ブルックナー
いま池内紀の『ドイツ職人紀行』という本を読んでいるが、その本のことは読み終わったら書くとして、その中にブルックナーのことが書かれていて興味をもった。
ブルックナーが音楽家だということくらいは知っているが、クラシックにそれほど詳しいわけではないので、なにも知らなかったに等しい。この本にはドイツの職人のことが興味深く記されているが、その中の『オルガン奏き』の項にブルックナーのことがこう記されている。
オルガン史上で最も著名なオルガン奏(ひ)きは、アントン・ブルックナーではあるまいか。上部オーストリアの貧しい家に生まれた。音楽好きの少年だった。修道院付属の教会づきの少年合唱団より始め、声変わりしてからは助手になり、25歳のとき、聖フローリアン教会専属のオルガニストに採用された。
10年あまりしてリンツの聖堂に転任。40をこえても、しがないオルガン奏きだった。鼻の下に小さな口があり、その口をすぼめ、ミサごとに神妙な顔つきでオルガンを奏いていた。
ブルックナーが作曲家として認められるのは、ようやく40代半ばからである。モーツァルト型の早熟な天才が多いなかで、中年すぎてようやく本来の才能を発揮したほとんど唯一の例外だった。
世の栄誉にはあずかったが、愛においては恵まれなかった。一つにはブルックナー自身のせいもある。27歳のとき16歳の娘に求婚して断られた。42のとき、17歳の娘に恋をした。68のときにも16歳の娘に求婚した。
おずおずとやさしみあふれる恋をして、何十度となくためらった後に求婚し、断られ、そのたびに途方にくれた。とびきりナイーヴで、誠実で、ことのほか不器用だったこの人は、天使のような娘に恋しつづけ、さっぱり愛の返礼に恵まれなかった。いつもひとりぼっち、そしてさびしく老いていった。
死が近づいたころ、アントン・ブルックナーは住みなれたウィーンを去って、聖フローリアン教会を訪れ、ひっそりとオルガンを奏いて過ごした。おそらくはオルガンこそ、愛に不運づくめだったこの人の、すべての憧れと、すべての苦悩を、やさしく受け入れてくれる「恋人」だったのだろう。死後、遺言により、その恋人の足元に葬られた。
これを読めば、ブルックナーの曲をあらためて聴いてみたくなるではないか。
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