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2020年1月30日 (木)

中村保男・谷田貝常夫編『日本への遺言 福田恆存語録』(文藝春秋)

 この本は1995年に出版された。福田恆存が亡くなったのはその前年の1994年。その前に福田恆存の本を二三冊読んだが、半分も理解出来なかった。だからこの語録でその理路を勉強しようと思ったが、やはり歯が立たなかった。

 

 先般読んだ『同時代を読む』という本で福田恆存の誤謬が指摘され、批判されたのを読んで、へそ曲がりの私は、敢えてこの本に再び挑戦したのである。語録だから短文ばかりで、テーマ別に、ほとんど一ページごとに彼の著作からそのエッセンスが引用されている。おぼろげであるものも含めて、三分の二は何とか何が書いてあるのか理解した。三分の一のうち半分は理解不能。残りは何度か読めば分かりそうな気がする。吉本隆明よりはずっと読みやすい。小林秀雄より少し難しいか。

 

 読み終わってみれば彼のレトリックに少しなじんでいる。今度は一つひとつの文章についてもう少し掘り下げて考えてみるのも面白そうだ。その値打ちがあると思うので寝床に置いておくことにしよう。

 

 編者の一人、中村保男は翻訳者で、一時期のめり込んでいたイギリスの市井の思索者、コリン・ウィルソンの『アウトサイダー』などの翻訳でなじみ深い。心酔していたが、コリン・ウィルソンの本もほとんど処分してしまった。思い出深いなあ。

 

 最近、安岡章太郎、江藤淳、奥野健男、松本健一等々の批評文を読み散らして、批評ということの厳しさについてとことん思い知らされている。同時にそのような批評を読み込むことで世界が新たに開けてくる嬉しさも知ることが出来ている。有難いことである。


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左は本のカバーで、右側は中本体の裏表紙。
編者によれば、奈良の桜井市にある福田恆存の筆による碑文の写しである。『懐風藻』に収められている大津皇子が持統女帝から死を賜ったときの辞世の漢詩。

金烏とは太陽のこと、夕べを告げる鼓の音が余命いくばくもないことを告げる。客も主人もないあの世に向けて、いまから私は旅立つのだ、と云う詩だそうだ
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