無題
ベランダに面したフローリングの床に転がって風に当たりながら本を読む。眼が疲れると、梅雨の合間の夏空を寝転がったまま見上げる。そういえば同じようなことがあった。そのときはまだリタイア前で、だから休日のことであったろう。こんな至福の時間を自由に楽しめれば好いなあと心から思ったものである。
いまそれをほしいままに出来ることのしあわせを、うっかり忘れかけていたようである。とはいえ時間が全部自分の自由になるといっても、生きていればそれなりに屈託があり、それからまで自由というわけにはいかない。そこまで自由に生きるというのは、ある意味で人非人になるに近い。それを覚悟できるほど強くも非人情でもない。中島義道先生には成れない。人はしがらみを煩わしく思いながら、しがらみを捨てられるものではない。雑事はひとをいつも追いかけてくる。
梅雨の合間の夏空は雲も多く、それほど眩しくない。あいまいでぼんやりした雲のかたちと同じくらいぼんやりした心持ちで生ぬるい風にあたっている。
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