違うと思うんだけどなあ
吉本隆明の『宮沢賢治の世界』という本を読み始めたところである。400ページ足らずの本のまだ70ページあまりを読んだだけだけれど、全体として一つの論をなすというよりも、宮沢賢治について考えたことを各地で講演した講演集であるから、いまのところその二つを読んだだけとはいえ、その中に吉本隆明の宮沢賢治論が語られていると見て良いはずだ。
多少は宮沢賢治の童話や詩を読んできた私と、吉本隆明に見えている宮沢賢治の世界のあまりの違いに唖然とした。ふつうなら私は自分の読みの浅さに激しく悲しむところだが、今回ばかりはどうもそういう受け取り方は出来かねる。つまり吉本隆明の読みに全く賛同出来ないのだ。
宮沢賢治が幻視した世界、そして死んだ妹のトシ子が見ているであろう世界が詩(『春と修羅』の中の『青森挽歌』)をもとに語られる。吉本隆明はすべて宮沢賢治が見た世界として解釈している。そう読んでも間違いではないともいえるが、トシ子が見た世界を宮沢賢治が幻視しているのである。説明しようとすると難しいのだが、その違いが分からないとその詩の世界が見えないと私は思う。
その手法で『銀河鉄道の夜』が解釈される。この物語はさまざまな解釈があって当然とはいえ、吉本隆明の解釈は法華経的な世界にこだわりすぎていて、無関係とはいえないにしても私が受けとる宮沢賢治のメッセージとは違いすぎる。こんな読み方をしていたら宮沢賢治は泣くだろうと思うがどうだろうか。
私はほとんど浅読みしか出来ない読み手ではあるが、あまりに違う読み方を呈示されると、なるほどそんな読み方もあるのかと思うよりも口あんぐりに呆れて絶句する。全体を読み終わったときにどういう感想を持つことになるか。そもそも最後まで読み切れるのか。
最近のコメント