王輝『文化大革命の真実 天津大動乱』(1)
訳者があとがきで本書の特徴を二点挙げている。一つ目は、本書がこれまでに書かれた多くの文革に関する回顧録とは異なる視点で書かれている点、二つ目は、文革の「静」の側面をわれわれに教えてくれているという点である。
この特徴は著者の王輝氏が置かれていた立場によることが大きい。それが二点の両方を書き留めることが出来た理由である。第一点についても詳しく論じられているが、以下に訳者のあとがきから第二点の「静」の側面についての部分を引用する。ここで著者の立場もおおむね理解できると思う。
「通常、文革で注目されるのは、指導者達の政治的駆け引きや食うか食われるかの熾烈な権力争いであり、紅衛兵や労働者達の熱狂や暴力行為、内ゲバである。こうした文革の「動」的な部分は、我々にとって非常に興味を引かれる対象であり、また、文革を構成する重要な要素である。しかし、こうした人々に鮮烈な印象を与える文革の「動」的一面も、やはりそれは文革の一面に過ぎない。文革には、もう一つの「静」の一面があり。本書はそのことを我々に教えてくれている。文革の「静」の一面とは、激しい動乱の中でも、中国共産党が、そして中国というひとつの国家が崩壊してしまうことが無いよう、懸命に日々の実務をこなし続けた人々の存在である。彼等は「動」=大乱のためではなく、「静」=体制維持のために、懸命に働き力を尽くした」
「王輝氏は、文革以前から天津市委員会弁公庁で主任を務めており、日頃から天津市委員会の書記らと接することが多かった。彼は、書記らのために文書を起草し、日常の業務が滞り無くすすめられるように事務方をまとめていた。王輝氏は、天津市委員会が天津市という組織をうまく運営するための仕事を熟知していたし、書記らの考えだけではなく性格をも良く理解していた。文革が始まり、奪権によって新しい臨時権力機関である天津市革命委員会が成立したが、その中核を構成した者達にとっても、王輝氏のような人物は必要な人材であった。そのために、王輝氏は一時造反派からの取り調べや攻撃を受けるものの、失脚は免れ、天津市革命委員会の弁公庁主任を務めたのである。後に、天津市委員会が新たに成立すると、天津市委員会弁公庁主任を務めた。結局、王輝氏は文革の始まりから終わりまで、天津市委員会あるいは天津市革命委員会という天津市における権力機関の内側にいて、動乱の過程を自ら体験した。そして、一貫して市の運営が正常に行われるよう尽力したのであった」
「本書に記されている、多くの困難に圧倒されながらも、天津市というひとつの組織をどうにか維持しようと奔走する王輝氏の姿が浮き彫りにするのは、まさに大動乱であった文革期、中国を必死で支え続けた、必ずしも有名ではない実務家達の存在である。こうした人々の存在があったからこそ、中国は崩壊せずになんとか文革を乗り越えることが出来たのである。この事実こそ、文革の真実であると言えるのではないだろうか」
「文化大革命は、遠い過去の出来事ではない」
「王輝氏も本書で述べているように、文化大革命は、中国の改革開放を可能にしたひとつの重要な要素である。文化大革命は経済発展のの道を進もうという中国国民の気運を高めるよう作用した。現在、中国は経済大国への道を猛烈な勢いで進み、国際社会への影響力を日ましに高めている。そうした現在の中国を形成した重要な一要因としての文化大革命を、我々は学ばなければならない」
訳者あとがきの一部を引用した。この本の意味を的確に説明していると思う。では文化大革命とはなんだったのか。訳をした中路陽子女史の師であり解説の橋爪大三郎が詳細に論じているが、その一部を次回に紹介する。
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