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2020年4月 3日 (金)

君子危うきに近寄らず

Dsc_3825マンション中庭の桜・記事と関係ありません。

 二月初めの息子の結婚式のついでに弟夫婦と岡山の吉備路と四国、淡路島などを訪ねたことはブログに書いた。そのときに、中国で発生している新型コロナウイルス感染は尋常でない事態であると弟たちと話した。何より中国の情報は操作されていることが前提であることを考慮に入れなければならない。それでもあれほどの報道がなされていることは、その数倍数十倍の規模である可能性が大きく、今後中国人の移動先となっている場所での感染が必ず起こるだろうと予測した。事態はその予測を超えていたが。

 

 息子夫婦は新婚旅行での海外旅行を取りやめ、国内旅行に切り替えた。これは私がアドバイスしたわけではなく、息子たちの判断である。二月の時点でこの判断が出来た息子たちをほめたいと思う。

 

 感染した人たちは災難であり、大いに同情するが、ダイヤモンドプリンセスでの集団感染のニュースが連日報道されている中で、三月に入ってから海外旅行を取りやめずに出掛けて行った人達にはいささか油断があったと思わずにはいられない。君子危うきに近寄らずで、たとえ君子でなくても、危ないところには近づかないのが智恵というものだろう。

 

 生物には危険や危機に対するセンサーが備わっている、と云うのが内田樹老師の言葉である。私もそれに同意する。そのセンサーを磨き上げるのが武道というものであると老師がいう。現代はそのセンサーを鈍磨させてしまっても生きることに何の不都合もない時代である。センサーを働かせることを臆病と捉えるのは間違っている。生命を守るために生物に備わった能力なのである。

 

 非常事態の時にこそそのセンサーを働かせないとならず、そのセンサーが働くことで危機が回避できることもあるのだ。

 

 マスコミは想像力を欠いた言説に満ちているように見える。平常時の価値観で非常時を語っている。人はそれに惑わされてセンサーを働かせることが出来ない。それこそ危ういことである。敏感であるはずの若い人ほど鈍感に見えるのはどうしたことか。もともと若い者は経験不足で過つというが、安楽の経験を重ねすぎた老人のほうが経験に学びすぎて危機を見失うのではないか。若い人がより鈍感なのは戦後教育の成果か。
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