浅田次郎『長く高い壁』(角川書店)
浅田次郎は有数の小説巧者であると思う。ちょっと巧すぎるところが鼻につかないことはないが、面白いことは間違いない。多作だからすべて読むつもりはないが、『蒼穹の昴(上・下)』『珍妃の井戸』『中原の虹(1)~(4)』『マンチュリアン・リポート』の満州を舞台にした四部作は大いに楽しめた。いま、さらにその続編となる『天子蒙塵』が(1)~(3)まで出版されていて、そのつづきの出版を待っている。いつものように全巻揃ってから一気読みしたいと思っているのだ。
浅田次郎に限らないが、中国が舞台の本は手当たり次第に購入して読んできた。私は舞台が中国であるというだけで面白さのスイッチが入りやすい。しかしそれではきりがないし、中には肌合いのあわない作家もいて、最近はかなり選別するようになった。
そういう意味で今回読んだこの『長く高い壁』(『長く高い壁』というのは万里の長城のことである)は、浅田次郎の中国を舞台にした小説だから文句なしに手が出たのである。もしかして満州シリーズのスピンアウトものかと期待するところもあったし。
しかし、残念ながらこれは全く独立した一作もののようである(主人公の探偵作家・小柳逸馬がほかの本にも登場していて関連本があれば別だが)。
従軍作家として北京に派遣されていた探偵小説作家の小柳逸馬は軍の要請で万里の長城・張飛嶺に向かう。彼を補佐するのは検閲班長の川津中尉。そこで彼等を待っていたのは、張飛嶺の守備隊十名が全員死亡して発見されたという大事件の解明という役目だった。
共匪の襲撃によるものというのが当然の推論だが、それにしては不可解なことが多すぎる。現地では憲兵隊の小田島曹長がエスコートする。彼は事件発生の報で最初に駆けつけた一人であり、背景や張飛嶺のある密雲の町について誰よりも詳しい男でもある。
関係すると思われる人物の訊問が行われていく中で、次第に事件の様子が明らかになっていく。もともと千名ほどの部隊がこの密雲に駐留していた。彼等は南京陥落のあと、国民党軍が武漢に拠点を移したため、その総攻撃に参加するために密雲を離れていた。そして密雲に残されたのが三十名の寡兵だったのであり、交替で張飛嶺の守備についていた十名が不可解な死を遂げたということであった。
訊問の中で残された三十名(生き残っているのはもちろん二十名)が、部隊の鼻つまみの、問題のある兵ばかりであったことが分かる。いろいろの推理ができるようになり、事実が見えてきたかと思われた矢先に新たな事件が起こる。
小柳探偵の推理はこの謎をどう解くのか。そして真相はなにか。それは明かされるのか。そもそも戦地で死ねば戦死であり、なぜ小柳がわざわざ解明を命じられたのか。そしてそれを命じたのはいったいどこの誰なのか。戦争というものの愚かしさ、無意味さにつながるような結末は苦い。
小品であり、浅田次郎特有の感動を呼ぶシーンはない。そういう物語ではないし。なんだか浅田次郎は遊び心を持って、この本をひねったスタイルで書いて楽しんでいたように思われる。
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