テロの芽
千葉県野田市の小学校四年生女子の虐待殺人には誰もが怒りをおぼえているだろう。正直なところ、どうして子どもを虐待するのか、その親の行動が理解できないはずである。世の中には理解できないことが溢れていて、それを無理に理解しようとしても、父親本人にもわからないものがわかるはずはない。わかれば父親も自分を制御できたかもしれないのだから。
心理学者や精神病理学者はもっともらしい理由を語ったりするけれど、どこまでそれが真実か私は疑わしい気もしている。人々が分からないことを分かろうとするからむりやり理由を想像(創造)しているだけにみえる。これは私の偏見であろう。なかにはほんとうに立派な学者もいるのだが、しばしばわかりやすいけれど胡散臭い言説を語る者を目にすることがある。
人は理解できないことや者を恐れ、それを理解しようと努めたり、ときに理解できないことで怒りをおぼえるようである。
今回の、この女児の虐待から彼女を救うことができたはずの、そしてその権限を有していた児童相談所のあまりに杜撰で無責任な対応は、虐待殺人に加担したともいえるくらいのものに感じられて、激しい怒りを感じる。今朝のニュースではさらに詳しくその無責任さが報じられていた。
それを見ていると、虐待殺人を直接行った父親に対してよりも強く怒りを感じてしまう。その責任はきちんと問われると思いたいが、さまざまな不祥事も含めて、日本の社会はしばしば「しかたがなかった」ということでたいしたおとがめなしに終わっていることも多いのではないか。そもそもどのような処分を受けたのか、最後まで調べて報道されることが少ない。
怒りをおぼえた人々はその責任者が処罰されたと知ることでその怒りを多少は収めることができる。ところが責任者の責任をうやむやにされると怒りが内向する。
児童相談所には怒りの電話や無言電話が一日千件以上かかってきていて、仕事に差し支えているという報道があった。電話をかけている人間は、天に代わって正義を行っている気分なのであろう。私の最も嫌いな人間達である。
以前にも書いたけれど、「二度とこういうことが無いようにします」などと言いながら深く深く、そして長いこと頭を下げているおじさんやおばさんたちを見ていると、頭をこれだけさげたからこれで許してもらえるはずだ、という計算しかみえないし、多分そのあと綺麗さっぱり事件のことは忘れてしまうだろうと感じてしまう。そしてふたたびみたびこういう事件や不祥事は繰り返されるのである。
だから制裁を私人が行うというのが正義に感じられてしまう。だから児相への一日千件の電話なのである。これは私刑(リンチ)である。公的なところに任されている法律的な処罰が適正に行われなければ、または行われていると知らされなければ、怒りを持った人たちの一部は私的制裁に走るのである。
そしてそれは大げさでなく、テロの芽であると私は感じている。だから厚生労働省の責任者の厳罰をするべきではないかと書いた。それらをあいまいにし続ければ社会秩序はしだいに乱れるだろう。見方によっては、クレーマーにも私的制裁としてのその芽を感じるのである。
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OKCHANさん
千葉県で起きた10才女の子虐待死、
千葉生まれのOKCHANさんの怒り(`ヘ´) プンプン。
理解できます。
残された次女さん、
これからの人生。
幸せに暮らせることを祈りたいですね。
昨年香川県から東京へ転居した5才女の子。
許してください・・・思い出されます
投稿: ちかよ | 2019年2月 8日 (金) 15時58分
ちかよ様
まともな人間なら子供に危害を加えようなどとは決して思わないものだと思い込んでいましたが、そうではない人もいるようで、信じられません。
しかしそういう人間がいるなら、それから子供を護るためのシステムも必要不可欠でしょう。
そのための児童相談所なのにそれが機能を果たさないで、結果的に子供が見殺しにされました。
そのことにみなが腹を立てるのは当然でしょう。
だからといって匿名で嫌がらせの電話をするのはほんとうに卑怯な正義です。
投稿: OKCHAN | 2019年2月 8日 (金) 19時04分