内田樹『街場の現代思想』(文春文庫)
哲学や思想というと、誰か偉い人の考えたことを学んで、それによって自分の価値観や生き方の指針にするためのもの、などと考えがちだが、それでは宗教と同じである。そうではなくて、そのような先人の知恵としての知見を参考にするのは必要なことではあるが、あくまでも哲学といい思想といい、自らのための、自ら獲得したものでないと意味がないと思う。
マルクス主義を信奉し、それによって正義と悪を判断する、などというのは思想の奴隷以外の何物でもない。北朝鮮を見ても、中国を見ても、思想の奴隷であることが歴然と見えるのに、その政権下にいる人たちの多くには精神の自由が失われていることへの自覚が見られない。では日本で、アメリカなどの欧米でどうなのか、と見れば、他人のアジテーションに何の疑問を持たずに付和雷同している者があふれかえっている。
以上のことはこの本に書かれていることではなくて、ニュースで見る世界について私の感じていることである。
内田樹老師の本を整理していたら、なんと100冊ほどたまっていた。もっとあるかもしれない。読んでいない本はない。再読したい本が大半だが、読めばそれに耽溺して頭の中を組み替える作業が伴うので、エネルギーと時間が必要になる。再読の可能性のない本は処分することにして、読みやすそうな本の再読を適宜行うことにした。その第一弾がこの『街場の現代思想』という本である。
階級と階層という、似ているが違う意味の言葉がある。階級については、例えば日本の士農工商みたいなもので、すでにほとんどの世界から消滅しているとみていい。しかし厳然としてあるのが階層である。そのことについて、老師は文化資本というキーワードを用いて超えられない階層差の壁を説明している。厳密に言うと違うかもしれないが、養老孟司師の『バカの壁』の壁はその文化資本の差の階層差の壁だと考えるとわかりやすい。
その壁の意味、そしてそれを乗り越えようとする努力こそがその階層差を明確化するという矛盾について考察していて、非常に興味深い。
結婚について、離婚について、学歴についてなどなど、人生相談の体裁をとりながら質問に答える形で、一般的な共通認識とはいささか異なる回答を示しながら、全く新しい世界の見方を教えてくれる。現代思想、などと言っても極めてわかりやすい言葉だけで語っているから、読み取りたいと思う気持ちさえあれば、読後、世界が全く違って見えるようになるかもしれない。
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