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2020年1月10日 (金)

吉田昌志編『鏡花随筆集』(岩波文庫)

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 岩波書店版の『泉鏡花全集』の中から選んで編纂された随筆集。2013年発行。少しずつ味わって読み進めてきたが、ようやく読み終わった。新しく出版されたものだが、原文を新仮名遣いに直していないことが手柄だと思う。原文の味わいやその文章のリズムを味わうためには当然の判断であろう。

 

 注釈がふんだんにあるので、高校卒業程度の国語力があれば内容を読み取ることはそれほど困難ではないだろう。とはいえ私はその注釈を叮嚀に拾わずに読んだから、どこまで理解したか心もとない。しかし注釈を見ることで読むリズムが損なわれることの方を惜しんだのだ。

 

 取りあげたい部分は山のようにあるが、たとえば中国の弓の名人、紀昌のことが『術三則』という文章に書かれている。これは中島敦の『名人伝』の話に先行する。解説によれば、中島敦は『泉鏡花の文章』という鏡花を頌する文があるというからその影響があったのだろう。

 

 また、先般鏡花が柳田國男の『遠野物語』を面白く読んだ話を取りあげたが、柳田國男はしばしば泉鏡花宅を訪れていた。深い交流があったようだ。その柳田國男が鏡花を追弔した文章の中に

 

 泉鏡花が去ってしまってから、何だかもう我々には国固有のなつかしいモチーフに、時代と清新の姿を付与することが、出来なくなったような感じがしてならぬ。

 

とある。

 

 明治時代の文章というのを今我々がふつうに読めることがどれほどしあわせか、ということをあらためて思った。そのためには漢字の知識は最低限必要であろう。日本の文化の根幹を破壊するような、漢字の使用の限定の風潮は嘆かわしいかぎりである。国民の素養を最低の水準に押しとどめようとする教育界やマスコミは、根底に国民は愚民でかまわないという傲慢があると見るのは考えすぎか。
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