北方謙三『楊令伝 十四 星歳の章』(集英社)
水滸伝の漢たちの多くは死んで英雄となった。その生き残りたちが楊令の元に新しい梁山泊として結集し、英雄たちの息子や娘たちもその元に参集した。生き残りの漢たちが物語の中で壮烈な死を遂げていく。
戦争の犠牲者たちはしばしば数で語られる。その数で語られる無名の漢たちの思いは詳しく語られた英雄たちの姿として語り残されていく。
南宋は国の姿を確かなものにした。確かな国となった南宋は、劉光世総帥の下に岳飛と張俊を従えて金を伐たねばならない。そんなときに梁山泊の自由市場、つまり国家の統制ではない経済、が国のかたちを損なうことになる。金を伐つためにはまず梁山泊を滅亡させるしかないという状態が生じていた。
金の二代目皇帝死去により、金は服喪に入って軍を動かさないとみた南宋軍は一気に北上して梁山泊軍と対峙する。今回は局地戦ではなくほぼ全軍での全面戦となった。作戦を超えた極限の戦いが繰り広げられる。
戦いを前にその戦いの意味を楊令が語る。
「南宋という国を潰せば、自ずと新しいものが姿を現す。だから、南宋を潰すための戦である。」
それに対して呼延凌は思う。
「新しいものが、人にとって美しいものだ、とは信じていなかった。北京大名府で、のちに自由市場となるものと同じ市を守った時、欲と欲のぶつかり合い、利害による駆け引きなど、それこそのべつ起きていたものだ。
人が美しくいられるとは、信ずるべきではない。しかし、そうなろうとすることは、必要だった。そういう状況をつくるために動かない限り、美しさの片鱗も見えはしないだろう。楊令も新しく現れるものが、夢のように美しいなどとは、信じていないはずだ。ただ、新しい、今までになかったものを、見たがっている。そうやって新しいものを求め続けることが、『替天行道』の志だと思い定めている。」
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