった。ゴルフクラブをかうのに逡巡して、飽きてきたのでそちらをのぞいた。いろいろな種類の竿が並んでいる。店員にいろいろ教えてもらった。何も知らない私に丁寧に説明してくれた。買いそうに見えたのであろう。投げ釣りというのは知識で知っていたけれど、初めて竿やスピニングリールの実物を触った。気がついたら4.2メートルの超ハードタイプのグラスロッドと五号のラインを巻き、八号のテーパーをつけた(釣りに詳しいひとしか分からないか)スピニングリールを購入していた。
こうしてゴルフとはついに縁を繋ぐことなしに、釣りが趣味となった。私の育ったのが九十九里浜に近いところで、そこから銚子の手前の飯岡まで50キロたらず。そこは太平洋に面して波が荒い。その防波堤から遠投するとイシモチという魚が面白いように釣れる。夜明け前から釣って三時間程度で三十くらいはあたり前に釣れるのである。あれくらい前の晩からわくわくとしたことはほかにない。この竿はキスを釣るには適さないが、荒波に遠投するイシモチ釣りに向いていたのだ。重い木刀の素振りに似た腕力を必要としたが、それが爽快なのである。
そのあと釣り好きの仲間も出来て、船釣りで東京湾へアジやスズキを釣りにいった。冬のさなかに横須賀沖に快速艇で遠征し、大型のイシモチなどを釣りにいったり、平塚沖にイナダ釣りにいったりした。そのころには拠点が熊谷に移っていたから大遠征である。
名古屋に転勤してからは船舶免許を持っていた友人と船外機付きの貸し船で浜名湖のカワハギ釣りを楽しんだ。知多から船でやはりカワハギ釣り、アジ釣りを楽しんだ。定宿にする船宿も出来た。得意先の釣り好きのひとと御前崎まで遠征して大型アジやワラサなどを釣りにいったりした。
歳とともに船釣りが大儀になり、防波堤の釣りを楽しむようになった。最初は知多で遊んでいたが、あまり釣れないので、三重県の南島町まで脚を伸ばすようになった。メジナ(いわゆるグレ)の中小型が面白いほど釣れる。
子どもたちはさいわい魚ぎらいではないので、釣った魚を美味しく食べてくれる。そのかわり鮮度の悪い魚にはうるさくなったが、本物を知っていることは善いことである。知多で春先には小アジや小サバその他の小魚が釣れる時期がある。ときどき子どもたちを連れていった。ハゼ釣りにも毎年行った。子どもたち専用の竿ももたせた。
震災の年に父が大往生をして、釣りを控えるようになり、そのあと母の介護の手伝いが始まって釣りに行くどころではなくなった。そして母が亡くなって釣りに行かなくなってしまった。行きたい気持がないわけではないのだが、これも一つの習慣のようなもので、一度億劫になると早朝出かけることがつらくなる。
気がついたら数多くの釣り竿、リール、釣り用のクーラー大小、釣り針やテグスなどの小物が山のように残っている。使い古して人にあげられるようなものではない。思い出だけ残して処分することにした。
防波堤用に小ぶりの竿二三本と仕掛けなどをわずかに残したのは未練である。
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コメント
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もう何年も釣りに行ってないのに物置にある道具は捨てられません。向いてなくて、たぶんもう行くこともないアユ釣りの道具はリサイクルショップに持って行ったら4000円くらいになりました。
鮎足袋だけは田植えの時に使ってます。
投稿: けんこう館 | 2018年8月23日 (木) 09時18分
けんこう館様
安物で使い込んだものばかりなので捨てる以外にありません。
あと数回は三重県の方で防波堤釣りをしてみたいと思っています。
それを楽しんだら釣り納めです。
投稿: OKCHAN | 2018年8月23日 (木) 11時49分