王輝『文化大革命の真実 天津大動乱』(ミネルヴァ書房)・予告編
訳・中路陽子、監修・橋爪大三郎、張静華(橋爪氏夫人)。
大部のこの本(註や索引、年表まで入れれば約700頁)は中身が濃くて重い。卓の前に坐って卓に本を置いた状態で読んでいる分には良いのだが、私の本を読む状態は人に見せられないほどだらしがないことが多い。寝転がって本を頭上に掲げるときに、本が重いとくたびれるのである。この本は下手をするとその重さで顔を怪我しかねない重さである(大げさだけれど)。
中国文化大革命は1966年に始まり、丸十年の長きにわたってつづいた。1966年というのは私が高校生のときであり、そのとき以来「文化大革命」とはなにか、というテーマはずっと私の頭を離れたことがなく、私のライフワークとなったことはこのブログに繰り返し書いているので、「またか」と思う人も多いだろう。ある意味でそれに囚われている部分があるのだが、いまはそういうものを抱えていることは抱えていないよりも自分には意味があったと思っている。
いろいろな視点から書かれた文化大革命に関する本を読んできたが、この本はそれらとまた違う視点からの本なのである。どこが違うのか。そのことも含めてこの本を紹介説明したいのだが、これだけ大部の、しかもどの部分を読んでも引用したくなる本をまとめるだけの力が私には無い。
この本を読み始めたのが春であり、夏までに読了しようと思いながら、中断して二ヶ月ほどほとんど開かずにいたのでもう読みきれないかと思いかけていた。それがようやく読み切ることが出来たのは幸いであった。読んだことに満足して反芻する気力が残っていないのである。
というわけで、これから監修者の解説や訳者の力を借りて、その引用を多用しながら何回かに分けてこの本を紹介したいと思う。当然それは文化大革命とはなんだったか、その一面を語ることになるだろうと思う。現代中国を、そして中国人を語るとき、私は文化大革命を抜きには語れないと思っている。
著者の王輝という人は天津市の役人であったが、文化大革命の時代を役人として生き抜き、天津市の仕事を全うし、後に大学教授となる。退任後洒脱な随筆などを書き、思い立って自分が持つすべての資料と記憶と経験を元に、自分の知る天津市での文化大革命の記録を書き綴った。書き上げたのは、彼のあとがきによれば2006年頃のことである。そしてその文章を託されたのが旧知の橋爪大三郎で、橋爪大三郎は自分の教え子の中路陽子に翻訳を任せた。
翻訳、そしてその監修は大変な作業だったようだ。そしてこの本が日本で出版されたのが2013年である。もちろん中国や香港でこのような本が出版されることは許されない。だからこの記録を読めるのは、いまのところ日本にいてこの本を手に取ることの出来る人だけである。
ところで、帯にあるように養老孟司がこの本を絶賛したとある。養老孟司、さすがにすごいなあ。感心する。彼にとっても文化大革命とはなんだったのかということが常に念頭にあってのことなのだろうと拝察する。
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