松本健一『三島由紀夫と司馬遼太郎』(新潮選書)
再読。松本健一は評論家で思想家、著作多数。『北一輝論』で世に出たので、いわゆる右翼にシンパシーのある評論家と当初見られていて、そのために司馬遼太郎は彼を無視していた。しかし松本健一は日本の思想全体を俯瞰的に捉えようと試みていたので、その意図を理解した司馬遼太郎はのちに彼を評価するようになる。
ビジュアル版の『街道をゆく』全巻の解説を松本健一が書いているほど司馬遼太郎との交遊もあり、その思想についての深い理解は別格である。
三島由紀夫の思想の、若いころから割腹自殺をとげるまでの変遷を陽明学への心酔とただ捉えるのではなく、さらに孟子の革命思想の影響をそこに見る。陽明学とは何か。思想を行動に移すということ、実践するというのが特徴である。だから朱子学を重んじた徳川幕府は朱子学から派生した陽明学を危険思想として問題視した。
吉田松陰の松下村塾での教えがまさに陽明学で、そこに孟子の、民意を失った為政者は革(あらた)めるべきであるという思想が貼り付いている。思想が絶対視されてそれを根拠に行動が行われるとき、自己の生命は思想に殉じることを厭わないことになる。
司馬遼太郎は思想が行動に転ずることを最も嫌うものである。教条主義、原理主義の怖さを人一倍感じていた。だから三島由紀夫の市ヶ谷での自決を激しく批判したのである。
二人の思想的側面を評論していくことが、昭和という時代を語ることになり、そしてさらに背景となった明治という時代、さらに日本人の思想的変遷にまで展開されていく。
三島由紀夫は何に殉じたのか。その殉じた対象について司馬遼太郎はかたくなに語ろうとしなかった。それは天皇である。『街道をゆく』全43巻にほとんど天皇に関する言及がないこと、『坂の上の雲』にも天皇についての記述がほとんどないという松本健一の指摘は鋭い。
啓示を受ける部分がたくさんある名著である。松本健一の本をもっと読んで見たいが、のめり込むと他の本が読めなくなりそうなので暫く我慢することにする。
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