王輝『文化大革命の真実 天津大動乱』(6)
前回の続き
「毛沢東は、文化大革命が軍の内部に波及するのを禁止した。ゆえに、軍幹部は大部分が批判も打倒もされなかった。文化大革命の混乱を収拾するために、都市に入って、革命委員会の重要な構成員となった。この点から見ると、革命委員会は開眼政府の性格ももっていたと言える」
「毛沢東は、このような手段を用いても、自らの路線に反対する共産党幹部を打倒する必要があると考えた。結果的に文化大革命は、あたかも一場の夢のように消え去って、毛沢東の意図したのとは反対の、鄧小平の改革開放路線を生み出した。だが、よく考えてみると文化大革命には、中国の近代化に必要な人びとのエートスの根本的な変化を生み出したという、プラスの側面もあったと言える」
「共産党の革命は、経済に重点を置くはずである。ところが毛沢東は過剰に、政治や思想に重点を置いた。この点で毛沢東は、ほかの中国共産党の指導者に比べても、際立っていた。人びとは困ったことだと思いながら、このやり方に魅了されてもいたのである」
「毛沢東が行わせた大事なことのひとつは、紅衛兵に「親を批判」させたことである。これは伝統中国の儒教道徳の、根幹に関わる大事件である。儒教は、忠(政治的リーダーに対する服従)と孝(親に対する服従)をどちらも大事だとし、しかも忠より孝の方がもっと大事だとした。親は選べず無条件の服従だが、政治的リーダーに対する服従は条件付きなのである。この意味で中国の君主は、「絶対的」支配者ではなかった。毛沢東が紅衛兵に、親を批判させることが出来たのは、毛沢東が親以上の親である、と子どもたちを教育して置いたからである。教室には毛沢東の正蔵が掲げられ、子どもたちは「毛沢東的好孩子(毛沢東のよい子たち)」とされた。毛沢東こそが「本当の親」なら、自分の親を批判できる。スターリンもカストロも、いくらカリスマがあって個人崇拝されても「親」ではなかった。毛沢東は「親」になることで、中国の人びとのエートスの変更を迫ったのだ」
「もうひとつ毛沢東の文化大革命の大事な点は、労働者・農民・一般大衆を、政治運動の主役としたことである。伝統中国では、政治は官僚たちの専権事項で、一般の民衆はそもそも政治に参加することを禁じられていた。民衆が政治に参加するときは、王朝末期の宗教反乱で、いよいよ政府が消滅する瞬間だった。毛沢東は、これを覆し、共産党の幹部ではない一般の人びとが、立ち上がり運動してよいとお墨付きを与えた。共産党が間違っており、幹部が誤っているとしたら、誰をあてにすればよいのか。自分たちが立ち上がって、革命を守らなくてどうする。ドブンたちがこの国の主役であるという広範な意識を生み出した点で、文化大革命は大きなプラスの遺産を残した」
このあと、
「中国社会のあり方は、日本と大変異なっているので、日本の類推で中国を理解しないほうがよい」
として、その違いを列記していく。この先は詳細に過ぎて煩雑なので文化大革命の概観についてはここまでとする。
註:「エートス」とは、私のカタカナ語辞典によれば、
①習慣を通して形成された人間の後天的・持続的性格、気質のこと。(アリストテレスの倫理学で用いられた言葉)
②社会精神、ひとつの民族・社会に共通な性格、行動様式のこと。
このあとは著者の王輝氏の文化大革命ついての総括と文化大革命以後についての文章を一部紹介する。
「書籍・雑誌」カテゴリの記事
- レム『ソラリスの陽のもとに』(2024.10.13)
- 最近の読書(2024.10.07)
- 検閲(2024.09.25)
- 『パイプのけむり』(2024.09.13)
- 戦争に当てる光(2024.09.06)
コメント