話せば分かるか?
話せば分かるはずだと云いながら、自分の言い分は決して譲らない。そもそも分かるためには相手の言い分を聴かなければならないし、合意することを前提にしなければ話し合いはあまり実りのあるものとはならない。
しかるに世の中はディベートという名の喚き合いである。自分の声の大きさで相手の言葉を遮り、揚げ足を取り、勝った負けたという。ディベートとは相手を言い負かすことなのか。
立場も意見も違えば言い負かしあいが不毛なのは当たり前なのに、そういう人間ほど話せば分かるから話し合おうという。そして言い分が100%通らなければ腹を立て、ふてくされる。
本当に話せば分かるのか?自分と相手とは違う立場と利害を持っていることを理解して、話しても分からないとあきらめたところから話し合いを始めるしかないというのが「話し合い」というもののようだ。だから合意はそれだけ奇跡的だし尊いのだと思う。そして正義の名のもとにその合意を踏みにじる人たちがいて、さらにそれでもその人たちと話し合えと云う人もいる。
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