眼の老化
湯治から戻ってからも、ほとんど散歩もせずにゴロゴロと無為の日々を送っている。音楽を聴き、本を読んで優雅な生活といわばいえるが、その間散歩にも出ない(寒い)から気がついたら3キロ以上太ってしまった。
食べる量はむかしから見たら減っているのだが、お茶やコーヒーをよく飲むので、そのお供に口寂しくて自分に禁じていた間食をすることが増えている。スーパーの買い出しに行って、つい無意識のうちに買い物籠に入れてしまうのはほとんど病気である。これは体が欲しているようだ。糖尿病の薬で少し低血糖気味になるからだろうが、そこを我慢しなければならない。もちろん運動不足も原因であろう。
先日床屋に行って思いきり刈り上げてもらい、全体に髪を短くして襟足を剃ってもらったらサッパリした。格安の床屋なのでひげそりや洗髪まで入れても30分程度で終わるのがありがたい。ただ一駅となりの駅の向こうなので、歩いて行くと30分以上かかる。歩くのはかまわないのだが、床屋に着いたときには冬でも汗をかいていて(私は水分過多で汗かきだ)理髪師に迷惑をかける。だから行きは電車に乗る。
帰りはもちろん歩きだが少し遠回りして本屋に立ち寄り、眼鏡屋に寄った。眼鏡の度が合わなくなったのか、以前ほどクリアに見えなくなっていた。いまは眼の検査もさまざまあって、初めて体験する検査もあった。あんな検査で良く細かいことが分かるものだと感心する。
「体調は大丈夫ですか?」と眼鏡屋は問う。「特に問題ありません」(体の調子に特に具合の悪いことはない。ただ、眼が疲れているかどうかといえば疲れている)。体調によって視力が変わるのだそうだ。特に歳を取るとその差が大きいという。眼を酷使することが多いことを伝える。
いまの眼鏡を作ったとき(約6年前だそうだ)は、眼鏡をかければ1.2が楽々見えた。ところが今回は0.8は見えるが1.0が見えない。ぼけずに見えているのだが読み取れない。見える文字がちらついてしまうのがもどかしい。裸眼の視力は0.3~0.4と変わらない。もともとそれほどひどい近視ではないので、眼鏡なしでもあまり生活に不自由はしない。
「度を強くしても見えるのは0.8止まりのようですね。楽に見える度に合わせますが、いまと見え方はあまり変わらないと思います。老眼が進んでいますが、それほどひどくありません」とのご託宣である。
そうなのか、眼の老化が進んで遠視ではなく視力そのものが低下しているということか。眼を休めたら少しは回復するのだろうか。本を読むと紙面が平ではなくてうねって見えたりする。これも老化によるもので飛蚊症と同じくどうしようもないのだそうだ。哀しい。
遠近両用で少し色の付いたレンズにしてもらい、フレームを選ぶ。いまのものに近い。出来上がりに四、五日かかるそうだ。新しい眼鏡とサッパリした短い髪でパスポートの更新の写真を撮ろうと思ったが、それは来年年明けになりそうだ。
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