山本夏彦が忘れられてしまうのが残念で(そもそも知らないという人も多いか)昨日言及したが、彼の『日常茶飯事』というエッセイ集から『契約』という一文を全文紹介する。これは昭和三十年代に書かれたものなので、それを念頭に置いて少し長いけれど読んで欲しい。
二級建築士の組合に、ほとんどただで、組合員にくばる雑誌がある。そこの社員が来て言うには--投書が山積して困った、同一の記事を、甲はやさしすぎる、乙はむずかしすぎると言う。同じく二級建築士でありながら、甲は学校出、乙は大工出身で、甲が学校で習って耳にたこができていることが、乙には初耳だからである。
なにか妙案はないかと、あとで考えてみたがなかった。この雑誌と読者の間には、初めから契約が成立していないからである。
中学生が、「中央公論」や「世界」を買うことがある。周知のように、これらは大人のための綜合雑誌で、少年には分からぬ字句が多い。分からなくても、それは雑誌の罪ではない。自分が至らぬせいだと、中学生は知っている。分かりたければ辞書でも引くよりほかないと、知っている。
この中学生と雑誌との間には、買ったとたんに右の了解が成立している。この場合、自分の小遣いを出して買ったかどうかは、あとで文句を言うか言わぬかに微妙に関係する。
ただで組合から送られる機関誌には、この暗黙の契約がない。組合費で作った雑誌だから、甲も乙も自分の雑誌だと思っている。ところが一読して分かりきったことばかり、あるいはむずかしいことばかり、書いてあるから文句をいうのである。
署名捺印するだけが、契約ではない。劇場と観客との間には、入場料を払ったとたんに契約が成立する。
三勝半七酒屋の段--茜屋半七は遊女三勝に迷って、女房お園を捨ててかえりみない。去年の秋のわずらいに、いっそ死んでしまったら、こうした歎きはあるまいものをと、お園はなく。客は貰い泣きする。そのために見物に来たのである。それが芝居と客との約束であった。
半七こそ封建亭主の代表者である。お園の歎きは愚劣である。奮起して半七を蹴飛ばし、悔い改めければ、早く離婚すべきである。
私が言うのではない。この芝居を見物半ばの女客があわをとばして論じるのである。
「ピエルとジャン」の序文で、モオパッサンが夙に腹を立てている。「悲劇」を見て、それが「喜劇」でないと非難する客がある。悲劇は悲劇の約束に従って見物すべきである。その上で、悲劇としてのよしあしを論ずるなら批評である。喜劇の尺度しか知らないで、それで難じられてはたまらぬと書いている。
封建云々の尺度で、古き脚本を論ずるのはこの類か。そんなら箸がころんでも、封建のせいであろう。今日の目を以て、昨日を論ずるなかれと古人は言っている。
彼女はこの狂言の見物ではない。木戸銭は払ったが、なお契約しない見物がいまは増えた。大人の本を買いながら、字句の難解を改めよと投書する子供が増えた。
ひとたび断絶した契約は、容易には復旧しない。というより、契約の実相は本来かくの如きか、いつ、いかなる時代でも、人と人との間には契約はなかったかと私は疑うのである。
モオパッサンが腹を立てたのは、八十年も昔のことである。してみればこの女客のような見物は、今も昔も多かったとしれる。
所詮は人数の多寡による。お園の愁嘆は愚劣だと説くものが多ければ、客はそれに従うであろう。ヒトラーの弁舌に心酔した若者たちは、いまは組合の指導者くらいにはなっている。おしつけがましくその主張と感激を語る顔つきは、何千年来の同じ顔つきである。
一々逆らうのは危険だから、戦中も戦後も、私は耳を傾けるふりだけして、エチケットを守ってきた。進歩的な感動だけがうそだというのではない。左右を問わず彼等が感動と称するものの悉くが、質的に同一なことに、私は索然としているのである。人はついに真に感動することはないのか、やっきになって弁じたてるのは、無意識にそれを隠すためなのかと、まじまじと語り手の口もとを見るのである。
古往今来、喜怒哀楽が自分のものであったためしがあろうか。それは一代の風潮、あるいは他人の指図によって、旗色のいい方に従うだけのものではなかったか。
私は若く、激しやすかった。十年以上前のことである。舞台でひとりお園が歎き、客が貰い泣きする場面で、試みに笑ってみたことがある。客席の暗闇をよいことにして、私は声を放って笑ったのである。
すると、果たして、客席のあちこちから私の声に和するものがあった。はじめおずおずと、たちまち安心したのであろう、大胆不敵な笑い声が諸所におこった。それは次第に場内を圧し、真実おかしくてたまらぬように、どっと笑いくずれ、わが耳朶をいたく打ったのである。
どうです。山本夏彦、強烈でしょう。これが何を言っているのかさっぱり分からない人と、打てば響くように分かる人とに別れるのである。もちろんどちらが正しいとかそういうことではない。
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