自嘲
梅原猛の文章を読んでいて、引っかかるところがあった。
「一般にあまりに自己を笑いすぎる人間は、あまりにも大きな自惚れの持ち主ではないか」
自己を笑うということは、自己を愚かな者と見做すことだから、自惚れの持ち主というのは当たらないのでないか、と思ったのである。
そうしたらそのあとの文章に、
「あまりに多く自嘲の笑いを人に示そうとする人は、その自嘲の笑いによって、自嘲の笑いすらできない他人に対する優位を示そうとしているのではないか」
とある。『笑いの構造』(角川選書)という初期の若書きの評論集の中の文章である。
なるほど、ソクラテスの「無知の知」と同じ見立てか。問題は「あまりに多くの」ということばのほうにあるのかも知れない。自嘲はしばしばきつい皮肉になることがある。私の悪い癖でもある。自嘲を自重することもときに必要なのかも知れない。
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