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2019年6月28日 (金)

川本三郎『老いの荷風』(白水社)

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 私の敬愛する文筆家は永井荷風を高く評価している人が多い。若いころ岩波書店の『荷風小説』という全集全七巻を購入して拾い読みした。浅読みだから本当の面白さ、すごさをあまり理解できていなかったことを評論家の文章を読むことで思い知らされ、読み直してその素晴らしさが僅かながら解るようになってきた。別に、最近古書店で『荷風随筆』全五巻を安価で手に入れて、読むのを楽しみにしている。

 

 この川本三郎の『老いの荷風』は、戦後に発表された荷風の晩年の作品を軸に、戦中から戦後の東京、そして千葉県の市川を舞台にしたその世界を再現していく。荷風が歩いたその場所と時代が顕現していく。作品の背景、荷風のそこに込めた思いが見えてくるような気になる。そこで作品をあたらめて読めば、いままで見えなかったものが見えてくる。

 

 永井荷風は長年済んでいた偏奇館と名付けた自宅を空襲で焼け出され、岡山に疎開し、そこでも空襲に遭い、なんとか生き延びて、戦後、市川に居を構え、何カ所か周辺を移転した後自宅を建ててそこが終の棲家となった。市川の八幡の自宅から京成電車を乗り継いで浅草まで通ったことはよく知られている。独居老人だった荷風は浅草の踊り子たちに親しんだ。なりをかまわないその姿、そしてその果ての孤独死を、文豪の最後としてみじめな晩年であるかのようにマスコミは喧伝した。中学の時の国語の教師が、それを誇張してわたしたち生徒に語ったりした。しかし、そうではないのではないかと私はむかしから想像していた。しがらみを煩わしく思い、孤独の自由にあこがれていたのだ。

 

 この本では反骨の荷風が、孤独をみじめなものなどと思っていなかっただろうことを教えてくれる。子どもの頃に感じた私の直感は正しかったのだ。独居老人は寂しい。寂しいけれど荷風には彼を支える若い友人が常にいた。みじめで不幸せな晩年ではなかった。自分の名声は自分の生きる支えにはならない。名声とはそういうものだ。

 

 最近読んだ荷風の作品のいくつか(『浮沈』『踊り子』『勲章』など)が、たまたまこの本に詳しく評論されていて嬉しい。市川は私が大学を卒業して就職し、東京営業所に配属になって最初に住んだ場所である。荷風が最初に住んだのは市川真間のあたりだから、私のアパートからは駅を挟んで反対側だが、ちょうどそこに会社の先輩のアパートがあって、良く訪ねたところだ。あの矢切の渡しにも近い。江戸川を渡れば寅さんの帝釈天があることは御承知のとおり。真間といえば「真間の手児名」の伝説の場所でもある。万葉集にも読まれている。また、上田秋成の『雨月物語』にも真間の手児名が取りあげられている。

 

 川本三郎は何作か荷風についての評論を書いていて、すでに二作ほどを読んだ記憶があるのだが棚に見当たらない。押し入れの奥か、すでに処分したか。今度読んだこの本は特に身に沁みて読めた。晩年の荷風を多少は実感したからかと思う。

 

 写真に江藤淳の『荷風散策』と佐藤春夫の『小説永井荷風伝』を列べたのには意味がある。そのことも書きたかったが長くなるので次回にする。
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