『安岡章太郎随筆集2』(岩波書店)
読めば読むほど安岡章太郎が好きになる。
この随筆集は全八巻、第一巻、第三~六巻はすでに読了している。第二巻を後回しにしていたのは、この本に収められている『アメリカ感情旅行』(半分以上を占める)を読んだ記憶があるからだ。『アメリカ感情旅行』は1960年に彼が夫婦でアメリカのテネシー州のナッシュビルという南部の街の大学に半年ほど留学して滞在したときのことが書かれたものである。日記形式であるが、日記を元にそのとき考えたこと、さらに帰国後に考えたことを書き加えたものと思われる。
後半はそのあとも何度か数年おきにアメリカを訪ねたときの紀行文がいくつか収められているが、そちらは初読である。
彼がわざわざ南部の小都市に留学したのはなぜか、アメリカを、そしてアメリカ人を知るためであることは明らかだが、いつもの彼のパターンで、成り行きに従ったようでもある。ただ彼の場合、必然性があってもそれを成り行きのように語るところがあるから分からない。
彼は物事をありのままに書く。観念が先に立つことがないのが彼の長所だ。ありのままのことを記しながらその経験から個別の人と街の様子を自分にどう見えたのか、そしてどうしてそう見えたのかを考え、そこからアメリカとは、アメリカ人とは何かを考える。そしてそれは彼のわずかな経験からの話であるのだ、と念を押すことを忘れない。
文章を読んでいれば彼の眼で彼の経験を感じることが出来る。その経験から彼が連想することは豊富で、彼の柔軟さ、ふところの深さが感じられる。まだ黒人差別があたりまえだった時代の南部で彼がどのような目に合ったのかは想像に難くないが、それが次第に親和的になっていくのは不思議なほどである。人びとと次第になじみ、挨拶を交わすようになっていく。そして彼を偏見で見ていると思っていた人たちの心情について、彼のほうも理解していく。
ある時代に安岡章太郎がアメリカ南部に滞在することで経験したことを追体験することで新しいアメリカについての認識を得ることができる。そして年月の経過と共にそのアメリカも激変していく。何事も変わる。変わることの意味が基点を持つことで感じられるようになる。何がかわり何が変わらないのか、それを考えさせられる。
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