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2020年7月14日 (火)

橋川文三『乃木伝説の思想』

 いまの若い人のどれだけが、乃木希典と聞いてどんな人であるのか承知しているのだろうか。中学校、高校で日本史を習ったとしても、ほとんど明治以降は詳しく学ばないというし、私自身の記憶でも、日清戦争や日露戦争について、授業らしい授業を受けなかったような気がする。それに続く日中戦争から太平洋戦争についてはなおさらである。それなら韓国や中国が、日本人は歴史認識に欠ける、というのはあながち言いがかりともいえないことになる。知識のないのは若い人ばかりではないのだから。

 

 幕末については多少は授業を受けた。その幕末が生んだ明治という時代がどういう時代だったのか知らずに、なぜ日本が世界の多くの国々と戦争することになってしまったのか、考えることが出来るわけがない。なぜ戦争をしたのか、それを知らずに戦争反対を叫んでも、そもそも戦争とは何かを知らずに戦争を語っているわけで、戦争をしないためにどうしたらいいかなど、本当は語る資格がないと私は思う。空論にならないためには少しは近現代史を学ぶべきではないか。韓国や中国と違って、日本ではさまざまな立場からさまざまに書かれた本がいくらでも手に入るし、読むことが出来る。

 

 前置きが長くなりすぎた。

 

 取り上げたのは陸軍大将だった乃木希典夫妻が、明治天皇の御大葬の日に殉死(自刃)したことについて論じた文章である。この殉死が当時の報道や作家たちにどう取り上げられたのか、それがまず紹介され、白樺派の志賀直哉や武者小路実篤の痛烈な批判、それとは正反対の森鴎外の反応、さらに芥川龍之介の小説、『将軍』が論じられていく。

 

 そこからさらに乃木希典の遺書が紹介されたあと、乃木希典がなぜ自死したのか、その思考について詳しく掘り下げていく。そこには長州出身の乃木希典の、明治という時代に対する居所のなさが浮かび上がってくる。明治という時代を生きながら、志士として明治維新に殉じた人たちの抱いていた志を共有しながら、その時代の日本は大きくずれてしまったというその違和感のなかで、乃木希典にとってただ一つ統一的に信じられたものが明治天皇という存在だった、という見立てについて、私のざる頭も理解できた。

 

 乃木希典の遺書や日記をはじめ、旧仮名遣いの文語文がふんだんに引用されているので、多少読み応えがあるが、それほど長い文章ではないので読めないことはない。ただし、乃木希典の得意な漢詩がいくつも引用されていて、それは白文のままなので、どこまで理解したかおぼつかない。歴史をこういう形で照らし出して考えさせてくれたことに感謝したい。こういう労作がたくさんありながら、知る機会もなしに生きてきた。

 そういえば司馬遼太郎は、あの人には珍しく、乃木希典をほとんど罵倒に近いような酷評をしている。さはさりながら、乃木希典の思想についてはそれなりに承知していたのであろうと思う。

 

*『昭和文学全集 第三十四巻 評論随想集Ⅱ』(小学館)から。出典は『橋川文三著作集 第三巻』昭和60年・筑摩書房刊。
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コメント

大正・昭和の歴史は授業で聞いたことがあまりなく、極悪非道の日本軍がアジア諸国に迷惑をかけたとなぜか思い込んでいました。極悪かどうかはわかりませんが非道な国に囲まれた日本には事実に基づいた正しい歴史教育が必要です。

けんこう館様
日本の子供たちは、進駐軍と日教組によって作られた歴史を刷り込まれました。
ちゃんとした歴史は自発的に歴史の本を読まなければ獲得できません。
日本人に歴史認識がないという韓国や中国の言い分には否定できない部分があります。
ただ彼らも歴史の便器用などしていないし、日本人以上にゆがんだ歴史を刷り込まれていますが。
どこの国も歴史教育というものはそういうものであるようです。
しかしたたき台になるべき近現代史を教えていない日本は異常です。
戦争がなぜ起きたのか知らずに戦争反対を言っても空論になります。

おはようございます
司馬遼太郎は乃木将軍のことを「無駄な突撃(肉弾戦)でむざむざ兵士を死なせた」と酷評しておられましたが、事実はまだそのときは飛行機も戦車もない時代でしたので、旅順のような要塞を攻めるにはこれしかなかったと言います。
また、日露戦争で最大の被害を日本軍に与えたのはマキシム機関銃や大砲ではなく、軍医をやっていた森鴎外などのミスで起こった脚気だったと言うことも最近になってわかっています。
では、
shinzei拝

shinzei様
海軍はビタミン説を受け入れたのに、陸軍は受け入れなかった、それは軍医・森林太郎が反対したからだというのは有名な話ですね。
この殉死については、衝撃を受けて森鴎外が『興津彌五右衛門の遺書』を書きました。
昨日読み直したところです。
夏目漱石の『こころ』もやはり乃木希典の殉死が念頭にあったともいわれます。

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