ひとはみんな違うと言うけれど・・・
ひとはみな違う。同じものを見ても、同じ物を食べても受け取り方、味わい方が違う。そんなこと当たり前だと知っているけれど、他人が自分と違う感じ方をしていることを知るとびっくりする。
ゴーン氏はレバノンで日本のメディアの記者会見に応じて、「日本では正統な裁判が受けられないから脱出した」との主旨の言葉を述べた。ここで言う「正統な裁判」とは、彼の行ってきたことは間違っていなかったと認められる彼に都合の良い裁判のことであろう。法律とは無関係の主張である。彼は自分が犯罪者とは認めるつもりはない。そう信じてもいるのだろう。
119番で緊急通報をする事例の中に、「ゴキブリが出たから何とかして欲しい」とか、「酔って帰宅できなくなったから救急車で送って欲しい」などというものがあったとニュースで報じていた。多くのひとはそんなことで119番通報したりしないけれど、そのひとたちは自分が本当に困ったから通報したので、何で非難されるか分からないのかも知れない。分かっていてのことなら、悪意のある行為である。
大口を開けて眠っていたら、ゴキブリが口の中に飛び込んで、それを呑みこんでしまってパニックになったのかも知れないなあ、と同情している。それなら全く理解できない行動ともいえない。
だれもが自分の基準で自己主張する時代になった。自己主張の氾濫すること、過去とはけた違いであって、それはさらにエスカレートするだろう。自分は正しい、ときに自分だけ正しい、と云うひとはいまのところ一握りである。しかしその一握りによって世の中が振り回されているのが現実である。あれで好いのか、と勘違いする輩がたくさん控えている。今に収拾がつかなくなるだろう。
モンスターペアレンツや暴力的クレーマーの話題は枚挙にいとまが無い。自己正当化の花盛りである。自分も次第に毒されているのかも知れない。
ますますまともなひとにとって生きにくい時代になってきた。地球温暖化も顕著になってきた。人口が増え続ければ、しなければならない我慢を受け入れないといけないはずなのに、自己の利益を主張する声だけがかまびすしい。人類の未来は悲観的に見える。
破綻はじわじわとやってくるのか。案外大災厄がとつぜん人類を襲うかも知れない、などと妄想している。自然はしばしば自ら修復を謀るものである。
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