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2020年4月21日 (火)

『安岡章太郎随筆集7』(岩波書店)

 この巻の多くが『僕の昭和史』という文章である。昭和という時代を安岡章太郎自身の個人史に重ねて、そのときそのときに感じたことをベースに書いている。しばしばそのときのことをそのときの認識で書いているつもりが、実はあとから身についた現代の価値観で過去を見てしまっているものが多いものであるが、安岡章太郎はそれが峻別できる希有な人である。

 

 安岡章太郎は1920年(大正九年)生まれだから、物心ついたのがちょうど大正から昭和にかわるときだった。元号が昭和に変わったとき、彼は軍人だった父の赴任地であった京城(ソウル)にいて、幼稚園生だった。『僕の昭和史』はⅠ、Ⅱ、Ⅲとあって、この巻に収められているのは、昭和が始まり、そして太平洋戦争が終わった昭和二十年までのⅠのみである。

 

 彼の共通体験について書いた文章のほんの一部を引用する

 

「ところで、共通体験というのは、大震災とか空襲とか集団疎開とか、要するに大きな不幸を共にすることであって、幸福の共通体験というものはないらしい。しかも、トルストイのいうように、『幸福な家はみな一様に似通ったものだが、不幸な家はいずれもとりどりに不幸』なのである。つまり、幸福という『みな一様に似通ったもの』を僕らは共有することは出来ず、家によって個人によって『いずれもとりどり』であるところの不幸によって、僕らは共通の体験・・・歴史というもの・・・に、参画することになるわけだ。ここに個人史による現代史というもののムツかしさがある。僕らが、個人的に自分のこうむった時代の不幸を熱心に振りかえれば振りかえるほど、ますます『共通体験』の共通項からはずれて、何かしら特殊な、偏見にみちた、自分個人の不幸のグチをくどくどと語ることになりがちだからである。」

 

 一体今回の新型コロナウイルスの体験をわれわれはあとでそれぞれどう語るのだろうか。

 

 この巻の後ろ部分にいくつかの歴史に関する彼の文章が収められていて、その多くが土佐郷士であった彼の幕末前後の先祖の個人史を書いた『流離譚』に関連している。すでに長大なこの物語は読んでいたので、書いていることは良く分かった。

 

 さあ全八巻の随筆集の第七巻まで読了した。あと一巻のみ。だが、実は私は『僕の昭和史』の別巻となる『対談 僕の昭和史』という本も持っているのだ。『僕の昭和史』に関連させてさまざまな人たちと対談している。引っ張り出して来たので、それを先に読もうと思っている。そうすると『流離譚』から派生して山口瞳の『血族』などという本まで読みたくなるから困ったものである。
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