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2019年2月10日 (日)

西島三重子を聴く

 一度夜半過ぎに目覚めたら眠りそびれ、寝床で本を読み、眼がつらくなったのでそのあと西島三重子を聴いていた。『池上線』や『千歳橋』で知っている人もいると思うけれど、わたしはむかしから彼女の歌が好きで良く聴く。

 彼女の曲はどちらかというと哀しい歌が多い。以前からかすかに感じていたことなのだけれど、その哀しさにはかすかに死の影が射しているように思う。別れの詩はしばしば秋の風景に重ねられるが、彼女の歌う歌は冬である。『冬のカルナバル』であり、『冬のカモメ』であり、『冬なぎ』なのである。

 人生を四季になぞらえ、秋を実りと衰えと見、冬を死期とみる見方がある。冬来たりなば春遠からじというように、冬は来たるべき春のひそかな準備と見ることも出来ないことはないが、人生には冬のあとにふたたび春が来ることはない。

 よく聴いていると、西島三重子の別れの歌の歌詞には相手の生死が不明だったり、死んでいると思わせるようなものがある。どうもそういう受け取りかたをしながら聴いていたことを今日はっきりと実感した。

 過去があり、現在があり、そして未来がある。以前も書いたことがあるが、優れた歌詞は現在のある瞬間を写真のように語りながら、語らない過去と未来を聴く人に想像させるものだと私は思っている。過去と未来を歌詞のなかで語ってしまう歌詞は二流三流であることが多い。

 死の影が射せばそれは現在ですらあり得ない。過去のストップモーションが詩の世界を構成している歌の哀しみが、より強くこちらの感情に響くから、私は西島三重子の歌が好きなのかもしれない。

 別に私は死にとらわれているわけではないが、そんなことを今朝の寝床でぼんやり感じていた。

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