萩城跡
萩城跡、指月公園に行く。「しげつ」と読むと思い込んでいたら、「しづき」であった。
後ろは指月山。海に突き出している。
毛利輝元公がお出迎え。
立派な石垣。萩城は長州藩が範を垂れるために、明治維新でいち早く棄却された。
そのことがかえって武家屋敷を残そうという機運につながったのではないか。
内堀は鯉がいたから淡水らしいが、すぐその外側の堀は海につながっている。
こんなふうに海につながっている。遊覧船で城の周りを見物できるようだ。
このあと指月公園の駐車場に車を置いたまま、武家屋敷まで歩いて行くことにする。萩焼のお店がたくさんある。
義妹は一つひとつ眺めて、気にいったものをみつけて何か買ったようだ。
「こんにちは」
築城を拝見し、香川県、高松藩も海水を掘りに引き入れている。
共通する事項があると記事に親近感を覚えます。
長州は 時代を先読みする、良いことも良からぬことも。
幕府に忠実な高松藩の家老はそろって切腹させられた。
だからと云って何の関わりもないけれど、歴史を感じます。
投稿: アットマン | 2019年6月 8日 (土) 18時20分
アットマン様
多分率先して廃城にしたことに萩の人たちは深い悔いを感じたのだと思います。
美事な武家屋敷が残され、維持されていることにそのような思いを感じましたが、思い込みが強すぎるでしょうか。
時代の変革をどうとらえるのか、さまざまな思いがあったことでしょう。
友人が、長州が維新の勲功が一番なのにも薩摩ばかりがドラマに取りあげられている、とぼやいていました。
そうは思いませんし、長州が中心の取りあげ方もされているように思います。
そこで紹介したのが「醒めた炎」という木戸孝允伝です。
コメント、ありがとうございました。
投稿: OKCHAN | 2019年6月 8日 (土) 22時54分