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2020年1月13日 (月)

『同時代を読む 1981-'85』(朝日新聞社)

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 母が亡くなったのは2015年だから、この本を再読したのはその少し前だった。私が読みかけの本を実家に行くときに持参し、読了したものを置いたままにした本が長い間にたくさんたまっていて、晩年の母の介護をした二年間にそれらを読み直した。何しろ介護といってもほとんどがそばにいるだけだったから、時間はいくらでもあった。

 

 若い時に読んだ本も多い。若い時は今以上に知識もなく、必然的に粗雑な読み方をしていた。それでもそのザル頭に引っかかって残っているものも無いわけでは無く、多少は深読みできるようになっていた。母の死後、ほとんどの本は弟に処分して貰ったが、二三十冊だけ持ち帰り、押し入れに放り込んでいた。

 

 書評や批評本は面白くて好きである。読める本の量には限度があるから、どんな本が面白そうか探すのに参考になるし、読みどころを教えてもらうことも出来る。自分がすでに読んだ本だと、自分がどれだけ雑な読み方をしていたかを思い知らせてくれたりする。書評家と意見が違ったりすると自分のオリジナリティを感じてうれしかったりする。私の無知や勘違いからのことも多いが。

 

 スペースの問題もあり、本をつぎつぎに処分しているが、書評本はなかなか捨てられない。手にとるとつい読んでしまう。だからこの『同時代を読む 1981-'85』も三回目を読むことになった。この本は週刊朝日の書評コーナーに参画している面々が半年ごとの覆面対談を中心にまとめられている。ただ、冒頭はその面々が覆面をつけずに五年間を概観して論じている。

 

 ここでは文芸作品ばかりではなく、社会科学や自然科学、漫画まで含めての本として出版されたものすべてが網羅されている。かなりの辛口で、福田恆存や山本七平などもかなり手厳しく難点を指摘されている。

 

 毎年のフィクション、ノンフィクションのそれぞれのベスト20がリストアップされていて、自分が三十代前半だったその時代がどんな時代だったかも、そこから思いだされたりする。ニューサイエンスや終末論花盛りの時代だった。ライアル・ワトソンやフリッチョフ・カプラーなどの本は私も読んだ。ニューサイエンスからオカルトへの流れがあったことも記憶にある。それはオウム真理教への道にもつながっていたのだ。

 

 NHKのアナウンサーだった鈴木健二の『気くばりのすすめ』などという本がベストセラーになった時代だった。私も読んで同感共感するところもあったが、続編続々編など何冊も出版され、その内容がほとんど変わらずにエピソードまでしばしば同じであることに呆れたものだが、そのことをこの書評でも批判している。

 

 学生時代に太宰治と交遊があったが、彼に金をたかられたことなどをしつこく自慢していて鼻白んだものだ。金田一京助が石川啄木にひたすら金を貢いだことを当然として泣き言をいわず、友情を損なわなかったことを山本夏彦などが紹介しているが、たいへんな違いだと感じたものだ。

 

 たぶん五年ごとにこのように週刊朝日の書評がまとめられて出版されたのではないかと推察されが、アマゾンで調べても古本のリストからみつからないのは残念だ。
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