この本は昭和48年に出版され、私の持っている本は昭和50年の第九刷である。つまりそれだけよく売れた本、ベストセラーだったということだ。
私が就職したのが昭和48年だから、まだ二十代のときにこの本に挑戦したのだ。以前紹介した『隠された十字架 法隆寺論』が面白かったから、私の最も苦手とする古文満載、しかもさらに苦手な和歌が多数引用されている本だが、勢いで読んでやろうと意気込んだのだろう。
結果的に歯が立たずに、現代文の部分ばかりを読んで、なんとなく梅原猛のいいたいことを覗いただけに終わったのである。いま四十数年ぶりに再挑戦したのは、多少は古文や和歌になじみはじめたからもう少し読めるかと思ったからだ。
実際にこの本の面白さは引用されている古文献の文章を読み比べることにあるようである。私の場合、現代文に比して古文を読むスピードは十分の一以下になる。この本を読み始めたのは昨年の暮れなので、足かけ四ヶ月かけての読了である。途中で放り出さなかった自分を褒めたい。それはもちろん読んで面白いからで、手柄は梅原猛にある。
このあと下巻に着手する。多少は勢いが増すと思われるから五月か六月には下巻が紹介できるだろう。
万葉集の柿本人麻呂の死に際しての歌、妻の歌、他のひとの歌の部分の解釈から、彼がどこで死んだのか、解析がはじめられる。そこには柿本人麻呂の死についての梅原猛のある仮説が秘されている。死の場所については石見国であることは記載されているが、その石見国のどこなのか、それには諸説ある。そして現在は斎藤茂吉の厖大な解析の結果である鴨山がほぼ定説にされている。
梅原猛はこの斎藤茂吉の説をまず徹底的に分析してそれが誤りであると糾弾する。その鋭さは定説を前提にする人々にとっては不愉快そのものであろうと察せられる。梅原猛はあたかも国文学者達にケンカを売っているかのようである。彼等は斎藤茂吉の説になぜ懐疑を持たずに鵜呑みにするのかと。
この上巻の前半はこの斎藤茂吉の解釈の徹底的な否定である。そして彼は彼なりの柿本人麻呂の死の場所の答えを呈示する。
そこから一転、柿本人麻呂という人物の実像に迫っていく。読み進めていくと、これが背後に隠された梅原猛の仮説への誘導路であることが次第にみえてくる。ここでたたき台にされているのが賀茂真淵の柿本人麻呂の人物解釈である。賀茂真淵が文献を網羅して渉猟した結果として呈示した柿本人麻呂の生きた時代、その身分などがまず示され、それに対してその問題点を一つひとつ指摘していく。
ここで興味深いのが、江戸期以降の実証的文献学的態度を梅原猛が強く批判していることである。文書で検証したもののみを正しいとしていくと、矛盾が生じてしまうことはままあることである。それを読み比べていくとこちらはどうもおかしいのではないか、ということが見えてくる。そしてそれをまちがいだと断定して矛盾を解消する。それでは古代という時代は見えないと梅原猛はいう。見えなくしてしまったのは、近代の彼等の読み方に誤りがあるからだというのである。
その一見科学的に見える態度方法を強烈に批判するのである。まず懐疑を抱いたら、それぞれが矛盾がないような解釈をとことん考えないのか、というのである。いよいよ梅原猛の驚くべき仮説への扉が見え始めたのである。
というところで上巻は終わり。さあ下巻はどういう展開になるのであろうか。
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