川端康成『伊豆の踊子』
全集の読破の順番でこの作品があたった。二三年前に再読したばかりだけれど、短いからもう一度読み直した。やはりいい作品は何度読んでもいい。前回読んだ時は、どうしていい若い男がこう簡単に涙をこぼして泣くのだろうと思ったりしたけれど、今回はその気持ちが分かったような気がする。
川端康成は医師の長男として生まれた。ほかに兄弟として姉が一人いた。父親は医師であるけれど病弱で、彼が生まれてものごころがつく前に死去、彼は祖父母にあずけられる。父の死因は結核らしく、母もすでに感染していたためである。母もその後一年ほどで死去してしまう。さらに彼を溺愛していた祖母も彼が小学校に上がったばかりの頃に死去。姉は死んだ母の妹にあずけられ、彼は祖父と二人暮らしとなる。その姉も病死し、彼が中学生の時に祖父も死んでしまって彼は全くの孤児となったのである。
作品の中にこんな文章がある。旅芸人の娘たちが彼のことを噂しているのが聞こえる場面である。
「いい人ね。」
「それはそう、いい人らしい。」
「ほんとにいい人ね。いい人はいい人ね。」
この物言いは単純で明けっ放しな響きを持っていた。感情の傾きをぽいと幼く投げ出して見せた声だった。私自身にも自分をいい人だと素直に感じることが出来た。晴れ晴れと眼を上げて明るい山々を眺めた。瞼の裏が微かに痛んだ。二十歳の私は自分の性質が孤児根性で歪んでいると厳しい反省を重ね、その息苦しい憂鬱に堪え切れないで伊豆の旅に出て来ているのだった。だから、世間尋常の意味で自分がいい人に見えることは、言いようなく有難いのだった。山々の明るいのは下田の海が近づいたからだった。私はさっきの竹の杖を振り回しながら秋草の頭を切った。
途中、ところどころの村の入口に立札があった。
---物乞い旅芸人村に入るべからず。
この物語は何度も映画化されているが、私の観たのは大好きな山口百恵が踊り子を演じたものだ。小説にはないけれど、踊り子が便りのなくなった友人を探し訪ねて、物置でぼろきれのような扱いを受けて死にかけている友人を発見するシーンがある。その薄幸の少女を石川さゆりが演じていた。その石川さゆりも今年は大河ドラマで明智光秀の母親役を演じている。
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