『川端康成と三島由紀夫』を観る
宮本亜門が、師弟である川端康成と三島由紀夫の相次ぐ自死について、その情況をたどるというBSNHKの番組を観た。三島由紀夫は大正14年生まれ(私の母と同年)である。彼が1968年に結成した盾の会の隊員と共に自決した1970年に、私はちょうど20歳だった。彼の作品である『仮面の告白』や『金閣寺』を読んだばかりのころで、その切腹自殺と新聞に掲載された彼の生首写真には大きな衝撃をうけた。
三島由紀夫が死んで二年後、川端康成はガス自殺する。
川端康成はノーベル文学賞受賞(1968年)作家だが、その選考に関して三島由紀夫と確執があったとされる。三島由紀夫も有力候補だった。事実は不明だが、三島由紀夫とその家族が川端康成を深く恨んでいたというのは確かなようだ。そのことを家族ぐるみで三島由紀夫と親交のあった村松英子が語っている。それは川端康成に伝わっていたのだろうか。
川端康成は小説が書けなくなったことに悩み、不眠症になり、睡眠薬中毒の果てに発作的に自殺したと云われるが、三島由紀夫の死はその悩みに関係していただろうか。番組ではそれを匂わせながら明確には言及していない。
瀬戸内寂聴が二人をよく知る人物として宮本亜門の質問に答えている。二人の容子については彼女の語る通りなのだろうと思うが、二人が何を考え、何を悩んでいたのかは彼女の想像するものであって、実際は分からない。
たまたま読み始めたばかりの松本健一『三島由紀夫と司馬遼太郎』(新潮選書)という本の冒頭に、三島由紀夫の自決について司馬遼太郎が毎日新聞に寄せた文章が引用されている。普段の司馬遼太郎では考えられないような嫌悪感にみちた文章である。
三島由紀夫の自決は当時さまざまな反響を呼んだ。その後も多くの人がそれについて考え、自分なりの解釈と批評を繰り返してきた。それはそのまま語る者の自己表明となっている。だからこそ松本健一は本の冒頭に司馬遼太郎の文章をあげたのだろう。
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