現代の姨捨山
留守の間に録りためたドラマやドキュメントを観るのに忙しい。そんなドキュメントの中に上海の、子に捨てられた老親の話が興味深かった。
ふだんは企業のコンサルタントをして、週末に困った老人の駆け込み寺のような仕事を、長年ボランティアで続けている上海の女性弁護士を取材していた。子供と同居していた親が、子供が成人して結婚し、孫ができた頃から疎んじられ邪魔者扱いされて、ついには家を追い出されてしまうという相談が多発しているというのだ。裁判にしてしまうと親子関係は完全に破綻してしまうのでこの弁護士は何とか調停しようと苦労している。
背景にはさまざまな問題があるのだが、形は財産問題としてあらわれる。親が必死に貯めた金で手に入れた住宅や資産を、子供に老後の面倒をみてもらうつもりで預けたとたんに手のひらを返したように邪険にされるようだ。そもそもが二世代三世代が住むには手狭な家やマンションだと、孫ができると年寄りのいる場所がなくなる。
しかも上海の不動産はどんどん値上がりしているから、子供は親に無断でそれを売り払おうとしたりする。結果的に親には老後のための金が残らないことになったりする。または妻を失った父親などは、息子の嫁の親が孫の面倒を見に家に入りこんだために家を出る羽目になったりする。ここには嫁舅姑の問題、一人っ子政策の結果なども絡んでいるかも知れない。
子供も親に別に家を持たせるだけの稼ぎはない。だからといって放り出された親は生活が成り立たず困窮するばかりだ。「自分の子供の教育費に収入の二分の一三分の一をかけなければならないのに親の面倒なんかみられるか」と子供はうそぶく。教育費が異常に高いのも中国の問題である。しかしそこまで教育費をかけるのは将来自分がその子供に面倒をみてもらうためかも知れない。自分がしてもらったように。
金に振り回されているようなその姿を見ているとなんだか哀れな気がする。本人たちは互いに自分の主張を声高に主張し、あるいは泣き崩れる。それを調停していくのだから並大抵の粘り強さではやっていられない。しかもボランティアである。頭が下がる。
翻って日本はどうなのだろう。同様の話は多分少なからずあるのだろう。しかしこの上海の話ほど多くはないのだと思う。現代の姨捨山は日本ではなく、上海にあるようだ。
戦前は日本でも子供に面倒をみてもらうのが当たり前だった。しかし戦後親たちは子供に面倒などみてもらわなくても自分で何とかする、と公言してそれが当たり前になった。それは社会的要請でそうなったというよりも自発的なものだったように思う。面倒をみてもらうことを期待してもできないからそういったのかどうか。そもそもそういう気分に導いたのは誰だったのだろう。確かに住宅も手狭で二所帯三所帯の同居は都会では難しい。日本人は諦めがよいのだ。
上海の姨捨山は単純に中国人が拝金主義だということだけで見てはいけない深刻な問題らしい。いろいろ考えさせられた。
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我が家は娘一人 今の時点では自分たちのことは自分たちでと思っているが
どうなることやら・・・
最近少し この先のことを考えるようになってきました
投稿: イッペイ | 2018年12月10日 (月) 10時05分
イッペイ様
ひとは必ずいつか死にますし、その前に衰えて誰かに面倒をみてもらわなければならないときが来ます。
ふだんはそのことを忘れていますが、親を看取るという経験をするといやでも考えさせられます。
その心構えと準備をしておかなければならないのでしょうが、そのことをあまり考えすぎても人生は暗くなります。
ときどき思い出す、というところで生きるしかありませんね。
投稿: OKCHAN | 2018年12月10日 (月) 12時01分