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2020年1月22日 (水)

奇妙な人

 古本屋は別として、ひと月以上本屋に出掛けていない。私としてはいままでにないことである。お陰でこのところ本代が余りかかっていないことは有難い。それでもいま興味の集中している分野の本を買いたい気持が収まらなくなって、名古屋駅あたりへ出掛けることにした。

 

 最寄りの駅についてホームに上がると、ベンチで奇妙な動作をしている人を見た。首を左右前後に大きく振りながら両手を激しく上下に動かしている。マスクをしてツバのあるニット帽を深くかぶっているけれど、若い女性のようだ。ときどき声を上げる。三つほどあるベンチは三人掛けで、ほかのベンチは三人ずつ坐っているのにその席には彼女しかいない。

 

 少し早めについたので、私は空いているそのベンチの彼女の反対側に座った。じろじろ見るのは失礼なのでそれとなく様子を窺う。暫く動いたあとにくたびれたのだろう、ため息をついて動作は止んだ。同時に彼女は一人笑いをした。ちょっと嬉しそうな笑い声だ。一息入れたらまた先ほどの動作が再開された。あきらかに何かの健康のための運動ではないようだ。

 

 やがて電車がホームに入ってくると彼女は立ち上がり列車に乗り込んだ。私は別の車両に乗ったので、彼女がそれからどうしたか知らない。

 

 半月ほど前、その同じホームに若い男が立っていた。私は彼の少し後ろにならぶでもなく立っていたのだが、とつぜん彼は後ずさりして私にあたりそうになった。そうして「この駅は特急も急行も停まらない。だからなかなか電車が来ない」という。私に話しかけたのか独り言なのか判然としないので、わたしも「ああ」、とも「うう」ともつかない言葉を返した。

 

 この若い男は何度も見ている。反対側のホームで奇声を上げていたこともあった。その日は機嫌が良さそうであった。

 

 彼女や彼にとって世界がどう見えているのか分からない。たまたま平安でしあわせそうに見えたけれど、そうでないこともあるだろう。彼らとまわりがどういう関係を保つのが互いにとって最善なのか、ちょっとだけ想像したりした。
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コメント

おはようございます
その方には甚だ失礼なことを申し上げますが、多分心の病を病まれている方でしょう。
医療はこういう方にこそ手を伸ばして、最良最善の治療をしなくてはならないのですが、心の病の場合、その人が病の結果犯罪行為をしたり、この方のご家族の申請があるか、ご本人の入院申請がない限り医療機関は動けないのが実情です。
なまじ心のやまいは自覚症状がなかったり(ある人もいますが)体に病状が出ないので厄介なものです。
では、
shinzei拝

shinzei様
ご指摘の通りだと思います。
まわりの人もその人が理解不能だから遠巻きにして近寄らないのでしょう。
ただ、本人は機嫌が良ければ特に問題も無く、しあわせそうに見えたということを言いたかったのです。
彼らのような人を社会が受け入れるのはむつかしいことですが、それが可能な社会というのがあっても良いような気がしました。
もちろん具合の悪い時はそれなりの対応策が用意されている必要がありますが。
いまはそのどちらも不十分で、不十分はこの場合ないに等しい結果になることが多いようです。

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