なにが教育虐待か!
この世に子どもを殺すほど残虐な犯罪はないと思っている。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』では、延々と神学論争が展開されるが、神が存在するかしないかを論ずるとき、「子どもが殺されていくのに放っておくような神は神とは言えないではないか、だから神など存在しない」と次男のイワンが言ってのける。この言葉は私の頭に刻みつけられている。ましてや親が我が子を殺すにおいておや。
子どもに中学受験のための勉強を強要し、いうことを聞かないからと包丁で刺し殺した父親の行為を「教育虐待」と呼ぶそうだ。子どもが自分の意に沿わないことに怒りをつのらせ、ついには子どもを死に追いやってしまう親の話は今に始まったことではない。そんな親が必ずいうのが「こんなに子どものためを思っていたのに・・・」である。子どもにとって自分を守るべき親が自分を追い詰め危害を加えるのだから、子どもは殆ど地獄にいるに等しい。
たまたま一つそのような事例が詳報されるとつぎつぎに似た事例が報告されるのはよくあることで、しばらく類似の報道があるだろうが、ほとぼりが冷めてもこういう事件が減るということはないのだろう。本質的な解決策は残念ながらない。こういう思考をする親は一定の割合で常に存在し、その中の極端な異常者がこういう犯罪を起こすので、それは事前に分かることではない。
ただ、私の最も嫌いな、「社会が悪いからこういうことが起きる」、という月並みな言い方を今回はあえて云わせてもらえば、これは拝金主義が根底にあると思う。良い学校を出ていい会社に入り、良い暮らしをするのがしあわせだと盲信する社会に原因があると私は断言する。そういう価値感をすべて否定するものではないが、よい学校を出なくても、良い会社に勤められなくても、たくさんお金がなくても、しあわせであることができることを知らないし知ろうとしないのが現代社会の病理のような気がする。
良い学校を出ていい会社に入り、それなりの役職について良い伴侶と素直で成績のよい子どもたちに恵まれて、立派な家を持ち、誰も家族に病気の人がいない人を何人か知っている。そんな人たちだからとても好い人である。不幸をなにも知らずに生きている人たちである。
そういう人が他人の不幸に如何に鈍感か、毛筋ほども共感することが出来ないか、わたしはそれも知っている。しあわせであることは本当にしあわせなのか、などとおかしなことを考えたことがある。自分の持っている価値観に疑いを持つ機会を持てなかった人間を私は不幸だと思う。
過去日本で受験戦争、教育ママというのが社会に猖獗を極め、いま韓国や中国で同様の教育熱という熱病が蔓延しているのは、根底にまさに拝金主義があることの証左ではないか。だからどうした、といわれてもどうもしようがないことである。ただ、自分はちょっとそんな価値観から半歩外して生きてきたし、子どももそう言う育て方をしたつもりで、そのことを後悔しないし、逆に胸を張って公言できることをささやかな誇りにしている。それは私がささやかながら不幸を体験したからでもあり、そのことを残念に思う以上にそれがありがたいことだったのかも知れないと思えるようになっている。鈍感そのものの私が、僅かだが人の痛みを感じることができるようになったのだから。
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個人の価値観を育む助けをするのが学校や家庭なのに、価値観を押しつけたり感情的に接してることに気付かない人が多くいます。そんな人ほど自分は正しいと思い込んでます。接し方が難しいです。
投稿: けんこう館 | 2019年6月27日 (木) 09時21分
けんこう館様
接し方が難しい人とは接しないで暮らせれば好いのですが、なかなかそうもいきません。
リタイアしてからは無理をする必要が減って、楽になっています。
おっしゃるように自分は正しいのだと確信している人が最もつきあいにくい人です。
たいてい違う意見を聞く耳を持ちません。
投稿: OKCHAN | 2019年6月27日 (木) 09時39分
おはようございます
先日は私の下らなくも危険な駄文を見て頂きありがとうございます。
ご説はごもっともだと思いますが、残念ながら日本の教育は公教育ではその目的を達せないのが実情です。
ですから親たちも自分の子供をよりいい環境に置きたいからこうした行為をするのでしょう。しかし、思い通りにならないから実質諦めて捨てたり、挙げ句の果ては殺したりするのは親として最悪の行為ですが・・・。
おっしゃる通り学歴主義の背後には拝金主義があります。しかし、少なくとも日本の場合、学歴は弱い資本に過ぎず、あったところで今はともかく将来を保証するものではないでしょう。大事なのはその子の意思を尊重し、親はそれをサポートすることでしょうね。
では、
shinzei拝
投稿: shinzei | 2019年6月28日 (金) 06時26分
shinzei様
教育とはなにか、人それぞれに違う捉え方をしていて、それをもとにこうあるべきだと言い立てるので、まとめようがない状態にあるように思います。
少なくとも学校教育は、子どもを社会でまっとうに生きる大人にして送り出すものか、などと私は思いますが、社会で幅を利かせている大人がしばしばまっとうでないことを見せられます。
それを糾弾するマスコミなどもとてもまっとうとは見えません。
親や教師が大人として自分はまっとうか?と自問するだけでもずいぶん変わると思いますが、自問するのはまっとうな人だけ、という気もします。
そんな風に考えると絶望的になりますが、せめて自分だけでもその自問を問い続けたいと思っています。
投稿: OKCHAN | 2019年6月28日 (金) 07時31分