映画寸評(5)
『猿の惑星 新世紀(ライジング)』2014年アメリカ、監督マット・リーヴス、出演アンディ・サーキス、ジェイソン・クラーク、ゲーリー・オールドマンほか
出演者の多くが猿(正確には英語でエイプと言われる類人猿)なので、俳優の顔は分からない。これが新しい『猿の惑星』シリーズの何作目で、前作とどうつながるのかよく分からずに観た。いままで観たものが前後しているかもしれないけれど、これはこれで単独でも面白い。
猿を原因とするウイルスの蔓延で、すでに人類はほとんど死滅している。生き残っている、免疫を持つわずかな人類はコロニーをけいせいし、そこにこもって生き延びているに過ぎない。一方、猿はすでに人類並みの知能を有して、言語を駆使して原始的ではあるが社会活動を開始している。猿を原因としているウイルスは猿には害を及ぼさなかったようだ(よく覚えていない)。
サンフランシスコに生き残った人類のコロニーは、手持ちのエネルギーが枯渇しつつあり、生き延びるために水力発電所の再稼働を計画する。そして猿の住む森の世界に人類が踏み込むことになり、そこで軋轢が生じて・・・というのがメインストーリーである。互いに相容れない人類と猿が、なんとか共存を図ろうとする一部の人間の努力を踏みにじって血みどろの争いに突入していく。
何より猿のリーダーが人類の誰よりも英知に富む理知的な相貌をしているのが印象的だ。しかし争いが一段落したあと、彼がつぶやくのは、ことここに至ればもう引き返すことはできない、という言葉だった。こうして多分人類は絶滅し、地球は『猿の惑星』に化していくのであろう。臆病者ほど諍いのきっかけを作る、という逆説も効いている。
『キラーズ・セッション』2019年イギリス、監督マーティン・オーウェン、出演ゲーリー・オールドマン、ジェシカ・アルバほか
この世の中には普通の人には知られていない殺し屋たちの存在があるらしい。それらがじつは大きなネットワークのなかに組み込まれているらしいのだが、映画のなかではその辺がほのめかされるだけで、曖昧でよく分からない。そういうプロの殺し屋たちが一部屋に集められ、互いの告白を迫られる。それが本当なのか、どうしてそんなことが迫られるのかも説明されないまま、そもそもその場にいることが不似合いな若い女性をめぐって駆け引きが始まる。やがて互いの殺し合いが始まり・・・。という映画なのだが、結局分かったような分からないような展開で幕が閉じてしまう。分からないのは私がバカだからだろうか。といってもう一度観るのもなあ。
ジェシカ・アルバが怪演。こんなおばさんが一番怖い。
『ネバー・ダイ 決意の弾丸』2019年アメリカ・ブルガリア、監督リオール・ゲラー、出演ジャン=クロード・ヴァン・ダム、デヴィッド・カスタニエーダほか
若いときのヴァン・ダムのアクションのキレは惚れ惚れするものがあった。それが衰えてなんとなくスローモーションを見ているようになって哀しいのだが、つい彼の主演の映画だと録画して観てしまう。そしてほとんど当たりがないことを残念に思っていた。その中ではこの映画はそれほどガッカリしなかったのはさいわいである。最近観た、ジャッキー・チェン主演の『ザ・フォーリナー 復讐者』という映画が思い出される。似たようなシチュエーションの映画だからだ。しかし映画の出来、演技の格としてはジャッキー・チェンの方に軍配を上げたい。年寄りが必死で巨悪に立ち向かう意気込みは同じでも、その執拗さの、ある意味で怖さを感じさせたジャッキー・チェンは普段のカンフー映画よりずっと良かったと思うのだ。
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