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2019年6月16日 (日)

梅原猛『万葉を考える』(新潮社)(2)

 新元号の令和が『万葉集』から引用されたということで、書店の店頭には万葉集に関する本がたくさん並んだ。ブームということだが、ブームというぐらいだから残念ながらすぐ熱は冷めるだろう。そういう本を購入してもどれだけの人がきちんと読んだことか。そういうものだが、しかしそのうちの一握りでもそれをきっかけに万葉集やその時代に興味をもち、知識を深め、そこから日本という国を見つめ直す人が出て来ることがあればそれでよいのだろう。

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 この『万葉を考える』という本は、出版されたのが昭和54年(1979年)だから、今回の元号ブームとは関係がない。私がこれを読み始めたのは元号が公表される前だから、私も新元号に関連して読み始めたのではない。この前に苦労して読んだ同じ著者の『水底の歌 上・下』の後日談だからだ。

 

 『水底の歌』は柿本人麿論である。万葉集第一の詩人である柿本人麿については分からないことが多く、諸説の中で国学者の賀茂真淵の説が定説化されている。それをベースにおいて明治以降の国文学は万葉集を解釈してきた。それに異論を唱え、根底から覆そうとしたのが梅原猛だった。実は異論を唱えている学者はいたのであるが、定説に異論を唱えるのはよほどのエネルギーと論理性を持たなければ潰されてしまう。定説は時に権力なのである。

 

 賀茂真淵-正岡子規-アララギ派や斎藤茂吉や国文学者という系譜が万葉集に一つの固定観念を与えた。『古今集』のたおやめぶりに対しての『万葉集』のますらおぶりという概念である。私も学校でそう習った。正岡子規やそれにつづく子規を信奉するアララギの人々は歌のルネッサンスとして『万葉集』を原点とした。

 

『水底の歌』では斎藤茂吉の『鴨山考』という柿本人麻呂の死の場所について考察した本の問題点を徹底的に批判している。斎藤茂吉は学者ではなく、詩人である。その詩人の直感の優れていることは認めながら、賀茂真淵の説を基準に置いているために妄説になっているとまで断じている。現代では『鴨山考』を批判する学者も多いようだ。

 

 そして賀茂真淵の柿本人麿論の徹底批判に入る。論点は二つ。柿本人麻呂の官位について、つまり身分がどの程度の人であったのか、そして生きていた年代と死んだ年齢についてである。それを柿本人麻呂の歌の解釈を交えながら展開していく。まるで上質の推理小説を読んでいるような面白さがある。

 

 また『水底の歌』の話ばかりで肝心のこの本の話に至らなかったが、この本を書いた後にさまざまな学者達から批判があり、梅原猛なりにさらに研究を重ね、それを元に何度かの講演をしている。その講演と、学者たちとの対談が収められているのが『万葉を考える』という本なのである。それについては次回に。

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