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2020年1月

2020年1月31日 (金)

違うと思うんだけどなあ

 吉本隆明の『宮沢賢治の世界』という本を読み始めたところである。400ページ足らずの本のまだ70ページあまりを読んだだけだけれど、全体として一つの論をなすというよりも、宮沢賢治について考えたことを各地で講演した講演集であるから、いまのところその二つを読んだだけとはいえ、その中に吉本隆明の宮沢賢治論が語られていると見て良いはずだ。

 

 多少は宮沢賢治の童話や詩を読んできた私と、吉本隆明に見えている宮沢賢治の世界のあまりの違いに唖然とした。ふつうなら私は自分の読みの浅さに激しく悲しむところだが、今回ばかりはどうもそういう受け取り方は出来かねる。つまり吉本隆明の読みに全く賛同出来ないのだ。

 

 宮沢賢治が幻視した世界、そして死んだ妹のトシ子が見ているであろう世界が詩(『春と修羅』の中の『青森挽歌』)をもとに語られる。吉本隆明はすべて宮沢賢治が見た世界として解釈している。そう読んでも間違いではないともいえるが、トシ子が見た世界を宮沢賢治が幻視しているのである。説明しようとすると難しいのだが、その違いが分からないとその詩の世界が見えないと私は思う。

 

 その手法で『銀河鉄道の夜』が解釈される。この物語はさまざまな解釈があって当然とはいえ、吉本隆明の解釈は法華経的な世界にこだわりすぎていて、無関係とはいえないにしても私が受けとる宮沢賢治のメッセージとは違いすぎる。こんな読み方をしていたら宮沢賢治は泣くだろうと思うがどうだろうか。

 

 私はほとんど浅読みしか出来ない読み手ではあるが、あまりに違う読み方を呈示されると、なるほどそんな読み方もあるのかと思うよりも口あんぐりに呆れて絶句する。全体を読み終わったときにどういう感想を持つことになるか。そもそも最後まで読み切れるのか。
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いつもギリギリ

 明日が息子の結婚式で、今日昼頃には千葉から弟夫婦がやってくる。合流して私の車で一緒にいく。今晩は倉敷泊まりで、出来れば今夕は吉備路を少しだけ歩きたいと思っている。昨年同じ顔ぶれで泊まった倉敷の宿の近くに、酒も料理も美味しい飲み屋があったので、今晩はそこでちょっと飲むことに決めている。

 

 結婚式の最後の新郎の父親としてのスピーチをしなければならないのにいまだにスピーチの下書きが出来ていない。それ以外は昨晩までにあわてて仕度はしたのだが。いつもこうしてぎりぎりにならないと、つまり追い詰められないと仕度が終わらない。

 

 式が楽しみでないこともないが、それほどのときめきはない。相手も相手の親も去年会って会食もしている。どちらかといえば早く式が終わらないかなあ、と云うような気分である。それよりも弟夫婦とその翌日に四国まわりで淡路島などを訪ねる予定であり、そちらの方が楽しみである。息子よ許せ。
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2020年1月30日 (木)

新型コロナウイルスについて

 新型コロナウイルスによる感染についてさまざまな報道があり、その情報のいくつかを取りあげ、現在時点で興味を引いたことを記録しておくことにする。

 

○武漢からの第一陣で帰国した邦人のうち、二人の人が検査を拒否したというニュースには驚いた。拒否することにどのような根拠があるのか理解不能であるが、長時間にわたる繰り返しの説得にも応じないというのだから、かなり頑固なようだ。名前が公開されたら激しいバッシングを受けるだろうなあ、と他人事ながら心配する。感染していないという確信があるなら、なぜ政府の差し回した特別機で日本に帰国したのだろうか。

 

○千葉日報で、邦人帰国者の経過観察のために勝浦のホテルが用意されたことについて市民に不安を語る人がいる、と云う報道があったようだ。それはいつでもそういう人はいる。万が一のことがないとも言い切れない。しかし自分が逆の立場になったことを考えることが出来るのが大人というもので、そういう不安を感じるわずかな人を探し出して市民がみな不安を感じているような報道をするのは如何かと思う。

 

○韓国の中央日報が、「韓国と違ってあまりも静かだった日本の武漢国民輸送作戦初日」という見出しで報道していた。極めてスムーズかつ騒ぎのないことを意外に感じたのだ。つまり韓国だったら大騒ぎになるのがあたりまえということなのだろう。

 

○そういう騒ぎに関連して、同じ日の中央日報で「韓国に輸入されたトヨタ自動車、放射能集中検査」という見出しの記事があった。驚くべきことで、どうも韓国の放射能恐怖は日本から見れば韓国の嫌がらせにしか見えないのだけれど、案外本物なのかも知れない。となれば、新型コロナウイルスに対しても恐怖感は日本よりもずっと大きいかも知れない。

 

○今朝の朝鮮日報の記事によれば、韓国国民の武漢からの引き上げのためのチャーター機が、とつぜん運航取り消しとなり待機中とのことである。それが中国側の事情なのか別に理由があるのか現時点で不明としている。もう運航再開されたのだろうか。

 

○ウイルスとは関係ないが、韓国のニュースから。韓国釜山のルノーサムスン工場を訪問中のルノーの副社長が、最後通牒として労使紛争が解決しなければ欧州輸出分の車両生産の配分をしないことを匂わせたという。既にルノー・日産からの依託生産枠は終了することが決まっており、さらに欧州分まで継続されないとなれば、工場の存続は不可能である。しかし労働組合側は労使紛争で妥協するするかどうか分からない。会社がなくなっても旗振りをしている組合トップは何とも思わないようだ。妥協は敗北であり、敗北は許されざることと確信しているのだろう。凡そ理性ある人には信じがたいことである。

 

○これはデマに類する話。その一。
中国武漢の新型コロナウイルスはバイオ兵器の漏出によるものだという。あの武漢の市場から30キロのところにバイオ兵器の研究所があって、そこから意図的又は事故で洩れたのだという。あり得ないともいえないが、それならどう終息させるのか、中国政府には手立てがあってもよさそうだ。それが見えないところを見るとデマと断ずるのが妥当か。
その二
北朝鮮が今回の新型コロナウイルスに対して迅速に国境封鎖を行った。ほとんど間髪をいれずに封鎖したのに私も驚いた。当然対中貿易も中断している。このことから、今回は北朝鮮のバイオテロではないか、と云う見立てもあり得ないことではない。しかし北朝鮮には感染症に対しての医療体制が不十分でなおかつ国民は飢えて抵抗力が低いことは北朝鮮政府も自覚しているから、迅速な対応をしたのだろうと考えるのがふつうだろうか。
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中村保男・谷田貝常夫編『日本への遺言 福田恆存語録』(文藝春秋)

 この本は1995年に出版された。福田恆存が亡くなったのはその前年の1994年。その前に福田恆存の本を二三冊読んだが、半分も理解出来なかった。だからこの語録でその理路を勉強しようと思ったが、やはり歯が立たなかった。

 

 先般読んだ『同時代を読む』という本で福田恆存の誤謬が指摘され、批判されたのを読んで、へそ曲がりの私は、敢えてこの本に再び挑戦したのである。語録だから短文ばかりで、テーマ別に、ほとんど一ページごとに彼の著作からそのエッセンスが引用されている。おぼろげであるものも含めて、三分の二は何とか何が書いてあるのか理解した。三分の一のうち半分は理解不能。残りは何度か読めば分かりそうな気がする。吉本隆明よりはずっと読みやすい。小林秀雄より少し難しいか。

 

 読み終わってみれば彼のレトリックに少しなじんでいる。今度は一つひとつの文章についてもう少し掘り下げて考えてみるのも面白そうだ。その値打ちがあると思うので寝床に置いておくことにしよう。

 

 編者の一人、中村保男は翻訳者で、一時期のめり込んでいたイギリスの市井の思索者、コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』などの翻訳でなじみ深い。心酔していたが、コリン・ウィルソンの本もほとんど処分してしまった。思い出深いなあ。

 

 最近、安岡章太郎、江藤淳、奥野健男、松本健一等々の批評文を読み散らして、批評ということの厳しさについてとことん思い知らされている。同時にそのような批評を読み込むことで世界が新たに開けてくる嬉しさも知ることが出来ている。有難いことである。


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左は本のカバーで、右側は中本体の裏表紙。
編者によれば、奈良の桜井市にある福田恆存の筆による碑文の写しである。『懐風藻』に収められている大津皇子が持統女帝から死を賜ったときの辞世の漢詩。

金烏とは太陽のこと、夕べを告げる鼓の音が余命いくばくもないことを告げる。客も主人もないあの世に向けて、いまから私は旅立つのだ、と云う詩だそうだ
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2020年1月29日 (水)

面倒くさいのが嫌い

 私は面倒くさいのが嫌いである。もちろん誰だって面倒くさいことは好きではないだろう。ところが生きていれば避けられないような面倒くさいことは必ずあって、それを避けて生きることは出来ない。せいぜい先延ばしすることしか出来ないが、先延ばしするとその面倒くささは増加するのがふつうで、それが分かっているから何とか面倒くさいことに対処するのが大人というものである。

 

 ひきこもりの人たちにはそれぞれに当人なりのひきこもるに至った理由があることは承知している。理不尽なことに直面して堪えられずに一時的に逃避した人も多いだろう。しかしひきこもり続けることは出来ない。ひきこもりは先延ばしに過ぎないからである。 

 

 ひきこもりはひきこもりとして、自分をふり返ってみれば面倒くさいことを人一倍回避して楽をしてきた気がする。しかしそれによって著しく生きにくくなったということがなかったのは幸いである。とはいえあることを除いてどうしても避けがたい面倒は仕方がないから対処してきた。そうして先延ばしし、放置してきたただ一つのことのツケの重さをいま実感している。

 

 さりながらそのようなストレスは開き直れば生きるエネルギーを生み出す源泉でもある。ソクラテスのクサンチッペがそのようであるような話で、相変わらずの話題である。
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町山智浩『「最前線の映画」を読む』(インターナショナル文庫)

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 2016年から2018年頃に公開された映画の中から20本の映画が選ばれていて町山智浩が蘊蓄を傾けてその映画の解釈を加えながら紹介している。当然ストーリーにも言及しているから、読むのは紹介された映画を観てからの方が良い。だからこの本を買ってから半年も読まずにいた。私はいま、映画はWOWOWを頼りにしているから、半年から一年遅れるのである。

 

 いまのところこの中で既に観たものはまだ8本だけである。それでもこの本を読んだのは、紹介された映画をさらに観るとしても数本だろうと思うからだ。既に観たものは忘れ始めるし、この本の鮮度も落ちてしまう。忘れるというのはその映画についてなにを感じたかということと、町山智浩の解釈とのすりあわせが出来なくなるということである。

 

『ブレードランナー2049』、『エイリアン:コヴェナント』、『ベイビー・ドライバー』、『ダンケルク』、『アイ・イン・ザ・スカイ』、『ワンダーウーマン』、『メッセージ』、『LOGAN/ローガン』が私が既に観た映画。それぞれに思うことの多かった映画、記憶に残る映画で、それが選ばれているのはたいへん嬉しい。残りも出来れば観たいものである。

 

 そして町山智浩が教えてくれた解釈は、私が感じたものをはるかに超えて深い。彼の解釈はほとんど正しく、作品の制作に関わった人たちも深くうなずくものであるだろう。優れた映画はそれだけの思いが籠められたものであるし、籠めたつもりがないことまで籠もるものでもあって、そこまで洞察するのが凄いのである。

 

 映画好きなら彼の本を読むべし。特にアメリカ映画についての彼の知識は抜群である。何しろ彼はアメリカに在住して映画の評論をしているのであるから。
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2020年1月28日 (火)

反撃は出来ないのか

 昨晩のBSフジのプライムニュースでサイバー攻撃について論じられていた。三菱重工のセキュリティが破られたことなどがあげられ、世界のサイバー空間では物理的な弾丸の飛ばない戦争状態であることをあらためて実感した。しかも攻撃してくる相手は正体不明でほぼ特定不能だという。もし特定出来ても知らぬ存ぜぬが通用する世界らしい。

 

 以前から思っていたのであるが、サイバー攻撃が行われたときに反撃することは出来ないのだろうか。不法に侵入された時点でその正体不明の相手にウイルスを感染させることが出来れば、反撃になるのではないか。そのウイルスが相手のコンピュータに不具合を与えるであろう。そもそも侵入した時点で違法行為である。反撃は合法ではないか。

 

 しかし違法な侵入のみを選別することがむつかしいのかも知れない。または既にそのような防御というのが存在しているのだが、それは秘密にされているのかも知れない。防御があるかどうか明らかにすればその対策も出来てしまうのがこの世界だから、秘密にするのがあたりまえであろう。そもそもそのような方策くらい専門家はとうに考えているけれど、内緒なのかも知れない。

 

 熾烈な暗闘が行われているであろうサイバー空間の戦場というものの得体の知れなさはSF好きの私でさえ想像を超える。
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呉智英『吉本隆明という「共同幻想」』(ちくま文庫)

 後半になってようやくこの本を読んだことがあるのをおぼろげに思いだした。 文庫(2016年刊)ではなく単行本(2012年刊)で読んだのだ。道理でスイスイ読めたはずである。

 

 この本が吉本隆明をこき下ろした本であることは後半になると一層はっきりする。意味不明の造語癖をもって精神的に問題ありとまで言い、吉本隆明の本は一冊も読むに価するものがないというのだから、ほとんどボロカスである。まあそのきらいがないことはないと思う。そういえば大昔友達に借りて読みかけたのは『共同幻想論』という本であった。ちんぷんかんぷんで何ページか読んですぐに返した。

 

 それなのにいまごろになって生まれて初めて吉本隆明の本、『宮沢賢治の世界』(筑摩選書)を購入したのである。放り出さずに最後まで読めるであろうか。私は少なくとも吉本隆明教の信者になる心配だけは無いはずである。何しろ理解出来ないのだから。いやいや理解出来ないから信者になることもあるか。とにかくいつものようにほかの本と並行しながらボチボチと読み進めてみることにする。

 

 この筑摩選書のうしろの、選書のほかの本のバックナンバーを見ていたら、『最後の吉本隆明』という勢古浩爾の本があった。吉本隆明の『最後の親鸞』という本をもとに吉本隆明の思想を追求した本なのだそうだ。いまだに追求する人もいるのだ。
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2020年1月27日 (月)

理由

 WHO(世界保健機構)が中国で拡大する新型コロナウイルス感染について非常事態宣言を出さなかったのはなぜなのか不思議だった。誰が考えてもこの事態は非常事態である。それが中国ウオッチャーの遠藤誉女史の推察を読んで、なるほどそう言う理由なのか、そうかも知れない、と得心がいった。

 

 その前に中国政府が武漢からの市民の移動を制限するのが明らかに手遅れであったように見えたことも不思議であった。武漢では病院が患者で溢れかえり、二次感染が通常化しているらしいことなど、ニュースに報じられたくらいだから、中国の中央政府は明確に把握していたはずである。それなのに封鎖直前に数十万人以上の武漢市民は鉄道や飛行機、自動車で武漢を脱出したのである。そこにあるタイムラグはなにゆえか。

 

 強制的な移動封鎖はWHOの「非常事態宣言をしない」という発表の直後に行われた。もし武漢封鎖が先に実施されていれば、WHOは当然非常事態宣言を出さざるを得ない。それは中国にとって不都合であるから、習近平はWHOの会長に強力に働きかけていた、と云うのである。いまのWHOの会長はエチオピアの人であり、エチオピア政府は中国と極めて親しい。経済的にもほとんど中国の支配下にある。だから「非常事態ではない」という発表を急ぎ、中国の意向に答えた。

 

 そのことにより何十万の武漢市民は中国全土、いや全世界に散らばった。「日本に脱出した」とインタビューに答えていた武漢の人をニュースで見た人は多いだろう。万一そのことがパンデミックにつながったとしたら手遅れの原因となった者達の責任は甚大である。そもそも武漢の当局のお粗末な対応がこの感染の拡大の主な原因かと考えていたけれど、実はもっと根深いものがあったらしいことを遠藤誉女史の推察で知った。

 

 そもそも中国というのはそういう国なのである。そういう国だということを前提に対応するしかないのである。それなのに多くの専門家という人たちは中国発表の情報をもとに、つまり鵜呑みにして専門家としてのコメントを発表していたし、いまもしているのである。危ういことだ、と前回書いた。ますますそう思う。

 

 何度も同じ経験をしているのに相変わらず疑うこともしなかった。以前の経験に学ばず失敗する者を馬鹿という。

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楽しかった蔵開き

150131-10三年ほど前の蔵開きの様子。

 25日(土)は楽しみにしていた蔵開きの日だった。大阪、奈良、京都などからそのために毎年来る友人もいる。今回は千葉から一名新たに参加したが、それはもちろん私の弟で、友人達には初お目見えである。総勢七名、名古屋駅の金の時計の前に集合し、駅の高島屋のデパ地下でつまみの買い出し。毎年のことなので買うものはだいたい決まっている。手際よく購入して酒蔵のある場所までの名鉄電車に急ぐ。

 

 目的地の駅からは歩いて30分以上かかる。雨のはずの天気予報が次第に好転し、ついに晴天になった。私の念が天に通じたようだ。田んぼが拡がる中の道路だから風がやや冷たいけれど、歩く距離もあるので却って心地良いくらいである。

 

 蔵開きの酒のふるまいは一時からであるが、十二時前に到着。何しろ野天で飲むので、風の当たらない陽当たりの好い場所を確保しなければならないので早く来るのである。パレットや酒瓶を入れるケースをお借りして、自分たちの席を設営する。私がそのパレットに敷くビニールシートを持参することになっている。風で飛ばないようにビニールロープでくくって準備万端である。

 

 待ち時間は多少手持ち無沙汰だが、それぞれ論客ばかりだからさまざまな話題で盛り上がる。もちろん酒が入ればそのテンションは一層高まるのである。

 

 今年の新酒も出来がいい。桶から盧布で絞ったままの原酒をそのまま汲んでくれる。アルコール度数は二十度を超えるからふつうの日本酒のつもりで飲むと一気に酩酊する。少しゆっくりすぎるくらいがちょうど好い。日本酒というものがどれほど美味いものかといつも感激するのである。

 

 むかしはオーバーペースで飲んで前後不覚になり、失敗したことがたびたびあった。みんなだんだん経験を重ねて自分なりのペースを摑んでいる。何しろ一人を除いてみな六十五歳以上である。無茶をしたら身体が持たない。

 

 今年から完全予約制になったせいか、昨年までの異常な混雑はなかった。このくらいがちょうど好い。お陰で近年は三時終了で即打ち切りだったのに、延長して飲ませてもらえた。以前なら我々は最後まで腰を据えるグループだったが、適度なところで切り上げる。

 

 そのあと名鉄名古屋の屋上階(まわりを囲ってある)で牡蠣のがんがん焼きを食べながらビールで飲み直す。ここでもさらに談論風発。楽しい一日を過ごすことが出来た。好い仲間がいることはしあわせである。弟もずっといままでも参加していたような受け入れられかたをしたので楽しそうであった。良かった良かった。
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2020年1月26日 (日)

学生時代のことから

 吉本隆明という人がいる。詩人で評論家である。私の学生時代(五十年ほど前の大昔のことだが)、団塊の世代を中心に若い人に神格的なもてはやされかたをした。いまは作家の吉本ばななの父親といった方が通りが良いようだ。

 

 学生寮の同年の寮生に「お前は吉本隆明を読んだことがないのか!」と小馬鹿にしたように言われた。そして本を一冊貸してくれたので早速読んでみた。ところが冒頭から何が書いてあるのかさっぱり分からない。何しろ聞いたことがない言葉、彼独特の言葉が散りばめられているうえに不思議なレトリックが駆使されている。理解する手がかりも摑めなくて放り出した。

 

 高校生のときに格好をつけて哲学書に挑戦し、それでもどうやら大事なことが書かれているらしいことだけはわかって、わずかだけれど理解したことはあった。それとおなじように手がかりさえあれば、と思ったのだけれど、そもそもその本の内容が自分にとって大事なものらしいという気配すら感じることが出来なかったのだ。

 

 本を貸してくれたA君は特に賢いようにも見えない。寮で一番ナンパにいそしむ学生だった。どうしてあんな男にと思うけれど、とっかえひっかえ女が靡くのを呆れて見ていた。ちょっと羨ましかったけれど、真似する気はなかった。そんな男が吉本隆明を読みこなせているとすると、私は馬鹿なのかと思ったりした。

 

 いまならA君はその本を読んでいないことは分かる。そもそも吉本隆明のその本は極めつきの悪文だったのだろうと想像がつく。何という本だったか書名すら覚えていない。

 

 そんな吉本隆明の本を先日生まれて初めて買ったのである。『宮沢賢治の世界』(筑摩書房)という本で、読み出したばかりだけれどふつうに読める。ふつうに読める本も書けるのだ。もともと詩人だから、宮沢賢治に思い入れはあっただろうし、私も花巻の宮沢賢治記念館は何度も訪れていて作品もけっこう読んでいるので、手がかりがあると言えばあるわけである。

 

 同じ書店の棚を物色していたら、呉智英『吉本隆明という「共同幻想」』(ちくま文庫)という本を見つけた。探さなくても向こうから、面白いから読めよ、と声をかけてくれたのだ。呉智英は「くれともふさ」と読むけれど、「ごちえい」でもかまわない、とむかしどの本にか書いてあった。名古屋出身の(大学は早稲田だけれど)在野の毒舌評論家の呉智英先生が昔から好きなのである。久しぶりのご対面。

 

 まだ三分の一くらいしか読んでいないけれど、ここに吉本隆明の悪文ぶりが徹底的にこき下ろされていて痛快極まる。なぜ彼があの時代に一世を風靡したのか、時代の背景や風潮を文化論的にも論じていて、何だか当時の自分を思いだしながら楽しんでいる。
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『安岡章太郎随筆集 5』(岩波書店)

 全八巻のうちの第五巻を読了した。この巻は文学という切り口で安岡章太郎が考える文明論を語る、というテーマの文章がまとめられている。

 

 冒頭の『「愛国心」について』と云う一文など、まさに安岡章太郎節(ぶし)全開で、高校生達が参加する「愛国心」がテーマのテレビ番組に呼ばれたときの話が書かれている。安岡章太郎は相手を否定しない。すべてを受け入れながら、ああだろうか、こうだろうか、と話を展開しながら次第に深化させ、ついには彼がとことん考えつくした思いを呈示してみせる。如何にもあたりまえのようなその彼の考えが、その背後にどれほどの思索の積み重ねの上のものか、それを実感して感銘するのである。

 

 次に東京オリンピックを前にしての彼のいささかひねくれたコメントは、余りに私のいまの気持ちに似ていて思わず独りで苦笑してしまった。安岡章太郎はすでに亡くなっているから、もちろん前回の1964年の東京オリンピックのときの彼の思いである。

 

 彼の思考の原点には昭和10年代20年代があるから、彼のいう文明論、文学論はその時代がつねに背景にある。それは安岡章太郎や彼と同世代特有のものではない。昭和時代の作家評論家はすべてそうだといえる。そしていま私が最も興味をもって読み取ろうとしているのはそのような文学論であり、評論なのだとこの頃ようやく気がついているところだ。そしてそれは、そのさらに淵源として、明治の開国後の日本の文学者たちの苦闘の成果につながっている。

 

 それが文学だけにとどまらないものであることを江藤淳が喝破していて、そのことが私にもようやくわずかに理解出来るようになった。全く分からなかったことがほんの少しだけ分かり出すと、次から次に「なるほどそうか」という喜びのつぶやきが思わずもれるのである。

 

 出来れば五十年前に分かりたかった。鈍才はずいぶん遅れてノタノタと歩いているのだ。
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2020年1月25日 (土)

酩酊(しているはず)

 本日は蔵開きの日。心配していた天気はどうなるか。曇り又は雨の予報を念力で晴れに変えるべく天に祈ったがそれが叶ったかどうか。

 

 いまごろは酩酊の極みのはずだ。弟とふたり、無事帰宅出来ているだろうか(23日夜記す)。
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野上彌生子『明月』

 野上彌生子(1885-1985)は100歳まであと37日で亡くなった。長命と言って良い。この小説は1942年つまり太平洋戦争中に発表された。彼女の出身は九州の臼杵の造り酒屋で、母が中心になってその酒蔵を守っていた。その母の危篤の報せを受けて彼女が東京から駆けつけるところからこの短篇は始まる。ほぼ実話のようである。

 

 心臓の持病で倒れた母の病状は一進一退を繰り返す。さいわい多少持ち直したため、よんどころない用事のために彼女はいったん東京へ帰るのだが、再度危篤の電報を受ける。母は彼女の来るのを待ち望んでいたが臨終には間に合わない。葬儀でのさまざまな懐かしい人たちとの邂逅、田舎のしきたりに則った葬儀の様子が淡々と描かれていく。

 

 そこには野上彌生子の母に対するさまざまな思いが、あからさまではなく控え目に語られていて、それが却ってこちらの胸に響く。最後に持参した、ほとんど灰ばかりの母の分骨を別荘の庭に埋め、見上げた空には明月がかかっていた。 

 

 野上彌生子といえば代表作は『秀吉と利休』で、この全集にもそれがおさめられているものの、かなりの長編であり、読むのに幾日かかかりそうなので、短い『明月』を選んで読んだ。女性らしい、繊細でいながらどこか強い芯を感じさせる文章は、同時にとても品がある。
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2020年1月24日 (金)

しゃぶしゃぶ

 このブログは朝書いている。昼過ぎに弟が千葉からやってくる。名古屋駅に迎えに行く。夕方は娘のどん姫夫婦がわが家に合流して、四人でしゃぶしゃぶ鍋を囲むつもりである。珍しく肉はどん姫がおごるという。楽しみだ。

 

 どん姫は結婚式を挙げていないので、弟とどん姫の旦那は初対面である。どのみちしばらくしたら息子の結婚式で会うのだけれど、せっかく弟が来るので声をかけたのだ。弟が来るのは、土曜日に蔵開きがあるからだ。

 

 今晩盛り上がりすぎるとせっかくの蔵開きの酒の美味さを損なうが、セーブ出来るだろうか。夕方ブログの更新は出来そうもないので朝書いておいた。
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中国のことがわかる人なら予想していたこと

 最初に中国の新型コロナウィルスの情報が報道されたとき、SARSやMERSの轍を踏むかどうかが気になった。その後武漢のみで50人ほどの罹患者がいるが、感染力は低く、しかも致死率も低いからそれほど心配ないと報道され、日本の専門家もほぼ同様の説明をしていた。そんな中国の情報をもとに日本の専門家が語って良いものかなあ、と思っていた。

 

 そのあと、海外でも罹患者が見つかるようになって、中国の当局の発表が事実を隠蔽していることを確信した。中国内の武漢とその他地区との人的交流移動は、武漢と海外との交流の何百倍も多いのは明らかである。それなら海外で数例あれば、中国内では少なくとも数百件あるだろうと考えるのは数学的にあたりまえである。

 

 イギリスで1700件は発生しているだろうという予測があったが妥当に思えた。案の定、それまで全く増えなかった罹患者数の実数がどんどん増えてきた。武漢では病院に患者があふれているという未確認情報もある。そもそも人から人への感染があるのは最初から分かっていたし、実数もはるかに多いのに少なく発表していたらしいことが見えてきた。

 

 こうしてまたまた中国は対策が手遅れになりそうである。

 

 ところで中国でも衛星放送でNHKのニュースを見ることができるのだが、今回の新型コロナウイルスのニュースになると放送が中断して画面が真っ暗になるという。国民に事態を伝えるようなニュースを遮断することに為政者はどんな利益があるのだろうか。

 

 日本にやって来た中国人観光客が自分の国の新型コロナウイルスのニュースを始めて知った、などと言っていた。知らない人も多いようだ。

 

 対策が手遅れになり、実数が増えればウイルスの変異が起こる可能性は急増する。そのことの怖ろしさを中国の当局者は想像出来ないようだし、中国とはそういう国であることを理解出来ていない日本の専門家は中国の情報を鵜呑みにしてコメントを語っていたのである。危ういことである。
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2020年1月23日 (木)

地震対策

 住んでいるマンションで電源の地震対策を行っている。私の暮らす棟は古いので、配電盤が感震器を取り付けられないのだそうで、配電盤そのものも取り替えることになって、今日がその工事の日であった。

 

 部屋中の電気をつけたり消したりしながら配電盤のスイッチとどの器具の電源がつながっているのか確認する。何しろ古い配電盤なのでその記録はなくなり、配電盤に記入されている文字も読み取れなくなっているのだ。「どうも変な配電になっているなあ」と工事のお兄さんは呟いていた。ブレーカーが落ちやすいのは当然らしい。とはいえそれを配電し直すのはかなり面倒だという。「気をつけながら使うしかないですね」と言うのであきらめる。

 

 新しい配電盤の取り付けは小一時間で終わったのだが、感震器がなかなか来ない。トイレも暖房も使えない。インターネットももちろんであるが、それはスマホのテザリングでカバー出来る。暖房はガスだが、ファンヒーターだから電気がなければ使えない。こたつも駄目であるから寒い。震災などで停電になるとこうなるのだなあと実感した。

 

 感震器は簡単なものだ。地震の震動で強制的にブレーカーを落とす装置である。その解除方法も教えてもらう。さらにあたらしい配電盤には漏電検知装置もあって、漏電でもブレーカーが落ちるようになっている。漏電が原因のときは速やかに電気屋に連絡するようにとのこと。

 

 これで電気関係は当分心配ないようだ。「これで四十年は大丈夫です」と工事のお兄さんは笑いながら言う。こちらはそれほどもちそうもない。
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福原麟太郎『読書と或る人生』(新潮選書)

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 福原麟太郎(1894-1981)は英文学者で随筆家。東京教育大の文学部長を勤めたあと退任して共立女子大教授。英国文学に関するものも含め著書多数。この本は昭和42年(1967)に出版されたが、私の持っているのは昭和60年発行のもの。だから私はこの本を三十代のときに読んだようだ。久しぶりの再読。

 

 自分は読書家ではないが・・・、と最初に明言しているが、この本を読んで知る著者の読書量と蔵書は厖大である。それなら著者が認める読書家とはどれほどの読書量の人をさすのか、想像すると気が遠くなる。

 

 本を読んでいる時が至福である人がいる。読書に倦むことなく読み続けられるというのはうらやましい限りである。自分はそういう人ではないと著者の福原麟太郎は言っているのであって、この本にも彼が読書家と認めるような凄い人が何人か記されている。世の中には上には上がいるのである。

 

 解らないことは解らないときちんといえる人というのはこういう人たちなのだろうなどと思った。海外の勉強をすればするほど日本についても深く知ろうとする、そのバランス感覚に敬服する。この本は「読書家ではない」という著者の読書遍歴であり、交遊録でもある。彼の交遊した相手は時代と空間を越えていることはもちろんである。

 

 こういう本を読むと啓発される。もちろん読書案内として読むことも出来る。
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2020年1月22日 (水)

奇妙な人

 古本屋は別として、ひと月以上本屋に出掛けていない。私としてはいままでにないことである。お陰でこのところ本代が余りかかっていないことは有難い。それでもいま興味の集中している分野の本を買いたい気持が収まらなくなって、名古屋駅あたりへ出掛けることにした。

 

 最寄りの駅についてホームに上がると、ベンチで奇妙な動作をしている人を見た。首を左右前後に大きく振りながら両手を激しく上下に動かしている。マスクをしてツバのあるニット帽を深くかぶっているけれど、若い女性のようだ。ときどき声を上げる。三つほどあるベンチは三人掛けで、ほかのベンチは三人ずつ坐っているのにその席には彼女しかいない。

 

 少し早めについたので、私は空いているそのベンチの彼女の反対側に座った。じろじろ見るのは失礼なのでそれとなく様子を窺う。暫く動いたあとにくたびれたのだろう、ため息をついて動作は止んだ。同時に彼女は一人笑いをした。ちょっと嬉しそうな笑い声だ。一息入れたらまた先ほどの動作が再開された。あきらかに何かの健康のための運動ではないようだ。

 

 やがて電車がホームに入ってくると彼女は立ち上がり列車に乗り込んだ。私は別の車両に乗ったので、彼女がそれからどうしたか知らない。

 

 半月ほど前、その同じホームに若い男が立っていた。私は彼の少し後ろにならぶでもなく立っていたのだが、とつぜん彼は後ずさりして私にあたりそうになった。そうして「この駅は特急も急行も停まらない。だからなかなか電車が来ない」という。私に話しかけたのか独り言なのか判然としないので、わたしも「ああ」、とも「うう」ともつかない言葉を返した。

 

 この若い男は何度も見ている。反対側のホームで奇声を上げていたこともあった。その日は機嫌が良さそうであった。

 

 彼女や彼にとって世界がどう見えているのか分からない。たまたま平安でしあわせそうに見えたけれど、そうでないこともあるだろう。彼らとまわりがどういう関係を保つのが互いにとって最善なのか、ちょっとだけ想像したりした。
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梶井基次郎『檸檬』

 この短編小説を高校の国語の教科書で読んで以来、これを読むのは何度目になるだろうか。読むほどにその完璧な文章に驚く。梶井基次郎の生きることに対する緊張感、研ぎ澄まされた美意識に圧倒される。31歳で亡くなった梶井基次郎にはたくさんの草稿があったが、出版されたのは一冊の短編集のみであった。

 

 高校の授業でそれなりに丁寧に読んだはずなのに、二回目に読んで始めて丸善というのが東京の日本橋の丸善ではなくて、京都の丸善だと気がついたくらいの雑な読みしか出来ていなかったのだ。

 

 檸檬を一つだけ買った夜の果物屋の店頭の様子はあたかも絵のようである。暗がりの中に店頭の灯りだけが果物を活き活きと輝かしている。そういえば西島三重子の『池上線』の歌詞の中にそのような光景が歌われているのを思いだした。

 

 病気のための気怠い身体、憂鬱な気持を抱える主人公の見る世界が、一個の檸檬であたかも靄が晴れるようにさわやかになる。そのわずかな輝きの時間は宝石のような時間で、それを読む方は感情移入しながら、つまり主人公そのものになって、主人公の目で世界を眺めることになる。どこまで深く読めるかでその輝きの強さが違うのだろう。

 

 これは『昭和文学全集』(小学館)の第7巻で読んだ。この巻には中島敦や内田百閒、中勘助をはじめ短篇の名手たち11人の作家の多くの作品が収められていてこのままこの巻を読み続けたい気もするが、自分で決めたルールに従い、我慢して第8巻に移る。
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2020年1月21日 (火)

心当たりがあるので試してみよう

 永井荷風を取りあげた番組で、彼の持病だった腹痛と下痢の原因が過敏性腸症候群ではないか、と指摘されていた。彼の日記『断腸亭日乗』には頻繁にその記述がある。過敏性腸症候群の原因は小腸内細菌の増殖によるもので、その細菌の増殖を促すのが小麦や牛乳などであるという。

 

 永井荷風はパン食を好んでいて、朝は必ずパンだった。それが昭和20年前後に自宅を空襲で焼け出され、パン食など出来なかった時期だけ腹痛と下痢の記述がないのである。

 

 私も最近は御飯ではなく、パンや麺類ばかりが続くことが多い。下痢が続くのは処方されている糖尿病の薬の副作用と思いこんでいたけれど、もしかしてここに原因があったのか、それとも複合作用かも知れない。それなら原因を減らすことで効果があるかも知れない。

 

 小麦を使う食べものを減らし、牛乳も飲むのを減らしてみたらどうなるのか。暫く試してみようかと思っている。心掛けてまだ二三日しか経っていないが、少し改善されている気もしないではない。酒を控えているからだけかも知れないが。 

 

 ところで番組で永井荷風を取りあげたのに、ゲストの芸人芸能人が永井荷風をほとんど知らないらしいのに呆れた。もちろん知らない人は多いだろうが、少なくとも彼を取りあげるのなら、少しは彼の作品を読んで知っている人をゲストに呼ぶのがふつうだろう。
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長山靖生『日本人の老後』(新潮選書)

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 著者は歯科医で評論家。この本が出版されたのは2007年。そのとき私は57歳で、60歳定年後の生き方を考える参考にしようと思ってこの本を購入して読んだ。団塊の世代は1947~1950年頃に生まれた世代だが、まさにその世代の定年リタイアが始まりだした頃である。その世代は人数が多く、企業や社会の中枢をなしてきた。それらが一斉にいなくなることでの空洞化を心配する向きもあった。彼らの蓄えたさまざまなノウハウが失われる恐れもあった。さらに当然のことに老後の年金をはじめとする社会保障費がこれから一気に増大することも分かっていた。

 

 そういうわけで定年を65歳に引き揚げようという社会的な動きが次第に主流になりつつあった。それまでは若い人の雇用を生むために、年寄りは早く引退する方がよいという考えだったのが、次第に生涯働くことが美徳だというふうに世論誘導が始まった気がする。人手不足が将来予測されていたから当然かも知れない。そしていま世の中はその予測通りになっている。しかしその予測は人口構成を知るものなら誰でも可能なことで、その対策が不十分なのは不可抗力によるものではない。

 

 この本やその他の老後の生活に関する本や年をとることについての本を何冊か読んで、自分なりに考えたことを思いだす。その時はこれからのこととしての老後だった。それが再読しているいまは既にその老後の渦中である。外から見るのと中から見ることの違い、そしてそれ以上に時代の変化のありようが実感された。

 

 この本を読んだ時には、既に私は60歳でリタイアすることを決めていた。だから形の上だけでも慰留されたのを真に受けて定年を延長したりしなかった。その判断に後悔はまったくない。リタイアしてからやりたいと思っていたことをしているし、それに飽きてしまうこともない。いまならそもそも最初から65歳まで働くことが当然という時代だからなかなか60歳でやめられなくて残念なことになったかも知れない。よかったよかった。私は生来の怠け者なのであろう。

 申し訳ないことに、本の中身について書くスペースがなくなった。

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2020年1月20日 (月)

異常なし

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 本日は泌尿器科の定期検診日。歩いて20分ほどの病院に行くのだが、今日はその20分が遠く感じた。体が重いのである。

 

 勧められて、血液による腎臓のガンの簡易検査もして貰った。それも含めてすべて異常なし。いまは本当に迅速に検査が出来てありがたいことである。

 

 気になることはありますか、と医師に問われたので、夜、酒を飲んでもトイレに全く行かないことが多いけれど大丈夫かどうか訊いてみた。独りでの晩酌は量が少ないからどうと言うことはないが、友人や弟と飲んでも全くトイレに立たない。ジョッキで二杯も三杯も飲み、さらに日本酒を二合三合飲んでも尿意を催さないのである。そのまま翌朝までトイレに行かないことさえある。ただ、翌朝からは、前日飲んだ分すべてではないが、ちゃんと出る。それが出なくて病院に駆けこんだのがそもそも泌尿器科にかかるようになった理由でもある。

 

「話だけ聞くと特に問題なさそうですが、アルコールをそれだけ飲んで尿意を催さないのは多少心配です。万一少しでも具合が悪かったら直ちに診察を受けるように」と言われた。もちろんである。排尿困難のつらさは身に沁みているのである。さいわいいま処方されている前立腺の薬は排尿をスムーズにしてくれてありがたい。利尿剤を処方するほどでもないだろうというのが医師の診立てなので、それに従うことにする。

 

 週末は弟が来て泊まり、一緒に蔵開きに行くので、体調を万全にしておくためにそれまで晩酌は最小限にしようと思っている。
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どうでもいいこと

 夜明け前に足がつった。最初、右足裏がつりかけて目が覚め、それをこらえたらはぎ、ふくらはぎではなく向こうずね側、がつりだした。いままでふくらはぎ以外がつることはまずなかったのに、最近こんなつりかたをすることが時々ある。どこがつるか分からない。

 

 さいわい朝起きて歩くのに支障のあるようなことはなかった。

 

 下着のシャツが破れた。生地が破れたのではなく身ごろと縁襟部分との縫い目が破れたのである。半年前くらい前にAmazonの安売りで購入したものだ。下着は毎日替える。何年も使って生地が薄くなったらお役御免とするが、破れたことなど一度もない。不器用なので脱ぎ着が乱暴であることは承知しているが、つねに十枚くらいを交替で着ているので、まだそれほど古くなっているわけではない。

 

 宮沢明子のピアノ小品集のアルバムを聴いた。デジタル化してNASに保存してあるのだが、この元になるCDは録音レベルが低くてこれを聴く時はレベルをグッと引き揚げないと行けない。いつもはバックグラウンドミュージックに使っているけれど、今日はなにもする気がしないのできちんと聴いたら、気になることが耳についた。名によりピアノの楽器としての音の膨らみがほとんど感じられない。残響音は演奏者がペダルでコントロールしているはずなのだが、不自然な残響音の消え方が聴き取れた。録音レベルの低さ、音の立体感のなさなど、最近聴いているほかの音楽アルバムと比べて著しく聴きおとりがする。

 

 宮沢明子のように名の知れた演奏家の演奏が悪いとは思えない。だいぶ前に買ったCDではあるけれど、安売りの雑なCDではない。音楽評論家が録音が良いとか悪いとか書いているけれど、こんなに違うものなのだなあ。なんとなく時間を無駄にした気がする。

 

 なんとなく体調も本調子ではなくて体が重い。ささいなことが普段以上に気になる。少し疲れているのかも知れない。午後、泌尿器科の定期検診があるので病院に行かなくてはならない。
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2020年1月19日 (日)

鈴木孝夫『日本人はなぜ日本を愛せないのか』(新潮選書)

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「~はなぜ~なのか」という問いかけは気をつけなければならない。「~が~である」ということが事実として前提されている問いかけになっているからだ。論理的に言えば、日本人が日本を愛せないのであれば、日本を愛しているつもりの私はあたかも日本人では無いかのようであり、それでは日本を愛する人はほとんど存在しないかのようであるからだ。

 

 揚げ足とりはここまでとしようか。著者の鈴木孝夫氏は言語社会学者。日本語についての、ユニークでなるほどと思う文章を以前から拝見しているので一目置いているのだが、いささかこの本では暴走気味に見える。それは彼が日本を愛すればこそなので、日本の過去のすべてを否定したり、自分が日本人である事を卑下したりするいわゆる進歩的文化人に対して怒りを覚えたためにこのような表題でこんな本を書いたのであることは読めば分かる。

 

 言語はそれを使う民族の歴史や文化や宗教が深く関わっているから、言語を研究する時には自国の言語とさまざまな言語を比較研究する事になり、当然歴史や文化、宗教、その民族の思考のパターンなども考察する事になる。日本語を深く研究するばかりではなく、他国に赴いて留学したり海外の大学や研究所に在籍して研究することになり、その上で「日本とは」そして「日本人とは」ということを人一倍考える事になるわけである。

 

 その上で、日本が、日本人が、日本語が思わしくない方向に進んでいると実感した著者が持論を展開しているのである。悲憤慷慨しているのである。

 

 おおむね主張している事に賛同するのであるが、多少フライイング気味なところがあって、それがちょっと難点であろうか。一昔前なら手を叩いて喜んで読んだかもしれないが、いまは「ちょっと待てよ」、という気持の方が強い。ただし言語に関する部分、特に漢字廃止や日本語のローマ字化などの暴論がまかり通っていた事に対しての著者の怒りは私も大いに共有する。近ごろのカタカナ単語ばかりの文化風潮も不快である。日本語で言えるものは日本語で言え!

 

 漢字を無くしてひらがなばかりの日本語など、想像を絶する。それをお隣の国は断行した。私から見ればそれは暴挙であり、その結果がお隣の国の文化度を大きく引き下げているような気がするのは私の妄想だろうか。戦後、漢字を制限してきた事が日本の文化程度を下げている、と私も確信している。苦手な人は使わなければ良いが、使える人、使いたい人まで使用を制限するというのは間違っている。いまのマスコミの漢字の使用のおかしさは読者を愚民と見做している証拠にしか見えない。
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蔵開きに弟がエントリーする

 今度の土曜日が毎年恒例で参加する酒蔵の蔵開きである。前から参加したいといっていた弟もようやくリタイアしたので、声をかけたら「行く!」と即答した。

 

 弟は勤めていた会社の人(自分が仕事を引き継いだひとだという)が具合が悪くなって仕事が出来ない状態になり、その補充のてあてがなかなかつかず、急遽半年契約で再雇用となったところだという。でもどうとでも都合はつけられるとのことである。弟の参加はもちろん初めてで、私の長年の友人達にお披露目する事になる。弟は私よりも人間が出来ていて、社交的で人なつっこいから歓迎されると思う。

 

 そのあとまた、息子の結婚式にあわせて弟夫婦が名古屋に立ち寄る。式は広島なので、式の前とあとにちょっと泊まりで一緒に旅行しようというのである。その場所と宿泊場所は任されたので、これから段取りをしなければならない。忙しいのである。嬉しく楽しい忙しさである。

 

 息子に電話したら、今日は式場で一日打ち合わせをしていたという。なかなかたいへんなようだ。名古屋では何の助けもする事が出来ない。「式の最後には挨拶をするから考えておいてくれ」と言われた。もちろん覚悟はしていたけれど、ぎりぎりにならないと考える気にならないのだなあ。どうしよう。
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2020年1月18日 (土)

雪の中を走る

 昨日、弟と二人で、入院している妹の見舞いに行った。本人は今月中に退院したいようだが、医者の判断はまだ出ていないようだ。はやくふつうに生活できるようになる事を願うばかりだ。

 

 一昨晩、昨晩と弟と美味い酒を飲んだ。昨晩は弟の孫四人(六人いるうちの四人である)がやって来て、久しぶりにご挨拶。暮れにお年玉を弟にあずけてあったので、みなそれぞれにお礼を言う。ちっちゃい子供が親(甥や姪)にいわれた通りに頭を下げるから、こちらが照れくさい。中学生、小学生、幼稚園児に幼児まで、みんなとても可愛い。一番小さいのはまだ二歳になるかならずの女の子。それでも顔を覚えていたのか余り人見知りせずに、抱き上げても嫌がらない。

 

 今日は昼前に千葉を出発、ずっと雪が降っていた。外気温は2℃くらいだが、雨のあとの雪だし、いままで暖かかったので地面もそれほど冷えていないから、どこも積もっているようなところは無かった。ただ全体に車はスピードが控え目なので、多少所要時間が余分にかかったが、無事夕方帰着した。本日は休肝日としようか。
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見覚えがあったはず

 先日読んだ柳田國男の『山の人生』は全集読破の中の一つであったが、初めて読んだはずなのに既読のような気がした。この作品は、さまざまなひとがその中から引用しているので、それを読むことがしばしばある。それで既読のような気がしたのだろう。

 

 特に冒頭の話は凄惨な話で、しかも私はそれをすでに知っていたのだ。

 

 安岡章太郎と小林秀雄の対談『人間と文学』(『文士の友情』に収録)を読んでいたら、その中でこの柳田國男の『山の人生』が話題となっていた。小林秀雄の『考えるヒント』という本の中に、この山の話の冒頭が取りあげられていたのだ。

 

どういう話か、以下に原文から引用する。

 

  山に埋もれたる人生あること

 

 今では記憶して居る者が、私のほかには一人もあるまい。三十年あまり前、世間のひどく不景気であった年に、西美濃の山の中で炭を焼く五十ばかりの男が、子供を二人まで、鉞(まさかり)で斫(き)り殺したことがあった。
 女房はとくに死んで、あとには十三になる男の子が一人あった。そこにどうした事情であったか、同じ歳くらいの小娘を貰って来て、山の炭焼き小屋で一緒に育てて居た。其子たちの名前はもう私も忘れてしまった。何としても炭は売れず、何度里へ降りてもいつも一合の米も手に入らなかった。最後の日も空手で戻って来て、飢えきって居る小さい者の顔を見るのがつらさに、すっと小屋の奥へ入って昼寝をしてしまった。
 目がさめて見ると、小屋の口一ぱいに夕日がさしていた。秋の末の事であったと謂う。二人の子供がその日当たりの処にしゃがんで、頻りに何かして居るので、傍らへ行って見たら、一生懸命に仕事に使う大きな斧を磨いて居た。阿爺(おとう)此でわしたちを殺して呉れと謂ったそうである。そうして入り口の材木を枕にして、二人ながら仰向けに寝たそうである。それを見るとくらくらとして、前後の考えも無く二人の首を打落としてしまった。それで自分は死ぬことが出来なくて、やがて捕らえられて牢に入れられた。
 この親爺がもう六十近くなってから、特赦を受けて世中へ出て来たのである。そうして其からどうなったか、すぐに又分からなくなってしまった。私は子細あって只一度、此一件書類を読んで見たことがあるが、いまは既にあの偉大なる人間苦の記録もねどこかの長持の底で蝕ばみ朽ちつつあるだろう。

 

 小林秀雄は「燃えるような夕陽が小屋の口一ぱいに」と引用している。とにかくその親爺が昼寝から目覚めたときの光景は、フィクションでは決して書くことの出来ないものだ、と云うことを述べていて、それに安岡章太郎は賛同している。

 

 私もそのことが頭から消えなかったから、初めて原文を読んでも見覚えがあったのである。
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2020年1月17日 (金)

眉間に皺を寄せ、世を慨嘆してみせるひとは、実は最も世界を他人事として見ているのではないか

 テレビで、やたらに眉間に皺を寄せ、低い声で世を慨嘆してみせるコメンテーターやキャスターが目につく。私が最も嫌いな人たちである。

 

 どうしてそういう人たちにそのような反感を感じるのだろうか。

 

 彼らは視聴者に、「あなたはどうしてこのような理不尽に怒りを覚えないのか?」と唆す。しかし唆された視聴者の多くは、自分はその是非を断ずるまでの情報を持っていないことをよく承知している。そして唆したその男又は女が、明日平然と違うことを慨嘆するかも知れないことも承知している。唆すごとき言説の人物が、その言説の責任をあとでとることなど決してないことを承知している。

 

 ひとは自分の言葉や行動に責任を持つ。しかし眉間に皺を寄せて世界を背負っているが如きアジテーターはまず責任をとることがないことを、歴史を知る人たちは多くの前例から知っているけれど、残念ながらその言説に影響を受けてしまう人も少なからずいる。そういうアジテーターは、実は最も世の中を他人事で生きていることをまっとうな人は承知している。私はそういう「眉間に皺」の人物に嫌悪感を抱くことこそ、自分がまともであるしるしだと思っている。
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安岡章太郎『文士の友情』(新潮社)

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 副題が『吉行淳之介の事など』となっていて、前半が吉行淳之介との交遊について、そしてそれに連なる第三の新人の仲間たちの事が綴られている。島尾敏雄、遠藤周作、阿川弘之、庄野潤三、三浦朱門などである。続いてその中の遠藤周作、さらに島尾敏雄が詳しく語られている。後半は対談で、小林秀雄との文学についての対談、吉行淳之介、小川国夫との島尾敏雄についての対談、そして最後が遠藤周作と井上洋治との信仰についての対談である。

 

 巻末に『あとがきに代えて』と題して娘の安岡朝子が父の交遊について、そしてこの本の出版に関するいきさつが語られている。なかなか好い文章で、その思いに胸に迫るものがある。

 

 安岡章太郎は自分を落第生、劣等生として自嘲しながら韜晦する事が多いので、軽みのある作家に思いやすいけれど、じっくり読み込むととんでもない。深い思想を背景に持つ、読みごたえのある作品をたくさん残した作家なのだ。これは迂闊な私がようやく気がついた事で、読めば読むほど味わいがある。

 

 そういう安岡章太郎だから、彼の友人達は彼を本当に敬愛していたことがこの本で読み取れる。「あたかも友情」、と云うのは世にいくらでもあるが、「本当の友情の如きもの」は世に希なものである(by山本夏彦)。そのありがたさを正直に書いているのがこの本だと思う。

 

 召集されて兵役をうけている時に病気で退役をして、その後脊椎カリエスでほぼ寝たきりとなり、奇跡的に一命をとりとめたから、自分がその仲間たちより長生きした事が安岡章太郎に不思議な感慨をもたらしていたようだ。とはいえ吉行淳之介も遠藤周作も重い病気を抱えて苦しんでいたのも事実である。

 

 この本は彼の死後にその彼の感慨を読み取れるような意図で編集されているもののようだ。さいわい私もその感慨を多少なりとも受けとめる事ができた気がしている。
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2020年1月16日 (木)

熱田の杜

熱田神宮のCMの歌(歌っているのは宇崎竜童だと思う)

  あつたの~

  もりには~

  しんわが~

  いきてる~

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熱田神社本殿裏側がぐるりと遊歩道になっている。初めて歩いた。

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けっこう鬱蒼としている。歩きながら撮ったのでちょっとぶれた。

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こんな巨木のご神木があったりして、手を合わせているひともいる。

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年月をため込んで迫力がある。

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石に両手を当て、額もつけて何か祈っているひとがいる。むこうの斜めになっているのも石である。

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もう少し遅いと弓を射るところが見られたはずだが、準備中であった。

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星形の絵馬。左手にはふつうの絵馬もある。

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元へ戻る。お守りや破魔弓、おみくじが売られているが、行列になっていた。今年はその気にならないので買わず。子供が小さい頃は鰻の老舗『蓬莱軒』でひつまぶしなどを食べたものだが、最近はぜいたくはやめている。

室生犀星『あにいもうと』

 明治二十二年、室生犀星は金沢で生まれた。もと加賀藩士の父親が六十三歳の時に女中に手をつけて生まれたとされるが、その女中の名ははっきりしない。生後すぐに犀川の近くの寺院の、室生真乗と云う僧侶に渡され、内縁の赤井ハツが育てたと年譜にある。七歳の時に正式に室井真乗の養嗣子になり、戸籍上の室生姓を名乗っているが、小学校の原簿には赤井照道と記録されているという。

 

 この『あにいもうと』の主人公は赤座という名前だ。

 

 小説は自然主義文学そのものの体裁であるが、なんとなくそうともいえないものを感じる。ひとが生きることの厳しさを、主人公の息子や娘二人の生きざまに託して描く。堕落して底辺を彷徨う妹に対して、兄が罵倒するが、それに対しての妹のすさまじい啖呵は強烈なインパクトがある。怒りと哀しみが熱風のように吹き付ける。

 

 室生犀星の娘の室生朝子によれば、主な舞台は犀川のようである。川人足頭の赤座の自己中心的で暴力的な性格が、実は生き方の不器用さによるものであることが物語の進行と共に次第に分かってくる。大人になった息子や娘がいかに自分の意に染まないからといって、彼には如何ともしがたいのである。彼が無心に河原を眺める姿に彼の内面がチラリと見える。哀しみを押しつぶすように激しく生きざるを得ない男がそこにいる。それはやさしさなのか、それとも弱さなのか。

 

 その諦念を川が浄化するように見えながら、その川がまた自然の暴力をむき出しにする。人間はそれでも生きていくのだ。
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2020年1月15日 (水)

熱田神宮参拝

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毎年1月15日に熱田神宮に参拝する。

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名鉄で乗り換えなしで行くことが出来る。神宮前駅から歩道橋を渡り、鳥居をくぐる。

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平日なのに人出が多い。

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手と口を清める。

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愛知県の酒が奉納されている。

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右上端が25日(土)に蔵開きに行く青木酒造の酒、銘柄は米宗。

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小さな花が枝一杯に咲いていた。

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信長が桶狭間の戦勝のお礼に寄進したという土塀。

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賽銭を投じ、二礼二拍手一礼して家族の健康としあわせを祈った。

このあと後ろの本殿の外側をぐるりとまわって、熱田の杜を散策した。それは次回。

動物としての原点

 近親相姦を避けるのは生き物の原点であろう。それは法律以前の問題だ。だからあたりまえすぎて、法律にはそれに対しての罰則が明記されていないのかも知れない。明記されていないから罪に問われないのだろうか。

 

 実の父親が娘と関係を持っていたことを娘が訴えたのに、裁判では娘がそれほどの抵抗をしなかったから無罪、という判決を一審は下した。そのことがいま論じられているけれど、そんな判決は、娘が父親を受け入れたかどうかという問題では無いという原点を見失っているものとしか思えない。実の娘を犯すことはまともな人間にとっては嫌悪を催す最悪の行為であることは考えるまでも無いことであろう。加害者擁護の人権主義のそもそもの欺瞞性をこれほど明らかにした判決は無いと私には見える。二審がどう判決するのか、日本の法律専門家の価値判断を見る上で、私には興味深い。
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2020年1月14日 (火)

閑中忙あり

 年明け以来ほとんど出かけることもなくぼんやりしていることが多かったが、明日からいろいろと予定が目白押しで忙しくなる。明日は四十年近く続けている熱田神宮へのお参りの日。名古屋へ初めて移ってきて以来、よほどの事情がない限り参拝することにしている。1月15日はもともと成人式の日だったから、それが可能だったし、成人式でなくなってもこちらが毎日休日になったので行くことが可能である。理由があって、遅ればせのこの日が毎年の私の正式の初詣なのである。

 

 そのあと久しぶりに千葉の弟のところへ行く。妹が入院しているので、そのお見舞いが主目的である。妹は再発で、今月中に退院することになっているけれど、完治してのことではないので心配である。来月初めの息子の結婚式は広島なので、そこまでの遠出は無理であり、参加することは出来ないと義弟から聞いている。弟とはそれ以外にもいろいろと相談することがあるので、二三日泊まるかもしれない。

 

 来週は泌尿器科の定期検診である。前立腺の薬を服用しているので、排尿困難はいまのところ再発していないが、老化のせいなのか、恥ずかしながら尿の切れが悪くなっていて不快である。

 

 そのあとにはマンションの地震対策の一環の配電盤の工事の立ち会いがある。その他の水回りなどのチェックも予定されている。古いマンションだが、メンテナンスは行き届いている。終の棲家にしたいと願っているが、マンションがそこまで持つか、こちらが先に耐用年数を終えるか。

 

 そのあとにはいつもの新酒会がある。常任幹事を自認しているので、息子の結婚式と重ならないか心配だったが、大丈夫であった。今年から完全予約制となったのでいつもの友人達に連絡して確認し、予約はすでに入れてある。
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川端康成『伊豆の踊子』

 全集の読破の順番でこの作品があたった。二三年前に再読したばかりだけれど、短いからもう一度読み直した。やはりいい作品は何度読んでもいい。前回読んだ時は、どうしていい若い男がこう簡単に涙をこぼして泣くのだろうと思ったりしたけれど、今回はその気持ちが分かったような気がする。

 

 川端康成は医師の長男として生まれた。ほかに兄弟として姉が一人いた。父親は医師であるけれど病弱で、彼が生まれてものごころがつく前に死去、彼は祖父母にあずけられる。父の死因は結核らしく、母もすでに感染していたためである。母もその後一年ほどで死去してしまう。さらに彼を溺愛していた祖母も彼が小学校に上がったばかりの頃に死去。姉は死んだ母の妹にあずけられ、彼は祖父と二人暮らしとなる。その姉も病死し、彼が中学生の時に祖父も死んでしまって彼は全くの孤児となったのである。

 

 作品の中にこんな文章がある。旅芸人の娘たちが彼のことを噂しているのが聞こえる場面である。

 

「いい人ね。」
「それはそう、いい人らしい。」
「ほんとにいい人ね。いい人はいい人ね。」

 

 この物言いは単純で明けっ放しな響きを持っていた。感情の傾きをぽいと幼く投げ出して見せた声だった。私自身にも自分をいい人だと素直に感じることが出来た。晴れ晴れと眼を上げて明るい山々を眺めた。瞼の裏が微かに痛んだ。二十歳の私は自分の性質が孤児根性で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に堪え切れないで伊豆の旅に出て来ているのだった。だから、世間尋常の意味で自分がいい人に見えることは、言いようなく有難いのだった。山々の明るいのは下田の海が近づいたからだった。私はさっきの竹の杖を振り回しながら秋草の頭を切った。

 

 途中、ところどころの村の入口に立札があった。

 

---物乞い旅芸人村に入るべからず。

 

この物語は何度も映画化されているが、私の観たのは大好きな山口百恵が踊り子を演じたものだ。小説にはないけれど、踊り子が便りのなくなった友人を探し訪ねて、物置でぼろきれのような扱いを受けて死にかけている友人を発見するシーンがある。その薄幸の少女を石川さゆりが演じていた。その石川さゆりも今年は大河ドラマで明智光秀の母親役を演じている。
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2020年1月13日 (月)

『同時代を読む 1981-'85』(朝日新聞社)

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 母が亡くなったのは2015年だから、この本を再読したのはその少し前だった。私が読みかけの本を実家に行くときに持参し、読了したものを置いたままにした本が長い間にたくさんたまっていて、晩年の母の介護をした二年間にそれらを読み直した。何しろ介護といってもほとんどがそばにいるだけだったから、時間はいくらでもあった。

 

 若い時に読んだ本も多い。若い時は今以上に知識もなく、必然的に粗雑な読み方をしていた。それでもそのザル頭に引っかかって残っているものも無いわけでは無く、多少は深読みできるようになっていた。母の死後、ほとんどの本は弟に処分して貰ったが、二三十冊だけ持ち帰り、押し入れに放り込んでいた。

 

 書評や批評本は面白くて好きである。読める本の量には限度があるから、どんな本が面白そうか探すのに参考になるし、読みどころを教えてもらうことも出来る。自分がすでに読んだ本だと、自分がどれだけ雑な読み方をしていたかを思い知らせてくれたりする。書評家と意見が違ったりすると自分のオリジナリティを感じてうれしかったりする。私の無知や勘違いからのことも多いが。

 

 スペースの問題もあり、本をつぎつぎに処分しているが、書評本はなかなか捨てられない。手にとるとつい読んでしまう。だからこの『同時代を読む 1981-'85』も三回目を読むことになった。この本は週刊朝日の書評コーナーに参画している面々が半年ごとの覆面対談を中心にまとめられている。ただ、冒頭はその面々が覆面をつけずに五年間を概観して論じている。

 

 ここでは文芸作品ばかりではなく、社会科学や自然科学、漫画まで含めての本として出版されたものすべてが網羅されている。かなりの辛口で、福田恆存や山本七平などもかなり手厳しく難点を指摘されている。

 

 毎年のフィクション、ノンフィクションのそれぞれのベスト20がリストアップされていて、自分が三十代前半だったその時代がどんな時代だったかも、そこから思いだされたりする。ニューサイエンスや終末論花盛りの時代だった。ライアル・ワトソンやフリッチョフ・カプラーなどの本は私も読んだ。ニューサイエンスからオカルトへの流れがあったことも記憶にある。それはオウム真理教への道にもつながっていたのだ。

 

 NHKのアナウンサーだった鈴木健二の『気くばりのすすめ』などという本がベストセラーになった時代だった。私も読んで同感共感するところもあったが、続編続々編など何冊も出版され、その内容がほとんど変わらずにエピソードまでしばしば同じであることに呆れたものだが、そのことをこの書評でも批判している。

 

 学生時代に太宰治と交遊があったが、彼に金をたかられたことなどをしつこく自慢していて鼻白んだものだ。金田一京助が石川啄木にひたすら金を貢いだことを当然として泣き言をいわず、友情を損なわなかったことを山本夏彦などが紹介しているが、たいへんな違いだと感じたものだ。

 

 たぶん五年ごとにこのように週刊朝日の書評がまとめられて出版されたのではないかと推察されが、アマゾンで調べても古本のリストからみつからないのは残念だ。
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柳田國男『山の人生』

 先日のブログにうっかりして柳田國男の『山の生活』を読んでいる、などと書いてしまった(すでに修正済み)が、正しくは『山の人生』である。

 

 山に棲む人は里に住む人と違う生き方をしていると見做されてきた。それは山姥や天狗、サンカといわれる人々、さらに関連して神隠しなどとして日本全国に無数の話が残されている。それらの話を蒐集し、系統付けて論じているのだが、例として引用されている話がどれもたいへん面白い。

 

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 柳田國男は日本の原点を稲作におく傾向が強いが、そもそも山に棲む人々は稲作をしない人々である。西国で温暖な気候であれば稲作に適するが、東国、特に東北だと、寒冷地で稲作に適さない。日本は米本位制経済が長く続いたから、稲作をしない人々は権力者からはまつろわぬ者とされたのではないか。まつろわぬ者は鬼とされたり魔とされた。

 

 この本ではそういう視点で解析しているわけではないが、東北学を標榜する赤坂憲雄などは山の民、又は稲作中心ではない人々を原点とする文化という者を見直す民俗学を提唱していて面白い。それをベースにこの『山の人生』を読むと、いろいろと興味深い。

 

 ここにとりあげられた数多くの話はすでに語る人もいなくなり、文献でしか残されていないだろう。現実にあった山の生活はほとんど消滅したが、今消滅しつつある。こうして日本の原点が日本人から失われていく。文化が失われていく。それははたして進歩なのだろうか。
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2020年1月12日 (日)

想像力の欠如

 名城大の准教授が学生に刺された。凶器はハサミらしいが、前日から用意していたというから計画的だと見られる。レポートを期日まで出せないことを釈明に行ったが、期日までにレポートを出さなければ単位はやれないといわれたので刺したと理由を説明しているという。

 

 期日までにレポートを出すことが単位取得の条件であれば、レポートが出せなければ単位を出さないのは当然のことである。それが刺し殺そうと思うほどこの学生にとっては理不尽に思えたのであろう。そういう思考方法の人間なら、世の中をまともに生きるのはむつかしそうだ。

 

 このことでたぶん彼は人生を棒に振ったことになる。しかし彼はこの准教授を怨み続けるだろう。自分に問題があるという事に気がつけるくらいならそもそも事件を起こすことなど無かったはずで、実は世の中にはこんなふうに自己中心的な異常な思考方法の人間が少なからずいることをしばしばニュースで知らされる。

 

 世の中が自分の都合で動いていないこと、いかに腹が立ったとしても、犯罪を犯せば腹立ちの解消とは比較にならないほどの制裁を受けるということに想像力が働かない人間が存在することに恐ろしさを感じる。
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インプットを一休み

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 一日は結構長いのに、読書に集中できるのはせいぜい3~4時間である。たったそれだけなのにその読書に倦んできた。読書しながら多少は考えているけれども、おおむねインプットに終始する。もともと低容量のメモリーしか持ち合わせていないので、頭の中にさまざまな記憶や思いが雑然とひしめき合ってあふれそうな状態になる。フリーズ寸前なのである。

 

 そういう時は暫くインプットを中断する。つまりぼんやりする。どこか山や海などに出掛けて景色をただ眺めたりするのが好い。そうするともともと隙間だらけで雑然として詰めこまれていたものがおのずから収まるところに収まって、若干の余裕が生じ、新たにインプットが可能になる。

 

 ほとんどのものが収まったまま出てこない(失われる・つまり忘れる)のが哀しいが、とりあえず引き出せるものを手がかりにいろいろ考え、アウトプットする。友達や娘がその犠牲になる。ブログに書いたりするのもそういうものである。アウトプットするためにインプットするというのが本当なのだろうけれど、私の場合はインプットするためにアウトプットしているようである。だから常に考えは不十分な、出来損ないに終わる。
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2020年1月11日 (土)

ひとはみんな違うと言うけれど・・・

 ひとはみな違う。同じものを見ても、同じ物を食べても受け取り方、味わい方が違う。そんなこと当たり前だと知っているけれど、他人が自分と違う感じ方をしていることを知るとびっくりする。

 

 ゴーン氏はレバノンで日本のメディアの記者会見に応じて、「日本では正統な裁判が受けられないから脱出した」との主旨の言葉を述べた。ここで言う「正統な裁判」とは、彼の行ってきたことは間違っていなかったと認められる彼に都合の良い裁判のことであろう。法律とは無関係の主張である。彼は自分が犯罪者とは認めるつもりはない。そう信じてもいるのだろう。

 

 119番で緊急通報をする事例の中に、「ゴキブリが出たから何とかして欲しい」とか、「酔って帰宅できなくなったから救急車で送って欲しい」などというものがあったとニュースで報じていた。多くのひとはそんなことで119番通報したりしないけれど、そのひとたちは自分が本当に困ったから通報したので、何で非難されるか分からないのかも知れない。分かっていてのことなら、悪意のある行為である。

 

 大口を開けて眠っていたら、ゴキブリが口の中に飛び込んで、それを呑みこんでしまってパニックになったのかも知れないなあ、と同情している。それなら全く理解できない行動ともいえない。

 

 だれもが自分の基準で自己主張する時代になった。自己主張の氾濫すること、過去とはけた違いであって、それはさらにエスカレートするだろう。自分は正しい、ときに自分だけ正しい、と云うひとはいまのところ一握りである。しかしその一握りによって世の中が振り回されているのが現実である。あれで好いのか、と勘違いする輩がたくさん控えている。今に収拾がつかなくなるだろう。

 

 モンスターペアレンツや暴力的クレーマーの話題は枚挙にいとまが無い。自己正当化の花盛りである。自分も次第に毒されているのかも知れない。

 

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 ますますまともなひとにとって生きにくい時代になってきた。地球温暖化も顕著になってきた。人口が増え続ければ、しなければならない我慢を受け入れないといけないはずなのに、自己の利益を主張する声だけがかまびすしい。人類の未来は悲観的に見える。

 

 破綻はじわじわとやってくるのか。案外大災厄がとつぜん人類を襲うかも知れない、などと妄想している。自然はしばしば自ら修復を謀るものである。
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珍しく・・・

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 春でもないのにやたらに眠い。早めに眠くなり、夜中に目が醒めるけれど灯りもつけずにじっとしていると、又眠りに入ることができるようになった。それなのに昼間テレビを観たり本を読んだりしているといつの間にかうつらうつらしている。どういうわけかいくらでも眠れる。

 

 正月以来ほとんど出掛けていない。本を読んだり録画したドラマやドキュメントや紀行番組を観ている。こたつの守もいい加減にしないと身体がおかしくなりそうだ。

 

 というわけで、昨日午後になってようやく腰を上げ、まず床屋に行き、短く刈り上げてもらった、さっぱりした頭のまま名古屋の鶴舞まで出掛けた。いつもの古本屋へ出掛けたのだ。今回は評論本を物色した。『奥野健男作家評論集』全五巻を見つけた。箱入りで、すべて月報が添付されている。箱はかなりくたびれているが、全部で2300円なら御の字である。

 

 掘り出し物を見つけた喜びでわくわくしたところで、鶴舞の駅前の飲み屋にふらりと飛び込んだ。旅先で独りで飲むことはあるが、名古屋で独り飲みは年に一度か二度のことで、私としては珍しい。

 

 開いたばかりのモツ焼きを看板に掲げている店で、さまざまな串を頼んで美味しいお酒を飲んだ。腹ごしらえにおでんもいただく。大根が美味しい。つい余分に飲んでしまったけれど、常連らしいサラリーマンがどんどん押しかけたので席を立つ。

 

 毎年恒例の友人達との新酒会の日が、息子の結婚式と重ならないことを確認できた(これもとても嬉しい)ので、常任幹事として友人達へ連絡した。蔵開きも完全予約制になったのでちゃんと酒蔵に連絡する必要がある。

 

 その日だけ会う友人先輩もいる。楽しみにしてくれている友もある。出来れば今年も余り寒くなくて、好い場所が取れればいいなあ、と思っている。
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2020年1月10日 (金)

『芥川竜之介氏を弔う』(『鏡花随筆集』から)

 玲瓏、明透(めいてつ)、その文、その質、名玉山海を照らせる君よ。溽暑蒸濁の夏を背きて、冷々然として独り涼しく逝きたまひぬ。倏忽(たちまち)にして巨星天に在り。光を翰林に曳きて永久(とこしなえ)に消えず。然りとは雖も、生前手をとりて親しかりし時だに、その容(かたち)を見るに飽かず、その声を聞くをたらずとせし、われら、君なき今を奈何せむ。おもひ秋深く、露は涙の如し。月を見て、面影に代ゆべくは、誰かまた哀別離苦を言ふものぞ。高き霊よ、須臾(しばらく)の間も還れ、地に。君にあこがるるもの、愛らしく賢き遺児たちと、温優貞淑なる令夫人とのみにあらざるなり。

 

 辞(ことば)つたなきを羞ぢつつ、謹で微衷をのぶ。

 

 

 こういう美文をすらすらと書ける素養にいつも感服する。
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吉田昌志編『鏡花随筆集』(岩波文庫)

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 岩波書店版の『泉鏡花全集』の中から選んで編纂された随筆集。2013年発行。少しずつ味わって読み進めてきたが、ようやく読み終わった。新しく出版されたものだが、原文を新仮名遣いに直していないことが手柄だと思う。原文の味わいやその文章のリズムを味わうためには当然の判断であろう。

 

 注釈がふんだんにあるので、高校卒業程度の国語力があれば内容を読み取ることはそれほど困難ではないだろう。とはいえ私はその注釈を叮嚀に拾わずに読んだから、どこまで理解したか心もとない。しかし注釈を見ることで読むリズムが損なわれることの方を惜しんだのだ。

 

 取りあげたい部分は山のようにあるが、たとえば中国の弓の名人、紀昌のことが『術三則』という文章に書かれている。これは中島敦の『名人伝』の話に先行する。解説によれば、中島敦は『泉鏡花の文章』という鏡花を頌する文があるというからその影響があったのだろう。

 

 また、先般鏡花が柳田國男の『遠野物語』を面白く読んだ話を取りあげたが、柳田國男はしばしば泉鏡花宅を訪れていた。深い交流があったようだ。その柳田國男が鏡花を追弔した文章の中に

 

 泉鏡花が去ってしまってから、何だかもう我々には国固有のなつかしいモチーフに、時代と清新の姿を付与することが、出来なくなったような感じがしてならぬ。

 

とある。

 

 明治時代の文章というのを今我々がふつうに読めることがどれほどしあわせか、ということをあらためて思った。そのためには漢字の知識は最低限必要であろう。日本の文化の根幹を破壊するような、漢字の使用の限定の風潮は嘆かわしいかぎりである。国民の素養を最低の水準に押しとどめようとする教育界やマスコミは、根底に国民は愚民でかまわないという傲慢があると見るのは考えすぎか。
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2020年1月 9日 (木)

『一葉の墓』(『鏡花随筆集』より)

 門前に焼団子売る茶店も淋う、川の水も静に、夏は葉柳の茂れる中に、俥、時としては馬車の差置かれたるも、此処ばかりは物寂びたり。樒(しきみ)線香など商ふ家なる、若き女房の姿美しきも、思いなしかあはれなり。或時は藤の花盛なりき。或時は墓に淡雪かかれり。然(さ)る折は汲み来(きた)る閼伽桶(あかおけ)の手向(たむけ)の水も見る見る凍るかとぞ身に沁むなる。亡き樋口一葉が墓は築地本願寺にあり。彼処のあたりに、次手(ついで)あるよりよりに、予(われ)行きて詣づることあり。

 

 寺号多く、寺々に附属の卵塔場(らんとうば・墓場のこと)少なからざれば、初めて行きし時は、寺内なる直参堂といふにて聞きぬ。同一(おなじ)心にて、又異なる墓たづぬるも多しと覚しく、その直参堂には、肩衣かけたる翁、頭(つむり)も刷立のうら若き僧、白木の机に相対して帳面を控え居り、訪ふ人には教えくるる。

 

 花屋もまた持場ありと見ゆ。直参堂附属の墓に詣づるものの仕度するは、裏門を出でて右手の方、墓地に赴く細道の角なる店なり。藤の棚庭にあり。

 

 声懸くれば女房立出でて、いかなるをと問ふ。桶にはささやかなると、稍(やや)葉の密(こまや)かなると区別して並べ置く、なかんづくその大(おおい)なるをとて求むるも、あはれ、亡き人の為には何かせむ。

 

 線香をともに買ひ、此処にて口火を点じたり。両の手に提げて出づれば、素跣足(すはだし)の小童、遠くより認めてちよこちよこと駈け来り、前に立ちて案内しつつ、やがて浅き井戸の水を汲み来る。さて、小さき手して、かひがひしく碑(しるし)を清め、花立を洗ひ、台石に注ぎ果つ。冬といはず春といはず、それもこれも樒の葉残らず乾(から)びて横に倒れ、斜になり、仰向けにしをれて見る影もあらず、月夜に葛の葉の裏見る心地す。

 

 目立たざる碑(いしぶみ)に、先祖代々と正面に記して、横に、智相院釈妙葉信女と刻みたるが、亡き人のその名なりとぞ。

 

 唯視(とみ)たるのみ、別にいふべき言葉もなし。さりながら青苔の下に霊なきにしもあらずと覚ゆ。余りはかなげなれば、ふり返る彼方の墓に、美しき小提灯の灯(ひとも)したるがそなえありて、その薄暗がりしかなたに、蠟燭のまたたく見えて、見好げなれば、いざ然るものあらばとて、この辺に売る家ありやと、傍なる小童に尋ねしに、無し、あれなるは特に下町辺の者の何処かよりか持て来りて、手向けて、今しがた帰りし、と謂いぬ。去年(こぞ)の秋のはじめなりき。記すもよしなき事かな、漫歩(そぞろある)きのすさみなるを。
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立川昭二『年をとって、初めてわかること』(新潮選書)

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 文学評論集だが、老人をテーマにしている。小説ばかりではなく、詩や俳句、和歌もたくさん収められている。年をとれば誰でも容色が衰え、身体は不自由になり、病気になることも多い。生老病死の苦の多くが老化とともに襲ってくる。そう考えれば老いはどうしても悲観的に捉えがちである。

 

 それをあるがままに受け入れて、どうしたら前向きに生きる生き方を生きられるか、それを考えるためのヒントがふんだんに盛り込まれている。ただし老醜のなかの、目を背けたくなる部分をまず直視して、それを乗り越えなければならない。年寄りというのは欲望に恬淡であるとは限らない。却ってさまざまな欲望がむき出しになって、それを自制することが困難になる場合も多いものである。それが作家自身の実感をデフォルメしたかたちで作品に表現されたものがたくさん紹介されている。

 

 特に性的なものが繰り返し紹介されている。機能的には衰えても、性的な欲望はときに昂進することもあるのは、私も実感するところなので身につまされる。性的なことと云うのは生命そのものでもあるから、生命の終わりにそれにこだわるのはある意味で当然なのかも知れない。

 

 それはそれとして、老いがつらく苦しく寂しいものばかりであるように思われるかも知れないが、そうではない。ある意味で気楽で案外楽しいものであることも老人になってはじめて実感するものである。それは世の中や自然が年とともによく見えるようになるからである。知らなかったことを知り、解らなかったことが解るようになる。そのたのしみは年をとって初めてわかることである。小さなこどもとの心の交流も老人の能力であり、楽しみでもあるだろう。

 

 ほかに介護や看取りについてもさまざまな作品が取りあげられている。それらは作者の実体験にもとづくものがほとんどだから、その覚悟、その苦労に対する対処、生きざまには勇気づけられる。

 

 年をとることを前向きに受け入れて生きていこう。
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2020年1月 8日 (水)

松本健一『三島由紀夫と司馬遼太郎』(新潮選書)

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 再読。松本健一は評論家で思想家、著作多数。『北一輝論』で世に出たので、いわゆる右翼にシンパシーのある評論家と当初見られていて、そのために司馬遼太郎は彼を無視していた。しかし松本健一は日本の思想全体を俯瞰的に捉えようと試みていたので、その意図を理解した司馬遼太郎はのちに彼を評価するようになる。

 

 ビジュアル版の『街道をゆく』全巻の解説を松本健一が書いているほど司馬遼太郎との交遊もあり、その思想についての深い理解は別格である。

 

 三島由紀夫の思想の、若いころから割腹自殺をとげるまでの変遷を陽明学への心酔とただ捉えるのではなく、さらに孟子の革命思想の影響をそこに見る。陽明学とは何か。思想を行動に移すということ、実践するというのが特徴である。だから朱子学を重んじた徳川幕府は朱子学から派生した陽明学を危険思想として問題視した。

 

 吉田松陰の松下村塾での教えがまさに陽明学で、そこに孟子の、民意を失った為政者は革(あらた)めるべきであるという思想が貼り付いている。思想が絶対視されてそれを根拠に行動が行われるとき、自己の生命は思想に殉じることを厭わないことになる。

 

 司馬遼太郎は思想が行動に転ずることを最も嫌うものである。教条主義、原理主義の怖さを人一倍感じていた。だから三島由紀夫の市ヶ谷での自決を激しく批判したのである。

 

 二人の思想的側面を評論していくことが、昭和という時代を語ることになり、そしてさらに背景となった明治という時代、さらに日本人の思想的変遷にまで展開されていく。

 

 三島由紀夫は何に殉じたのか。その殉じた対象について司馬遼太郎はかたくなに語ろうとしなかった。それは天皇である。『街道をゆく』全43巻にほとんど天皇に関する言及がないこと、『坂の上の雲』にも天皇についての記述がほとんどないという松本健一の指摘は鋭い。 

 

 啓示を受ける部分がたくさんある名著である。松本健一の本をもっと読んで見たいが、のめり込むと他の本が読めなくなりそうなので暫く我慢することにする。
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『遠野の奇聞』

 泉鏡花随筆集を読んでいたら、『遠野の奇聞』という一文に出会った。泉鏡花自身が遠野へ行った話かと思って読み始めたら、以下の文章が冒頭に記されていた。

 

近ごろ近ごろおもしろき書を読みたり。柳田國男氏の著、遠野物語なり。拝読三読、尚ほ飽くることを知らず。この書は、陸中国上閉伊郡(かみへいごおり)に遠野郷とて、山深き幽僻地の、伝説異聞怪談を、土地の人の談話したるを、氏が筆にて活かし描けるなり。敢て活かし描けるものと言ふ。然らざれば、妖怪変化(へんげ)豈(あに)得て斯(かく)の如く活躍せんや。

 

 泉鏡花は伝説異聞怪談が好きだから、『遠野物語』を面白く読んだようである。このあとにいくつかの文章を引用して感想を述べ、このような話は東京にもたくさんあるはずだと述べたあと、さらに自分の知る類似の話もいくつか披露している。この泉鏡花の文章は明治四十三年に雑誌に掲載されたものだから、『遠野物語』はそれより前に出版されているということである。調べたら明治四十三年出版であった。出てすぐ読んだようだ。

 

 たまたまいま柳田國男の『山の人生』という文章を興味深く面白く読んでいて、ここにも不思議な話、凄惨な話が数多く書かれている。私も泉鏡花同様こういう話が大好きだ。

 

 これらの話はどうやって伝えられ続けたのか。

 

 読み終わったばかりの本に立川昭二『年をとって、初めてわかること』(新潮選書)という本があって、老人になることについてさまざまな文学作品を取りあげながら論じている。この本のことはあとで別途このブログに書くつもりだが、この中で老人と孫、老人とこどもの関係、心の交流について書かれていて、私自身も祖父の布団に潜り込んで昔話を聞かせてもらったことを思い出していた。祖父のにおいはいまなら加齢臭などと嫌な臭いのように云うが、こどもにとっては心地よいものだったと記憶する。

 

 昔ならいろり端、そして私のように寝床のなか、で繰り返し口伝えに年寄りから伝えられたのである。恐い話も多いのに、何度でもせがんで繰り返し聞いた。それがまたその孫に伝えられていった。

 

 老人と同居する家族が希になって久しい。物語りを聞かせたり、せめて本を読んで聞かせる親がどれほどいるだろうか。核家族化によってわれわれは何を失ったのか。そんなことを考えた。
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2020年1月 7日 (火)

足が温かいと

 寝付きが悪かったり、眠っても夜中に目が醒めて眠れなくなる日々が何年か続いていたが、不思議なことにこの頃はよく眠れる日が増えた。どうも足の冷えがなくなったことと関係しているようである。

 

 私は靴下が嫌いで冬でも靴下を履くことがない。靴下を履くのは靴で出掛ける時だけである。いまでもそうである。それが寝床で足が冷たく感じることが多くなっていた。布団のなかに暫くいてもちっとも温かくならない。若いころは足がほてって冬でも布団の外へ足を出さないと眠れなかったのとは大違いである。

 

 それが不思議なことに最近すぐに足が温かくなるようになった。足が温かくなるとすぐ眠れる。これは悩み事を寝床で思案していてもそうである。どうしてそうなったのか分からない。お陰で医師に処方して貰っている睡眠薬はほとんど飲まずにすんでいる。ずっとそうならありがたい。

 

ところで話は全く変わるが、暮れにNHKで放映していた『ストレンジャー 上海の芥川龍之介』というドラマを録画しておいて、正月になって酩酊しながら観た。これが芥川龍之介の『上海游記 江南游記』という紀行文を下敷きにしていることは明らかで、大好きな本なので何度も読んでいるから、楽しみにしていた。

 

 酩酊しながらであるから細部については勘違いもあるであろうけれど、全く不満足な出来に感じた。芥川龍之介役の松田龍平にはそれほど不満はない。あんなものだろう。しかし全体は私の原作から作り上げたイメージとはまるで違うものになっていた。脚本は渡辺あやという人らしいが、それなりの作品を書いていて特におかしな人ではないらしい。

 

 当時の上海についての考察も、原作の登場人物のキャラクターもどう読んだらあんなふうにイメージできるのか不思議である。芥川をエスコートする岩田にしても、彼は薩摩人である。中国人に対して差別的であるけれども、あんな狡猾そうな小賢しげな日本人では絶対ない。

 

 もしあのドラマを観て、原作をつまらないものだろうと勘違いした人がいたなら、ぜひ読んで見てほしい。あれでは芥川龍之介が可哀想である。

 

 ここまでこのドラマを酷評したのは、私が酩酊しながら観たから勘違いしているかも知れない。しかし絶対にもう一度観たいとは思わない。期待して観ただけに腹が立っている。
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志賀直哉『山形』

 今年から棚の文学全集を読破することに決めたのだが、第一巻から一冊ずつ片付けるような読み方だとたぶん挫折すると思うので、自分なりの、読み飽きないための読む順番のルールを定めた。ところが第四番目にあたったのが島崎藤村の『夜明け前』である。これはおそろしく長い。読め始めているのだが、片手間に読んでいると読了には最低でもひと月くらいかかりそうだ。だから飛ばして志賀直哉に移ったら、最初が『暗夜行路』である。これは先日読んだばかり。

 

 というわけで代わりに短篇のこの『山形』を読んだ。

 

 主人公は順吉と呼ばれているから、長篇の主人公として想定された『大津順吉』のことで、もちろん志賀直哉自身がモデルである。のちにそれを下敷きにして書き直したのが『暗夜行路』であることはよく知られている(父との諍いのなかの視点で書かれたのが『大津順吉』で、『和解』に書かれているような、父との和解後に書き直されたのが『暗夜行路』)。

 

 足尾銅山の公害問題で父親と激しい諍いをした主人公が、久しぶりに父の呼びかけで宮城県の父の仕事先に同行を誘われる。そのたびについて、そしてそのあと山形の、歳の近い叔父を訪ねる話である。

 

 足尾銅山は志賀直哉の祖父が古川市兵衛(古河鉱業の創業者)に委託した事業であることは以前書いた。もともと志賀直道(志賀直哉の祖父)は相馬藩の家令で、相馬藩の資本をこの足尾銅山に投資したのである。

 

 青年で純粋だった志賀直哉が足尾銅山の公害問題で被害者の側に立ち、父を非難したのは自然なことであろう。しかしそういういきさつがあったとはいえ、順吉は仲違いしていた父からの誘いをうれしく思ってその誘いに乗る。親子であるから当然の気持であろう。

 

 今回は宮城県の小さな銅山の視察の同行である。宿にしたのが鳴子温泉で、視察が終わったあとに鬼首温泉の間欠泉を見物に行ったりしていて、私のいつも行くあたりの地名がいろいろ出て来てなんとなく嬉しい。順吉はそのあと、山形に住む叔父を訪ねるように父に勧められるのである。

 

 鳴子から人力車で峠を越えて新庄へ、そこから列車で山形へ。まだ陸羽東線は走っていなかったと見える。

 

 山形の叔父に会って今回の父の誘いの目的が判明する。父や叔父が自分を心配してくれるのは頭で理解できるけれど、それは主人公にとっては不愉快なことであった。こうして父との和解はまだまだ先のことになるのである。
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2020年1月 6日 (月)

正月で乱れたリズムを立て直す

 日常と云っても、毎日が日曜日の日々なのであるが、それでも正月は別である。日常というものは、すべてをあるがままに、したくないことはせずに、したいことだけをしていれば破綻してしまう。それなりに枠を決めている。たとえば酒は夕方五時より前には飲まない。ほかにもいくつか自分なりにルールを決めている。

 

 正月はそれらをすべて取り払い、朝から酒を飲み、したくないことはしない。その結果、正月五日ともなると酒瓶はたくさん転がり、家のなかは雑然とし、体重は数キロ増えると云う事になる。

 

 本日六日は多くの現役の方々が出勤して仕事を始めているはずだ。それを思えば何の役にも立たない自分もスイッチを入れ直さなければならない。せっかく暮れに磨いたのに雑然としはじめた台所まわりを掃除し直し、部屋を整理する。読み散らかした本も棚に戻す。そうしてなんとなくさっぱりした。

 

 閉め切った窓から射す日は温かい。一汗かいたあとにこたつでぼんやりしていたら、いつの間にかうたた寝していた。なんだか日向の猫みたいな気分だ。

 

 しかしこの程度ではすまない。二三日酒を抜いて体重も落とさなければ・・・。今月中旬には長年別居中の戸籍上の妻のことで生じている懸案に対処するため行動を起こさなければならない。いままでの日常以上に少しテンションを上げていく必要があるのだ。それに今年はたぶん春から端役とはいえマンションの役の順番が来るはずで、もちろん引き受けることになる(断る理由がない)。一年ですむかどうか分からないが、公私ともにちょっとだけ忙しくなる。
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徳田秋声『町の踊り場』

 徳田秋声は明治四年、金沢に生まれた。泉鏡花も同じく金沢生まれで、彼は明治六年生まれである。さらに室生犀星も金沢生まれ、ただし彼は明治二十二年生まれだから少し年が離れている。この三人の列んで立つ銅像が金沢城周縁の木立のなかの散策路のどこかにある。

 

『町の踊り場』はその金沢に住む姉の危篤の知らせに東京から急いだ私(徳田秋声本人であろう)が、着ていく服に悩んだことを語るところからこの短篇は始められる。死んだとなれば葬儀用の礼服が必要で、あらためて取りに帰るわけにはいかないからだ。案の定金沢に着いた時、迎えの者に姉が亡くなったことを知らされる。列車がどのあたりを走っていた時だろうか、と考えたりする。

 

 姉の通夜と葬儀の様子が語られるなかで、親類一同の顔ぶれ、それぞれの消息、すでにいない自分の父の一族というものの不思議さに思いを馳せる。長兄と死んだ姉は父の先妻の子で、自分と妹は後妻の子である。七十で亡くなった姉は前年夫に先立たれている。その姉に幼児だった自分が背に負ぶわれた時のぬくもりとその匂いの記憶がよみがえったりする。美しい姉であった。

 

 なんとなく所在のない私はそんな時に鮎を食べに出掛けたりする。

 

 通夜が終わり湯灌が家族の手で行われ、火葬がすんだあと、彼はふらりと『踊り場』に独りで出掛ける。踊り場とはダンスホールのことのようである。どうしてそういう心境になるのか、そこで出会った女性たちと踊ったりしたあと、私は憂鬱な気持ちが晴れた気持になり、兄の家に帰って青蚊帳の中で甘い眠りに落ちる。
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2020年1月 5日 (日)

『川端康成と三島由紀夫』を観る

 宮本亜門が、師弟である川端康成と三島由紀夫の相次ぐ自死について、その情況をたどるというBSNHKの番組を観た。三島由紀夫は大正14年生まれ(私の母と同年)である。彼が1968年に結成した盾の会の隊員と共に自決した1970年に、私はちょうど20歳だった。彼の作品である『仮面の告白』や『金閣寺』を読んだばかりのころで、その切腹自殺と新聞に掲載された彼の生首写真には大きな衝撃をうけた。

 

 三島由紀夫が死んで二年後、川端康成はガス自殺する。

 

 川端康成はノーベル文学賞受賞(1968年)作家だが、その選考に関して三島由紀夫と確執があったとされる。三島由紀夫も有力候補だった。事実は不明だが、三島由紀夫とその家族が川端康成を深く恨んでいたというのは確かなようだ。そのことを家族ぐるみで三島由紀夫と親交のあった村松英子が語っている。それは川端康成に伝わっていたのだろうか。

 

 川端康成は小説が書けなくなったことに悩み、不眠症になり、睡眠薬中毒の果てに発作的に自殺したと云われるが、三島由紀夫の死はその悩みに関係していただろうか。番組ではそれを匂わせながら明確には言及していない。

 

 瀬戸内寂聴が二人をよく知る人物として宮本亜門の質問に答えている。二人の容子については彼女の語る通りなのだろうと思うが、二人が何を考え、何を悩んでいたのかは彼女の想像するものであって、実際は分からない。

 

 たまたま読み始めたばかりの松本健一『三島由紀夫と司馬遼太郎』(新潮選書)という本の冒頭に、三島由紀夫の自決について司馬遼太郎が毎日新聞に寄せた文章が引用されている。普段の司馬遼太郎では考えられないような嫌悪感にみちた文章である。

 

 三島由紀夫の自決は当時さまざまな反響を呼んだ。その後も多くの人がそれについて考え、自分なりの解釈と批評を繰り返してきた。それはそのまま語る者の自己表明となっている。だからこそ松本健一は本の冒頭に司馬遼太郎の文章をあげたのだろう。

 

 私はそこまで考えたことはなかったけれど、いつか考えるためのきっかけを、今回与えられた気がしている。
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泉鏡花随筆集から『露宿』と『十六夜』

 岩波文庫版のこの随筆集は厚い(ページ数が多い)上に文語体旧仮名遣いなのでスイスイと読むというわけにはいかない。旧漢字でもあるしその上当て字も多いけれど、そちらはルビ付きなので問題ない。しかしこれが現代文新仮名遣いにされたら、泉鏡花らしい味わいや文章のリズムを大いに損なうことであろう。

 

 今回取りあげた『露宿』と『十六夜』という二つの文章は、1923年9月の話である。1923年とは大正12年、関東大震災のあった年である。『露宿』は震災のあった9月一日以後、二日から三日にかけての様子を描いている。泉鏡花が住んでいた借家は高台にあり倒壊には遭わなかったが、眼下に火の手が見えるなか、風向きによって右往左往する。あわやというところで最後は事なきを得たのは幸いであった。

 

 生々しい実体験の恐怖、さらに焼け出された人の話を聞き取ったり、亡くなった人の話、燃え上がる火の粉が宙を飛び、彼方に引火する様子などがリアルに描かれている。震災の全体ではなく、自分が見たり聞いたりしたことだけが書かれているので一層迫力がある。露宿とはもちろん野宿のことである。余震がしきりに起きるので、家のなかは危険だったのだ。

 

 さらにそのあとの被害の様子が明らかになってからの話が『十六夜』にまとめてある。人々が助け合う様子、焼け出されながらも懸命に人のために働く人たち、遠方からわざわざ鏡花の元に見舞いに訪れる人々の姿に、心を衝つものがある。泉鏡花が普段書く内容とはまるで違うことが却って真実を伝えているような気がする。この本をようやく半分読んだ。
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2020年1月 4日 (土)

谷崎潤一郎『春琴抄』

 この作品は若い時に読んだ記憶があるけれど、今度読み直していったい前回はなにを読んでいたのだろうかと思った。物語は作者が春琴の墓を訪ねる場面から始まる。

 

 春琴の本名は鵙屋(もずや)琴、鵙屋とは大店の薬種商である。春琴は師匠から貰った号であり、明治十九年に行年五十八歳で没している。大阪下寺町にある鵙屋の菩提寺を訪ねた作者は、そこに春琴の墓を見ることができなかったが、その寺から坂を登り、生國魂神社へ至る途中の高台にある墓を教えてもらう。そこに春琴の墓、そして横に半分ほどの大きさの温井検校(佐助)の墓がひっそりと立っていた。本当に春琴の墓があるのか、作者の創作なのか、私には分からないし、分からないで特にかまわない。

 

 昨年ちょうどこの生國魂神社から天王寺に至る寺町大地を歩いたので、書かれている風景に見覚えのある心地がした。こういうことが物語りを読む上でずいぶん大事な経験だと実感する。

 

 春琴と佐助の物語は恋愛物語の極地のような話ともいえ、そのストーリーばかりを追って記憶していた。それはそれで間違いはないのだけれど、どうして佐助が自ら盲目になったのか、そして盲目になることで至福を得たということがどういうことなのか、それを今回読み直してようやく得心した。

 

 盲人が出て来る話を読んでいるとつい自分も目が見えないような心地がするし、別の登場人物まで目が見えないかのように感じてしまう。その不自由さはいかほどかと思う。音曲という世界だから目が不自由でも、いや、不自由だから初めて感じられる世界があるのかも知れない。自分はこうして本を読んだり映画を観たり写真を撮りに旅に出たりするから、目が不自由になることなど怖ろしいことだと思う。

 

 愛の究極の形は自己犠牲であり、その自己犠牲が相手に受け入れた時に至福が訪れる。その至福の境地は相手をも共に高みに導く。視力を失うことで新しいものが見えるようになるという寓意は、物語だからこそといえるけれど、この噺を聞いた天竜寺の和尚が、「転瞬の間に内外(ないげ)を断じ醜を美に回した禅機を賞し達人の所為に庶幾(ちか)し」と云ったというのが結びである。これも創作だろうか。
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山本夏彦&久世光彦『昭和恋々』(清流出版)

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 失われたものは戻らない。「あのころ、こんな暮らしがあった」という惹句が添えられたこの本は写真コラム集と呼ぶものか。前半は山本夏彦が、中盤は久世光彦が、昭和の暮らしをさまざまな事物について書いたコラムに写真が添えられている。そして最後は二人の対談集となっている。

 

 昭和と云っても昭和10年代20年代のものが多い。蚊帳や産婆、足踏みミシンや駄菓子屋など、すでにいま見ることができないか、ほとんど見られないものもある。

 

 久世光彦は『寺内貫太郎一家』をはじめとして、向田邦子の作品を多くドラマ化したことで知られるTBSのプロデューサーであり、著作も多い。また山本夏彦は向田邦子を高く評価していた。辛口の批評家の彼としてはめったにないことである。

 

 ここに取りあげられたものは、私が子どもの頃にはあって、いまはあまり見ないものばかりである。それを懐古的に見ることができる世代といっていい。それも遠からず失われる。ここにあげられた事物は、われわれの思い出とともに失われていくのだ。世の中はそうやって変化していく。

 

 久世光彦が時代考証についてのクレームで苦労したことを書いている。すでに失われたものを再現してドラマのシーンに置くことはほとんど物理的にも経済的にも不可能なのだけれど、それが時代考証的に間違っている、と延々と抗議する老人が必ずいるのだという。いっていることは事実であるから反論ができない。ただ拝聴するしかない。その老人の心情について、「私はお前と違ってその時代のことを知っている」という優越感を感じたと書いている。なんだか分かる気がする。抗議する者の、過去への郷愁を感じ取る久世光彦に敬意を感じた。
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2020年1月 3日 (金)

中村真一郎『この百年の小説』(新潮選書)

 安岡章太郎の評論随筆を読んだのがきっかけになって文芸評論を読む気分になっている。棚にあったので引っ張り出したこの本も、大昔に読んだ(昭和49年発行)はずなのだが、ほとんどおぼえていない。かすかに私の好みと違う視点であったことだけが記憶に残っている。

 
 この百年といっても昭和49年は1974年であるから、明治から戦後にかけてのたぶん70年間くらいの文芸作品について論じられている。明治の、口語文がまだ未完成の時代の作品はそれ以後のものと同列に論じることはできないから、どうしても漱石や鴎外以後となる。だからとりあげられた多くの作品が大正以後と云う事になるからだ。

 

「青春」、「恋愛」、「老年」、「少年」、「真理」、「感覚」、「家庭」、「社会」、「歴史」、「滑稽」、「西洋」という11のテーマに分けて著者の考える関連作品を取りあげ、時代背景と作家の思いを論じている。

 

 著者の中村真一郎の視点は戦後評論家の主流だった、社会主義的進歩史観のように思う。或いは私の思い違いか。そのような臭気のない安岡章太郎や江藤淳になじんでいるので、反発を感じる部分もあるが、今回はそれを受け流しながらとりあげられた作品について素直に意見を拝読した。

 

 こういう評論を読むと、未読のものはもちろん、既読のものも含めていくつかの作品を読んで見たくなる。

 

 今年の読書目標は棚に飾ってある小学館版の『昭和文学全集』読破なので、それで出あうことのできる作品もあるはずだ。各巻三段組千ページを超えるので、作品は長短合わせて軽く千を越えるはずである。毎日一作ずつ読破しても三年以上かかるだろうか。

 

 この全集を読み終えて、もう一度この評論集を読み直してみたらどんな感想を持つのか、それが楽しみだ。
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2020年1月 2日 (木)

どん姫と酒盛り

 午後、娘のどん姫がやって来て、今晩は泊まりである。旦那は仕事で来られない。そういう仕事だから仕方がない。本日が本格的な今年の正月の酒盛りだ。昨日、元旦は独りだけだったから、出したのは一部だけだったおせち料理も、今日は用意したものをすべてテーブルに並べた。

 

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 今日は暖かかくて好い日だ。これから今日だけは飲みすぎ食べ過ぎ酩酊を自分に許可する。乾杯。
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蕎麦の話

 新日本紀行で蕎麦がテーマの番組を放映していた。蕎麦については思い入れのある人も多い。しかしあまりに思い入れがありすぎて、講釈をするばかりでなくて、蕎麦はタレにつけずに水だけで香りをまず楽しめ、などとまでいわれると放っておいてくれといいたくなる。

 

 数年前、兄貴分の人と大阪の親友と三人で山形県の肘折温泉に泊まった。翌日肘折温泉から北上して私の父のふるさとの角川村(現在は最上郡戸沢村角川)へ向かったとき、峠を越えたら目の前は見わたすかぎり白い花が一面に咲く蕎麦畑で、親友が歓声を上げた。親友は蕎麦好きで自分で蕎麦を打つ。会社在職時代は年末の打ち上げには彼がうつ蕎麦を毎年皆にふるまうのが恒例になっていた。

 

 彼の目に映った蕎麦畑はどうだったのだろうか。蕎麦というと彼のその時の歓声を思いだす。

 

 ところで私の父はあまり蕎麦が好きではなかった。子供の時には蕎麦を飽きるほど喰ったらしく、そばがきなど特にうんざりだったようだ。蕎麦が味のよしあしでなくて貧しさの象徴として記憶に染みついてしまったのだろう。それが彼を中学に入ってすぐふるさとからの出奔を促したようだ。さいわい東京で学生生活をしていた長兄の元に転がり込んで苦学して中学に中途で入り、専門学校に進むことができた。その頃のことの思いをついに直接聞くことがないままに終わったことを今は残念に思っている。
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2020年1月 1日 (水)

音楽を堪能する

 大晦日は音楽を堪能した。録画してあったカサンドラ・ウィルソンやブライアン・ウィルソンのライブをAVアンプをちょっと大きめの音量にして楽しんだ。この二人について私はあまり知らない。同じウィルソンだけれど全く関係なさそうだ(何しろアメリカ人ではあるが、黒人と白人で人種も違う)。往年のビッグアーティストであるらしい。しかしその音楽性の高さ、声量をともなう迫力は強烈である。参加するアーティストたちはおじさんおばさん(おじいさんとおばあさんか)はとても楽しそうに全力で演奏したり歌っている。

 

 日本で往年のアーティストが出て来ると、その衰えは目をおおうような場合が多くて残念なことの方が多いのとはまるで違う。日本の場合はそもそも声が出ていないから、すでにアーティストということはできないことが多い。老醜をさらしていることに本人は気がついていないか、気がついていてもお金のために出ているのだろうが、それはもうそもそもアーティストの資格がない。

 

 そういう意味では現在の井上陽水や竹内マリアの特集を観たけれど、そのアーティストとしての矜持と音楽性の高さは別格だった。何しろ声がちゃんと出ている。声量がなくなり、高音が出なくなったらもう歌手という看板を下ろすのが当然なのに名前だけで出ている元歌手を見ると、その老醜に寒気がする。それに拍手喝采することの何という残酷さ。

 

 まさか大晦日を西洋の音楽を聴きながら過ごすことになるとは思わなかった。とはいえそれなりにしみじみとした大晦日であった。

 

 大晦日、娘のどん姫が昼過ぎに来て、息子の送ってくれたビールで乾杯し、ワインと日本酒を附き合ってくれて、また二日にくるからねえ、といって夕方遅くに旦那のところへ帰っていった。二日の晩は泊まるというから腕によりをかけた料理で歓待することにしようと思う。
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明けましておめでとうございます

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明けましておめでとうございます。
昨年良いことがあった人、残念なことがあった人、さまざまだったことと思います。
生きていれば色々なことがありますし、世のなかには必ず波風があります。
今年が明るく平和であって欲しいと思いますが、なにがあるか分かりません。
いいことは大いに喜び、残念なことは何とか受け流して生きられれば、それでしあわせと考えるようにしたいと思っています。

 

今年も頭に浮かぶうたかたのようなものを書き続けるつもりですので、相変わりませずよろしくお願いします。
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