同感
デイリー新潮の「リベラルこそ『国家』を信頼していたのかも」という古市憲寿氏の記事に同感である。歴史を多少は知っているなら、なにをいまさらと云う気もするが、その通りだと思うことには「同感」というしかない。
「国家さえ動けばすべて解決する(はずだ)」と云う楽観論から「だから国家よ、さっさと何とかしろ」となるという見立ては、日本のリベラルの本質の一端を鋭く指摘している。これがエスカレートすると国家が独走するという図式はすでに経験済みだ。それは極端にしても、それに対して抑制的なのは政府の側であるという指摘はその通りで、抑制的であるがために「政府の対策は生ぬるい」とあちこちで声が上がっている。政府に強権をあたえるべしと言う声は、保守ばかりかリベラルにも多いし、ときにリベラルのほうが大声なことがあって、やはりなあとおもう。
抑制的である政府を、保守的である私は理性的であると見て支持する。 古市氏が政府を支持しているかどうか知らないが、少なくとも抑制的であることを評価しているらしいことに同感するのである。
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