無題
やらなければならないことはたいてい面倒でやりたくないことが多い。先送りしてもやらずに済むようになることがないものは優先的に片付ける。片付けたあとの気持にささやかではあるが満足感もある。やらずにいればずっと気持も片付かずに不快なものだ。そんなことは最初から知っていたけれど、この歳になってようやく自然にそれが出来るようになった。遅ればせながら少し生き方が楽になった。
やりたいことはやっていて楽しいのだから少々後回しでも問題ない。やりたいことがいつの間にかやらなければならないことになったりする。そういうときはやらずに先送りする。無理をするとやりたいことがちっとも面白くないことになったりするから、やりたい気持がたまるまで放っておく。結構時間がかかることも多いが待つしかない。
楽しみはさまざまあるのだけれど、愉しさの度合いや楽しいと思う時間の長さが、歳とともに小さく、そして短くなってきたのは哀しいことだ。蓄積された経験が感動を縮小させる。感情の皮も肥厚して鈍感になってしまった。精神に柔軟性を失い、だんだん無機物に近づいているような気もするが、それが歳をとるということだとあきらめている。楽しみに理屈を付けるのは老化のせいだろう。理屈で楽しもうと思っても、楽しみというのはそういうものではない。
新しいものに感動するよりも、静かに自然を眺めてボンヤリしたり、なにも考えずに音楽を聴いていることがむかしよりも気持ちが好いと感じるようになった。もちろんそんなときでも想念は駆け巡っていて、思ってもいなかったことが浮かび上がったりする。
最近デジタル音楽を囓りはじめ、いままであまり聞くことがなかったジャズやクラシックを楽しむようになった。そんな風に、いままでしていなかったことで始めたいものがほかにもないわけではない。まだ多少だが色気は残っているので、ありがたいことだと思っている。
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おはようございます
先日は私の拙いブログを見ていただきありがとうございます。
私も同感です。最近では一日が異常に短く感じます。
「歳月人を待たず」と言いますが、今それを実感しています・・・。
では、
shinzei拝
投稿: shinzei | 2018年10月10日 (水) 06時42分
shinzei様
日常の雑事をこなすことが人生の大半ですが、その積み重ねがときどきの自分だけの催事を楽しいものにします。
仕事を離れるとその区別が不分明になり、催事が際立たなくなって精神の高揚を伴わなくなるようです。
ウイークデイがあって週末の愉しさがあることを知りました。
投稿: OKCHAN | 2018年10月10日 (水) 07時25分