チベット 夢の配達人
『チベット 夢の配達人』は、「解放」されたチベットで、野外映画を観せて歩く人とそこに集まるチベットの人たちを描いたNHKのドキュメントである。十年以上前に放映されたもので、昨晩もう一度観た。
チベットの山間部(チベットはほとんど山間部だけれど)、ニモ県が舞台である。夏のあいただけ、徒歩か馬でだけ行くことの出来る(つまり車で行くことが出来ない)村々を、映写機と映画のフィルムその他一式を担いで回るトト。いつもは一人だが、今年は18歳の少年プラーが見習として同行する。村々にはまだ電気が通っていないから、重い発電機ももっていく。
村と村はそれぞれ20キロから50キロ離れていて、約一月で15~20くらいの村々を回るのである。たいていはその都度次ぎに行く村から迎えが来て資材の運搬を手伝ってくれる。美しいチベットの景色、純朴そのものの村人の姿が胸に沁みる。
テレビがふつうに各家庭に普及したのは私が小学生の頃だから、その前は映画が娯楽の王様だった。学校がときどきくれる割引券をもって映画館に行くのは私の無上の喜びであった。多分映画館が客寄せの一環として学校に渡していたものだろう。だからシリーズ物の第一部だけ割引券がもらえたりするので、つづきを観るために親から金をもらうのに苦労した。
春の桜祭りや夏祭りの時には広場で野外映画が上映された。いつもは許されない夜の外出がこのときだけは許された。古い映画が多かったから、白黒で雨降りだったけれど、夢中で観た。ドキュメントにはそのときの自分がいた。
そのような巡回にはトラブルはつきものである。さいわいそれほど大きなトラブルはなく、小さなトラブルをその都度対処しながら旅は続く。トトはこの巡回を始めて20年、村人との交流は厚くなっている。村人が、彼のやって来るのを待っているのは映画を観たいからだけではないのである。そのことを見習いのブラーに繰り返し教え込んでいく。もっと積極的に村の人たちと話をしなさいと無口なプラー少年にさとす。
トトが前日の雨にうたれたことや疲労で倒れてしまう。プラーは初めて一人で上映をすることになる。具合が悪いのに心配で起き出して陰ながら見守るトト。トトは結婚していたのだが、不在が長期にわたることを嫌う妻と五年前に離婚している。
一晩寝ただけでトトは回復する。その頑健さには感心する。トトはプラーを伴って近くの村に住む、以前の自分の親方を訪ねる。元親方はトトとは違い、妻と村に定住することで映写技師の仕事を辞め、トトにあとを託したのだ。
最後の方で、車の通る道路に近い村を訪ねるのだが、そこにはすでに電気が通っていてテレビもあるという。野外映画には大人はもう来ないで、集まるのは子供ばかりだ。その子どもたちも夢中で観ている者もいるけれど、上映中にふざけて画面の前に立ったり影をつくったりする者もいる。そこにはほかの村で観た純朴そのものだった子供の姿はない。テレビが普及すること、文明が普及することの意味を考えさせられる。
トトに巡回映画の未来についての見解を尋ねると、巡回映画はずっとなくならないと胸を張る。なぜなら映画は特別素晴らしいものであるからだからだと答える。そして大好きだというユーゴスラビア映画の『橋』の中の歌を口ずさむ。彼こそ映画少年だったのだ。そしてプラーは自分も巡回映画の仕事をするのだと語る。
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