そのときに何を考えたのか、いま知りたい
いま、『開高健対談集 午後の愉しみ』という本を読んでいる。初版は1974年で、私のもっているのは1978年出版のもの。買ってすぐに読んだ記憶があるので、四十年ぶりの再読である。開高健は、以前書いたことがあるが、私が強く影響を受けた作家である。当時この本を読む前に、『開高健ノンフィクション全五巻』のうちの『河は眠らない』、『路上にて』、『孔雀の舌』の三巻を古本屋で見つけて買って読んでいる。さらに『最後の晩餐』、やはり対談集の『悠々として急げ』という本を手に入れて読んだ。これらは私の宝物だ。
いまそのうちの『午後の愉しみ』を読んで開高健のすごさをあらためて感じているところだが、この本についてはもうすぐ読了するので、あとで紹介することになると思う。この本を読んでさまざまに感じ、考えたのだけれど、初めて読んだときにどれほど読み込めたものか、そして一体何を考えたのか、もちろんもう覚えていない。なにかに書き残していれば、そのときの自分といまの自分がどれほど変わったのか、全く変わっていないのか分かるかも知れないのに残念である。
こどもの時から本が好きで、ずいぶんたくさん読んできた。しかし世の中に本は山のようにあって、一生のうちに読める本はその中のほんのわずかでしかないことに、まことに残念な思いがする。しかも読み取る能力やそもそもの素養がお粗末であれば、その本のわずかしか自分が受け取ることがないのである。読み飛ばせば数は読めるけれど、自分に残るものがわずかなら本当に読んだとはいえないし、だからといってあまりに几帳面に読んでいれば読める数もさらに限られてしまう。
再読して最初に読んだときの感想と比較し、読みに深みを与える、つまり時間というファクターを入れることで読みに立体感が出るように思う。そんなことをいまごろ気がついて、いままでなにをしてきたのか、なんと無駄な時間を過ごしてきたのか、と残念に思うが、後悔先に立たずである。
若いときよりは若干とはいえ読み取る力はついていると思っている。限られた時間であるならば、再読に値する本をもっとたくさん読み直すことにしようかと考えている。幸い棚には山のように再読を待つ本が並んでいる。その分新しい本を買うのに制限をかければ、多少はふところも楽になるし。
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