旅について
どうして日常生活を離れて、面倒でしかも金もかかる旅に出かけるのだろう。日常生活の方が面倒でわずらわしいというわけではない。よく考えれば、日常生活の方が安楽である。たしかに日常生活には常に些細なことを片付けなければならないということはある。しかし旅に出たところでそれらのことはついて回るし、それを放り出して出掛けた分、帰って来ればそれらは倍加して目の前にある。
変化を求める気持が旅をそそのかすのだろうか。男が出掛けたくなる気持にはそういうところはある。いまは女性も同様か。昔は「女は港、男は船よ」などと言ったりしたが、いま旅先では女性の方がずっと多い。男も女も船になったかの如しである。
若い人たちが自分探しの旅に出かけるなどという。自分探しというからには、自分を見失っていることが前提なのだろうか。どうも見失うほどの自分などそもそもないように見える。ないものを捜して旅をして、見つけるのは自分の国であり、ふるさとであり、家族である。つまり出掛ける前に自分の寄って立っていた場所である。自分探しとは、言い古されている通り「青い鳥」探しなのだろう。
最近ウズベキスタンに行き、そのあと国内の特になじみの場所を歩き回って、自分の寄って立つ拠点を確認するというよりも、そういう拠点を見失ってしまっている自分を発見した。自分が見失われていると感じた。だから自分を捜しにまた旅に出る、などというつもりはない。そもそも寄って立つところを失っているのなら、どこにいても同じであり、日常も旅も同じである。五木寛之ではないが、自分はデラシネなのだという感を持ち始めている。
旅といえば、私が戻るのは森本哲郎師である。世界中を旅して歩き、思索を深めた師には、『旅』と付く本が数多くある。私が迷ったときに戻る原点である。若いときに自分を見失いかけたとき師の『生きがいへの旅』という本に出会って救われた。いま棚から『文明の旅』という本を引きだして読み始めている。この本はいま文明の栄えている国やところのことばかりが書かれているのではない。遙かな昔に栄えた場所での師の思索が主に書かれているのである。
ウズベキスタンでこのような思索をするべきであった。そうしたら自分を見失っている、などというたわごとを思わずにすんだかも知れない。
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私も旅が大好きです。
でも
自分探しを!!!・・・なんて思ったことがありません。
私の旅は
平凡な日常から離れ、自然に触れあえて感じる感動&癒しを求めて!!!。
でも 映画でやるように失恋して旅に出る事もあるのでしょうね。
そう 考えると・・・同じ場所にいる旅人も人それぞれの思いがあるのでしょうね~。
投稿: マーチャン | 2018年10月25日 (木) 08時21分
マーチャン様
同じ景色を見ても、感じるものは人それぞれ違うのでしょうね。
確かに旅に出ると少し感受性が高まるような気がします。
なにかを感じ、ときに見えないものを見たような気がするとき、生きていると実感します。
ふだんの生活ではあまり感じない気持ちです。
投稿: OKCHAN | 2018年10月25日 (木) 09時14分