管理社会と言葉狩り
NHKBSで少し古い(5年以上前のもの)ドキュメントの再放送が深夜などにかかるのでときどき録画して観る。私が特に興味があるのは中国なので、それに関連したものが多い。一度観たものもあるけれど、観始めると最後まで観てしまう。いまさらながら、よくこういうものを撮ることができたなあと感心する場合が多い。
いまこういうドキュメントがどこまで撮れるだろう か。ほとんど不可能なのではないか。たいていは中国のスタッフが、対象に密着して撮ったものと思われる。それがもう撮れないだろうと思うのは、いま中国政府が自国の暗部を外国人に見せることを極度に嫌っているようだからである。そしてそれ以上に自国民にはそのようなものを見せないようにしているようである。身の危険を顧みずにそんなドキュメントを撮ろうという人はいないだろう。それは人権弁護士たちの姿をみれば歴然としている。
いま中国のネットでは使用不能の言葉がどんどん増加しているという。いま読み始めた川島博之『習近平のデジタル文化大革命』という本によれば、「習近平」という言葉がブログやネットに書き込めないという。「敏感詞」の扱いなのだそうだ。「皇帝」という言葉も「敏感詞」、「肉まん」も「敏感詞」だという。ともに習近平を連想させ、揶揄させることがあったからだという。
「くまのプーさん」も習近平を連想させるから「敏感詞」、そんな風だから「文化大革命」「天安門事件」「大躍進政策」「毛沢東」も「敏感詞」の扱いであるのはもちろんである。若者用語では公安警察を隠語で「パンダ」と云っていたのだが、そうしたらいまは「パンダ」も「敏感詞」だというが本当だろうか。
多分それだけでは引っかからない(そうでなければ不便で仕様がない)けれど、当局に批判的な文言に関連させて行くとセンサーが働くのかも知れない。そしてそのセンサーは以前は人がチェックしていたけれど、いまはコンピューターが管理しているのである。そうなると「敏感詞」の出現頻度が高いだけで要注意人物との烙印が押されることになる。
中国はいま恐ろしいほどの勢いで超管理社会に突き進んでいる。国民は信用度という項目ですべて一元管理され始めている。交通違反をすればマイナス何点、納税額が多ければプラス何点とさまざまに採点され、持ち点が少ないと移動が制限され、パスポートも発行されない。そのときに「敏感詞」がどのように信用点に影響するのか誰にも分からない。コンピューターの判断で思ってもいない減点が行われているのか分からないのである。
いまは中国国内で中国人だけにそれが適用されているけれど、その網が海外にもひろがらないとは言えないのである。日本で中国の悪口や中国にとって不都合な情報を脳天気に書いていると、いつの間にかマイナス点が勝手に貯まって、中国の土を踏んだとたんに・・・などと妄想してしまう。それはこのネット社会では少しも不可能なことではないからだ。
そんな妄想が現実になった世界がG.オーウェルの『1984年』という小説で、若いときに読んで寒気がしたことを思い出す。その本はSFコーナーの隅にまだ列んでいる。また読み直したいと思いながら棚から下ろしていない。
ところでそれだけ「敏感詞」が増えていけば、それを本にしたら電話帳のようにぶ厚くなっていることだろう。一冊で済むのだろうか。たちまち連想するのは日本のマスコミの、差別語を使わないためと称する言葉狩りだ、ずいぶん前に電話帳のように厚くなったと云っていたが、その後どんどん増えているのだろう。いまは上下だったり上中下になっていはしないだろうか。
差別語をなくすことが管理社会の言葉狩りと酷似していることに符合を感じてしまうのは私の妄想だろう。そうに違いない。むやみに言葉を制限する社会が善い社会とは思えないのだが。
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